二度移築され、三度用途を変えた店舗兼主屋
旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋(きゅうえちぜんやあまやしょうてんてんぽけんしゅおく)は、神奈川県藤沢市打戻の曹洞宗寺院・盛岩寺の境内に建つ大正13年(1924年)建築の木造商家で、平成29年(2017年)5月2日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
一つの建物に三つの経歴があるという例は多くない。
薬問屋の店舗兼住居として生まれ、およそ70年を農家の母屋として過ごし、いまは仏堂になっている。その間に内陸へ約10キロ動き、二度解体され、規模を縮めた。使われている材木は、そのどの章よりも古い。
江戸時代の商い
「越前や與左エ門」は、江戸時代中期に雨谷與左衛門(権三郎、1694〜1750)が開いた。越前鳥羽荒町(現在の福井県)の出身で、薬品・砂糖・雑貨を扱う卸商である。当時の藤沢宿では俳諧が流行しており、與左衛門も珉竟(みんきょう)の俳号を持つ文化人だった。
店は大鋸橋(現在の遊行寺橋)のたもと、時宗総本山・清浄光寺、すなわち遊行寺の惣門前に構えられていた。東海道六番目の宿場、藤沢宿の商業の中心地である。その景観は幕末の浮世絵にも描かれている。
震災、そして新築
大正8年(1919年)、六代雨谷與兵衛が江戸期からの店舗兼家屋を建て直した。店蔵、内蔵、住居が並ぶ壮大な構えである。同年1月2日に撮影された記念写真には、立てられたばかりの電柱と、配達に使われていたハーレーダビッドソンが写り込んでいる。
その4年後、大正12年(1923年)の関東大震災で越前屋の建築群は倒壊する。藤沢の旧市街では家屋倒壊率が60パーセントを超えた。焼失こそ免れたものの損害は激しく、雨谷家は土地を手放すことになった。
大正13年(1924年)、七代雨谷與左衛門(善太郎、1899〜1988)が遊行通り、現在の国道467号に面した日当たりのよい角地に、店舗兼住居を新築した。このとき倒壊した家屋の部材が再利用されている。大正の建物のなかに、江戸時代に伐り出された材が混じっているのはそのためである。
登録の理由
登録有形文化財は、重要文化財より緩やかな制度である。平成8年(1996年)に創設され、建設後50年を経た建造物を対象とする。所有者は大きな改変の前に届け出れば足り、代わりに税制上の優遇を受ける。指定制度のような強い規制と手厚い国費投入は伴わない。日常に使われている普通の建物を、使いながら残すための仕組みだ。
本件の登録基準は「造形の規範となっているもの」、登録番号は14-0227。
文化庁の評価は旧店舗部に置かれている。もとの敷地が角地だったため、土間とガラス戸を矩の手、つまり直角に折れる形で二面に廻らし、その内側に帳場を置いた。出桁や庇の太い桁には、震災復興期に木造家屋がそれまでより堅牢に建てられるようになった時代の特徴が読み取れる。旧主屋部には八畳二室の良質な座敷が残る。
藤沢市では民家や農家の保存が進んでいる一方、商家は数が少ない。薬と砂糖を扱った店舗兼住居が残る例は、全国的にも珍しい。
見どころ
軒の出
店舗部の軒はセガイ(船櫂)造りである。側柱から腕木を外へ突き出し、その先端に出桁を載せて、軒先を壁面よりかなり前へ送り出す。その下にはさらに腕木庇がかかる。軒は深いが、土間がガラス戸に囲まれているため室内は明るい。
登録申請のための調査では、この形式が藤沢市内で他に現存しないことが確認されている。
棟端の鬼瓦
棟端には「鬢付雲付丸立鬼」と呼ばれる形式の鬼瓦が据えられ、「丸に違い鷹の羽」の家紋が入る。屋根は金属葺で、入母屋型の破風には「むくり」がついている。寺院建築に多い内側に反る形ではなく、外へふくらむ曲線である。目立たないが、一度気づくと見分けられるようになる。
四枚の杉板戸
内部では、十畳の旧店舗と廊下を四枚の杉一枚板の板戸が仕切っている。この板戸は江戸時代の「越前や與左エ門」で使われていたもので、大正13年の新築時に保存され、昭和13年の移築で店舗部と座敷を行き来できるようにする際に嵌め込まれた。引手は銅製で、長木瓜(ながもっこ)型の重厚な作りである。
奥座敷の床
八畳の奥の間には本床と床脇がある。本床正面左の丸柱は檳榔樹(びんろうじゅ)、右の角柱は紫檀、床板は欅。床脇の違い棚は自然木で支えられ、端には立浪をかたどった筆返しが刻まれている。客を迎える商家の座敷に、費用を惜しまず選ばれた材である。
土間と十畳間を仕切る雪見障子には千本格子が使われ、広縁との境には猫間障子が立つ。いずれも商家時代のものではなく、農家となってから加えられた。
二度目の移築、そして現在
昭和恐慌が店を閉じさせた。昭和12年(1937年)、御所見村長を三度務めた打戻の農家、森林造(1860年生まれ)が、焼失した母屋の代わりにこの平屋60坪を1,000円で購入する。翌昭和13年(1938年)、地元の大工の手で森家の敷地に移築再建された。新築より安上がりという判断に加え、江戸期から続く越前屋の建材そのものに価値を認めたことが購入の理由だったという。
森家はこれを70年余り使い続けた。平成22年(2010年)、床下などの傷みが進み解体が決まる。幼い頃から檀家である森家に出入りしてこの建物を知っていた盛岩寺住職が譲り受けを申し出た。歴史的価値のある建物を壊してしまうのはもったいない、というのがその理由である。同年9月に寺社建築専門の工務店が丁寧に解体し、部材は境内で保管された。再建は平成24年(2012年)に始まり、廻廊や茶室などの整備を経て、平成26年(2014年)に完成している。規模は約138平方メートルに縮小された。
