東京駅を設計した建築家の、晩年の住宅

旧太田家住宅主屋(きゅうおおたけじゅうたくおもや、宝善院三摩耶庵)は、神奈川県鎌倉市腰越の真言宗寺院・宝善院の境内地に建つ昭和11年(1936年)建築の木造和洋折衷住宅で、令和2年(2020年)8月17日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

設計者は葛西萬司である。

文久3年(1863年)盛岡に生まれ、明治23年(1890年)に帝国大学工科大学造家学科を卒業、日本銀行の技師となって辰野金吾のもとで実務を積んだ。明治36年(1903年)には辰野とともに辰野葛西建築事務所を開く。日本で最初期の民間設計事務所である。同事務所が手がけた建築のなかに、大正3年(1914年)竣工の東京駅丸ノ内本屋がある。現在は重要文化財に指定されている建物だ。

この住宅が建った昭和11年、葛西は73歳。東京駅の竣工から22年、辰野の没後17年が経っていた。経歴の末尾に置かれたこの規模の住宅作品は、そう多く残っていない。

建物の構成

建築面積307平方メートル。木造平屋建の一部を2階建とし、屋根は寄棟造の瓦葺である。平面の中央を中廊下が貫き、その南側に和室を配して、南面の庭園に向かって広縁が開く。

設計が転換するのは南西隅だ。ここで外観が洋風になり、玄関ポーチと洋室が置かれる。つまりこの住宅は、近づく方向によって二つの顔を見せる。一方からは瓦屋根と庭に面した広縁、もう一方からはポーチのある洋風の立面。それが継ぎ目を見せずに同じ一棟に収まっている。

葛西の世代は、ヨーロッパの構造と装飾の語彙を日本の実務に翻訳することに職業人生を費やした。銀行や停車場では、それは煉瓦・石・鉄という素材の問題だった。湘南の一住宅では、もっと静かな判断になる。どの部屋を洋風にし、どの部屋を和風にするか。その接合部を、妥協ではなく選択として読めるようにできるか。文化庁の解説は「和洋の意匠を巧みに融合する」と評価している。

竣工の5年後、昭和16年(1941年)に増築が行われている。葛西が没する前年にあたる。増築の設計者について記した資料は公表されていない。

訪れた人の記録によれば、外壁はレンガ色ないしベンガラ色。2階部分の造りは独特で、寄棟の屋根も単純な一枚の勾配ではないという。一階玄関の格子の意匠にも手が入っており、通常の建具として流されがちな部分に注意が払われている。

登録の理由

登録有形文化財は、日本の建造物保護における二系統のうち、緩やかなほうの制度である。平成8年(1996年)に創設され、建設後50年を経た建造物を対象とし、所有者は大きな改変の前に届け出れば足りる。代わりに税制上の優遇を受ける。国宝・重要文化財は「指定」であり、修理への強い規制と手厚い公費投入が伴う。

本件の登録基準は「造形の規範となっているもの」、登録番号は14-0283である。

鎌倉市には戦前の別荘・住宅建築が例外的に濃く残り、市はこれらを継続的に登録へ導いてきた。そのなかで旧太田家住宅主屋が受け持つのは、規模でも華族の由緒でもない。日本の第一世代の職業建築家の手が、ごく普通の住宅というプログラムに向けられた例である、という位置づけになる。

所有する寺、宝善院

現在の所有者は、鎌倉市南西部の腰越にある真言宗寺院・宝善院である。加持山霊山寺、泰澄山瑠璃光寺という二つの山号寺号を持ち、本尊は木造薬師如来立像。

創建は泰澄の巡錫に由来すると伝わるが、年次には諸説ある。寺は養老7年(723年)とし、天平神護年間(760年代)とする資料もある。泰澄は白山を開いた僧で、越前・越中・越後の三国において並ぶ者がないという意味で「越の大徳」と呼ばれた。日頃信仰していた十一面観音像をこの地に祀ったことが寺の始まりだという。

