残るはずのなかった五領の袿
鎌倉時代の女性が実際にまとった装束で、完全な姿のまま今日まで残った例はほとんどない。衣は絹である。絹は朽ち、仕立て直され、火災で失われる。八百年を生きのびた完形の遺品は片手で数えられるほどしかなく、そのうちの五領が、鎌倉のひとつの神社に伝わっている。
この五領の袿と、漆塗りの武具一式をあわせて、鶴岡八幡宮の「古神宝類」という。昭和三十一年(一九五六年)六月二十八日に国宝に指定された。所有は鶴岡八幡宮、社地は神奈川県鎌倉市雪ノ下にあり、源氏が築いた中世都市の中心に位置する。
残りかたが二重に珍しい。染織品は、同時代の衣服がそもそも世に乏しいために貴重であり、武具のほうは、実用ではなく奉納のために作られたがゆえに、戦陣で消耗する運命をまぬがれたのである。
五領の袿
五領はいずれも袿、すなわち宮廷女性の装束の中核をなす袷の絹衣である。後世に十二単と呼ばれる重ね着では、複数の袿を順に重ね、襟・袖口・裾に色の段を見せた。一領の寸法は大きく、五領のうち四領は身丈がおよそ百六十七から百七十二センチ、袖丈はおよそ七十センチに及ぶ。
五領はそれぞれ別の文様で織り出されており、名称を並べるだけでも幅の広さがうかがえる。一領は白小葵地に鳳凰を二重織で表したもの。二領は紫地に向かい合う鶴を三つ重ねた丸文を配し、唐織で織り上げる。一領は淡香色の綾地に、鶴・松・花菱を組み合わせた大柄の幸菱文を置く。最後の一領は黄地に窠(か)の丸文と霰(あられ)を散らした、やや小ぶりの装束である。
実物の前に立つと、まず色づかいの抑制に気づく。鳳凰は淡紫・淡縹(はなだ)で、ほぼ白に近い地に浮かび、後世のような華美な金彩ではない。向鶴の丸文も輪郭にまで簡略化されている。この静けさそのものが年代の手がかりでもある。大柄で穏やかな文様の趣は、込み入った後代の意匠とは異なる、鎌倉時代の感覚として読み取られている。
武門の社の奉納品
もう半分は、武家の守護神たる社にふさわしい品々である。朱漆の弓一張、黒漆の矢三十隻(内一筋は篦を欠く)、平胡籙二腰、そして太刀の拵二口。胡籙と太刀拵は同じ装飾を共有する。金粉を蒔いた沃懸地に、杏葉の文様を螺鈿で象嵌したものだ。螺鈿は貝を切って漆地に嵌め込む技法で、表面が内側から光を返す。
これらは神前に捧げる奉納品であり、戦場へ持ち出すものではなかった。保存状態はそれを反映している。実戦に供された太刀が鞘や金具を七百年とどめることはまずないが、社の宝として守られたものなら可能である。袿と武具とがともに伝わるという事実は、この社の性格を語っている。武士によって開かれながら、宮廷の優美をも身近に置いた場であったということだ。
国宝としての価値
袿には来歴の言い伝えがある。江戸時代に編まれた『新編相模国風土記』は、鶴岡八幡宮の神宝の項に、後白河法皇(一一二七〜一一九二)が当宮の祭神のひとり神功皇后のために調進したと伝わる重ねの装束を挙げており、現存する袿はこれに該当するものとみられている。
もっとも、この由緒は確証ある史実というより伝承として扱うのが穏当である。疑いがないのは織りの古さと質のほうだ。文様と技法の上から、これらの袿は鎌倉時代の作として揺るがず、指定の重みは一点の事実に帰着する。すなわち、この時代の完形の宮廷装束がほかにほとんど残っていないということである。断片や仕立て直しの遺品はあっても、完全な衣が武具とともに一括して伝わる例は稀有に近い。この一具があることで、研究者は鎌倉の宮廷装束を断片から復元するのではなく、まとまった現物として見ることができる。
拝観の手がかりと、社のたたずまい
古神宝類は、鶴岡八幡宮境内の東鳥居近くに建つ鎌倉国宝館に寄託されている。同館は、大正十二年(一九二三年)の関東大震災で多くの文化財が失われたことを契機に、昭和三年(一九二八年)に開館した。鎌倉一帯の社寺から寄託された四千点を超える宝物を収蔵する。