現在は薬師堂である。同じ打戻にあって廃寺となった東光寺の本尊、木造薬師三尊像を安置する。中尊は一木造・彫眼で、室町時代16世紀中頃の造立と推定される。両脇侍は江戸時代の後補。八畳二間の座敷は「昭和文化館」と名づけられ、茶会、いけ花、ひな人形展、葬儀関係の場として使われている。平成28年(2016年)には、昭和史研究家・半藤一利の揮毫による扁額が南側入口に掲げられた。
訪ねる
盛岩寺は慶長18年(1613年)開創の禅寺で、境内には自由に入れる。堂の外観は自由に見学・撮影できる。内部は原則として催事に参加した際に観覧できる形なので、寺の行事日程を事前に確認しておくのが実際的である。駐車場がある。
公共交通なら、小田急江ノ島線・横浜市営地下鉄・相鉄いずみ野線の湘南台駅西口から神奈中バスの綾瀬車庫行(慶応大学・宮原経由)に乗り、「堂の前」下車徒歩3分。JR東海道本線の辻堂駅北口からも綾瀬車庫行が出ている。便によっては「盛岩寺前」に停車する。本数は多くないので時刻表の確認をおすすめしたい。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスは東へ約1キロの位置にある。
Q&A
- 旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋はどこにありますか。行き方は。
- 神奈川県藤沢市打戻1119、曹洞宗・盛岩寺の境内にあります。湘南台駅西口またはJR辻堂駅北口から神奈中バスの綾瀬車庫行に乗り「堂の前」下車徒歩3分、便によっては「盛岩寺前」下車です。駐車場もあります。
- 旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋は内部を見学できますか。撮影は。
- 外観は境内から自由に見学・撮影できます。内部は薬師堂および昭和文化館として使われており、茶会・いけ花・ひな人形展などの催事に参加した際に観覧できるのが通例です。事前に寺の行事日程をご確認ください。
- 旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋は、なぜ商店街ではなく寺の境内にあるのですか。
- 二度移築されたためです。大正13年に藤沢の遊行通りに新築され、昭和恐慌後に売却されて昭和13年に打戻の農家の母屋として移築、平成22年に解体が決まった際に盛岩寺が譲り受け、平成26年に境内で再建が完了しました。
- 越前屋雨谷商店はどんな商売をしていたのですか。
- 江戸時代中期に遊行寺惣門前で始まった薬品・砂糖・雑貨の卸商です。昭和8年の『藤沢郷土誌』広告には、砂糖、紙類、セメント、壁用材料、塗料、売薬、絵具染料、化粧品石鹸、荒物雑貨が並び、マッチや椿油、石鹸の神奈川県下代理店も務めていたと記されています。
- 旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋は重要文化財ですか。
- いいえ、登録有形文化財(建造物)で、登録番号は14-0227です。建設後50年以上の建物を対象とする緩やかな制度で、届出制と税制優遇が柱になります。国宝・重要文化財のような厳しい規制とは性格が異なります。
基本情報
| 名称 | 旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋 |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県藤沢市打戻1119(盛岩寺境内) |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号14-0227 登録基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 平成29年(2017年)5月2日登録・告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造平屋建、鋼板葺、建築面積138平方メートル。大正13年建築、昭和13年・平成26年移築 |
| 所有者 | 宗教法人盛岩寺 |
| 公開状況 | 境内は立入可、外観は自由に見学可。内部は催事開催時に観覧可能 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011486
- 岡山理香「歴史的建造物の保存・活用について ― 旧越前屋 雨谷商店 店舗兼主屋を一例として」東京都市大学共通教育部紀要 第10号(2017年)
- https://www.tcu.ac.jp/tcucms/wp-content/uploads/2017/07/vol10_01.pdf
- 文化遺産オンライン「旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/274772
- 藤沢市「旧越前屋雨谷商店店舗兼主屋」
- https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunkazai/press/kyuetizenyaamayasyouten.html
- 藤沢市「文化財」
- https://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/bunkakanko/bunka/bunkazai/index.html
最終更新日: 2026.08.13