江戸時代を通じて、宝善院は龍口明神社の別当寺、寺の表現では神宮寺を務めた。江の島の縁起に登場する五頭龍を祀る神社である。住宅に与えられた「三摩耶庵」の名は、密教の実践において核心をなすサンスクリット語「サマヤ(三摩耶)」に由来する。真言宗の境内にふさわしい命名といえる。

訪ねる前に

期待の置きどころを先に整理しておきたい。この建物は山門の手前に建ち、参道から見れば個人住宅にしか見えない。令和3年(2021年)に訪ねた人の記録には、最初に近くを歩いたときは通り過ぎてしまったとある。拝観制度はなく、公開日の設定もなく、内部に立ち入ることはできない。

できるのは、参道を歩き、公道から外観を見て、寺の参拝と合わせて訪ねることである。日常的に使われている建物なので、撮影には節度が要る。カメラを向ける前に寺務所へ一声かけるのが穏当だろう。

アクセスは江ノ島電鉄・腰越駅から徒歩約12分、湘南モノレール・目白山下駅からも同程度。江ノ電バスなら「腰越中学校入口」下車徒歩5分。江の島や龍口寺は歩いて回れる距離にあり、源義経ゆかりの満福寺も腰越駅の近くにある。

Q&A

Q旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)はどこにありますか。行き方は。
A神奈川県鎌倉市腰越五丁目306-1他、真言宗・宝善院の境内地にあります。江ノ島電鉄腰越駅から徒歩約12分、湘南モノレール目白山下駅からも約12分、江ノ電バス「腰越中学校入口」からは徒歩5分です。
Q旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)は内部を見学できますか。
Aできません。使用中の建物で、内部公開も拝観制度もありません。山門の手前に建っているため参道から外観を見ることはできます。撮影の際は事前に寺務所へお声がけください。
Q旧太田家住宅主屋を設計したのは誰ですか。
A葛西萬司(1863〜1942)です。明治36年に師の辰野金吾と辰野葛西建築事務所を開設した、日本最初期の民間設計事務所の共同経営者で、東京駅丸ノ内本屋の設計に携わりました。昭和11年のこの住宅は、73歳のときの作にあたります。
Q旧太田家住宅主屋はなぜ「宝善院三摩耶庵」と呼ばれるのですか。
A建物が腰越の真言宗寺院・宝善院の所有となり、その境内地に建っているためです。三摩耶は密教の重要語であるサンスクリット語「サマヤ」に由来します。文化財としての登録名には、旧所有者の家名と現在の呼称が併記されています。
Q旧太田家住宅主屋の建築上の見どころはどこですか。
A一棟のなかで和と洋を組み合わせている点です。中廊下の南側に和室を並べて庭園に面した広縁を設け、南西隅は洋風の外観として玄関ポーチと洋室を配します。建築面積307平方メートル、屋根は寄棟造の瓦葺です。

基本情報

名称旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)
所在地神奈川県鎌倉市腰越五丁目306-1他
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号14-0283 登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年令和2年(2020年)8月17日登録・告示
員数1棟
寸法木造平屋一部2階建、瓦葺、建築面積307平方メートル。昭和11年建築、昭和16年増築
所有者宗教法人宝善院
公開状況内部非公開。参道から外観の見学は可能、拝観制度なし

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013370
文化遺産オンライン「旧太田家住宅主屋(宝善院三摩耶庵)」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/380547
盛岡市「葛西萬司(かさいまんじ)」
https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/1009526/1024995/1024997/1025089.html
東京文化財研究所 東文研アーカイブデータベース「葛西万司」
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/8550.html
鎌倉市観光協会「宝善院」
https://www.trip-kamakura.com/place/222.html
鎌倉市「鎌倉市内指定文化財一覧」
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/shiteibunkazai-kensu-list.html

最終更新日: 2026.08.13