袿は常設展示ではない。確実に拝観できる機会は年に一度、九月中旬の例大祭にあわせて開かれる特別展「国宝 鶴岡八幡宮古神宝」の期間にめぐってくる。近年は九月初旬から十月にかけての会期が多い。染織品は傷みやすいため、その期間中でも出品は入れ替わり、五領が一度にそろうとは限らない。会期を外れて訪れる場合は、社殿奥の宝物殿で実物大の複製が通年公開されている。
社そのものも、足を運ぶ価値がある。康平六年(一〇六三)に源頼義が由比郷に八幡神を勧請し、治承四年(一一八〇)に源頼朝がこれを現在の地に遷して、鎌倉に開いた幕府の宗社とした。広い石段を上った先の朱塗りの本宮、下方の若宮、境内の丸山稲荷社は重要文化財に指定され、境内全体が国の史跡である。参道は若宮大路として海へまっすぐ延び、武家の古都の中軸をなしている。
Q&A
- 実物の袿はいつ見られますか。
- 原則として、九月の例大祭の頃に鎌倉国宝館で開かれる年に一度の特別展の期間に限られます。傷みやすいため通年公開はされておらず、毎回すべての袿が出るわけでもありません。社殿奥の宝物殿では、実物大の複製が通年公開されています。
- 袿とはどのような衣ですか。
- 宮廷の女性がまとった袷の絹衣で、複数を重ねて十二単と呼ばれる装いを構成しました。重ねた各領の色が、襟・袖口・裾に段となって現れます。
- 本当に後白河法皇が奉納したのですか。
- 江戸期の記録にそう伝わりますが、史実というより伝承として扱われています。袿そのものは、織りと意匠の上から鎌倉時代の作と確かに位置づけられています。
- 鎌倉国宝館への行き方を教えてください。
- JR・江ノ電の鎌倉駅から徒歩約十二分、鶴岡八幡宮境内の東鳥居近くにあります。専用駐車場はないため、電車での来館が便利です。開館は九時から十六時三十分(入館は十六時まで)、月曜休館です。
- なぜ武具が宮廷装束と一括で伝わるのですか。
- 鶴岡八幡宮は源氏の守護神を祀る武門の社であり、武具の奉納は自然なことでした。この一具は、宮廷装束の優美と、社を支えた武家の性格という二つの面を同時に映し出しています。
基本情報
| 名称 | 古神宝類(鶴岡八幡宮) |
|---|---|
| 指定 | 国宝(工芸品) 昭和三十一年(一九五六)六月二十八日指定 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 構成 | 袿五領、朱漆弓一張、黒漆矢三十隻、沃懸地杏葉螺鈿平胡籙二腰、沃懸地杏葉螺鈿太刀(拵)二口 |
| 所有者 | 鶴岡八幡宮 |
| 所在 | 鎌倉国宝館に寄託(神奈川県鎌倉市雪ノ下) |
| 公開 | 常設展示なし。年に一度の特別展(九月の例大祭の頃)に公開。複製は宝物殿で通年公開。 |
| アクセス | 鎌倉国宝館:JR・江ノ電鎌倉駅から徒歩約十二分。開館九時〜十六時三十分(入館は十六時まで)、月曜休館。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「古神宝類」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/477
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)「古神宝類」
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/178102
- 鎌倉市 特別展「国宝 鶴岡八幡宮古神宝」
- https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/2025-koshinpo.html
- 鎌倉市 鎌倉国宝館の利用案内
- https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/visit.html
最終更新日: 2026.06.12