国道の向かいに建つ木骨石造の蔵
長谷川家住宅石蔵は、神奈川県小田原市国府津にある大正5年(1916年)建築の蔵で、平成16年(2004年)6月9日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。木骨石造2階建、瓦葺、建築面積41平方メートル、員数は1棟。旧東海道である国道1号の近傍に位置し、小田原市の解説によれば、国道をはさんで長谷川家住宅の向かい側に建つ。
41平方メートルという数字は、登録有形文化財としてはかなり小さい部類に入る。畳に直せば25畳ほどの床面積を2層に積んだ規模で、母屋に付随する収蔵施設としては標準的な大きさである。1階は西面に戸口を2箇所開き、内部は2室に分かれる。屋根は切妻造、桟瓦葺。装飾らしい装飾はほとんどない。
それでもこの蔵が登録に至ったのは、構法と、外壁に残された補修の痕跡による。
年代を確定させたのは古写真だった
文化庁の国指定文化財等データベースは、この蔵について「古写真より大正5年の建築であることが知られる」と記す。棟札や墨書といった建物内部の記録ではなく、外部に残された写真が年代の根拠になっている点は少し珍しい。
近代の民間建築では、こうした証拠のとり方が現実的な手段になることがある。専門の記録が残らない規模の建物でも、家や地域が撮った写真には日付が添えられていることがあり、そこに写った姿と現状を照合すれば建築年の下限が定まる。逆にいえば、写真が残っていなければこの蔵の年代は「大正から昭和初期」といった幅のある推定にとどまっていたはずである。
大正5年という年は、関東大震災の7年前にあたる。つまりこの蔵は震災を経験して建ち続けた建物であり、道路をはさんで向かい合う店舗及び主屋(昭和2年建築)とは、震災をはさんで前と後という関係にある。
木骨石造という構法
木骨石造(もっこつせきぞう)は、木の軸組を立て、その外側や柱間に石材を積んで壁とする構法である。石造の壁がもつ防火性と、木造の組みやすさを両立させる考え方で、明治から大正にかけて、石材の産地に近い地域の蔵や工場、倉庫に用いられた。
石をすべて構造材として積み上げる本格的な組積造に比べると施工の手間が少なく、開口部のまわりも木で処理できる。一方で、木と石という伸縮も重さも異なる材料を一体で働かせる難しさがあり、地震時には両者の接合部に力が集中しやすい。この弱点が現実の問題として現れたのが、大正12年の関東大震災だった。
小田原周辺は震源に近く、揺れは強かった。この蔵が倒壊を免れたこと自体が、当時の施工の質を示す一つの手がかりになる。
外観のアクセントとなった補強帯鉄
この蔵を特徴づけているのは、外壁に水平に巻かれた鉄の帯である。文化庁データベースは、これを関東大震災後に設けられた補強帯鉄と説明し、外観のアクセントになっていると評価している。
役割は明快で、石積みの壁を外側から締めつけ、地震の揺れで石が孕み出したり崩れたりするのを防ぐ。現代の耐震補強でいえば、コンクリート造の建物に鋼板を巻くのと同じ発想にあたる。震災を受けた直後の判断としては、費用も工期も抑えつつ効果が見込める、きわめて実際的な対応だった。
興味深いのは、この補強が隠されなかったことだ。帯鉄は壁の外側に露出したまま残り、灰色の石肌に濃い水平線を引いている。あとから加えられた要素が、結果として建物の外観を決める線になった。
文化財としての価値も、この点にある。建物が被災し、補修され、使われ続けたという一連の経過が、図面や記録ではなく壁の表面に残っている。修理の痕跡を消さずに残したことで、この蔵は大正から昭和にかけての地域の経験を目に見える形で保持することになった。
小さな蔵が登録されるということ
長谷川家住宅石蔵の登録番号は14-0084、第42回登録である。登録年月日は平成16年6月9日、告示は同月24日。適用された基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」だった。
登録有形文化財は、国宝や重要文化財のような「指定」とは別の制度である。指定が現状変更に許可を要する強い保護であるのに対し、登録は平成8年(1996年)に始まった届出制の枠組みで、所有者が建物を使いながら守ることを前提としている。単独では国宝級とはいえない近代の建築、とりわけ蔵や工場、住宅の附属屋のような建物を、地域の景観をつくる要素として拾い上げるための仕組みといえる。
41平方メートルの蔵がこの制度で守られていることは、その趣旨をよく示している。
見学するときに
長谷川家住宅石蔵は個人の所有で、内部は公開されていない。見学は公道からの外観に限られる。石積みの目地や帯鉄の錆の具合は道路側からでも十分に観察できるが、敷地内への立ち入りは避けたい。
最寄り駅はJR東海道本線の国府津駅で、国道1号沿いに西へ徒歩5分ほど。所在地は小田原市国府津3-2-25である。国道の向かい側、番地でいえば3-13-4に長谷川家住宅店舗及び主屋が建っており、同じ日に登録されている。徒歩1分と離れていないため、二棟をまとめて見るのが自然な回り方になる。
撮影は公道からであれば可能である。国道1号は交通量が多いので、車道に出ないよう足元に注意したい。西面の戸口2箇所は道路との位置関係によっては見えにくいことがある。
Q&A
- 長谷川家住宅石蔵はどこにありますか。長谷川家住宅店舗及び主屋との位置関係は。
- 神奈川県小田原市国府津3-2-25にあります。旧東海道である国道1号をはさんで、長谷川家住宅店舗及び主屋(国府津3-13-4)の向かい側に建ちます。二棟は徒歩1分と離れておらず、平成16年6月9日に同時登録されました。
- 長谷川家住宅石蔵の内部は見学できますか。
- 内部は公開されていません。個人所有の建物のため、見学は公道からの外観のみとなります。敷地内への立ち入りはご遠慮ください。
- 長谷川家住宅石蔵の「木骨石造」とはどのような構造ですか。
- 木の軸組を立て、その外側や柱間に石材を積んで壁とする構法です。石造の防火性と木造の施工のしやすさを両立させるもので、明治から大正にかけて蔵や倉庫、工場に用いられました。本件は木骨石造2階建、建築面積41平方メートルです。
- 長谷川家住宅石蔵の外壁に巻かれた鉄の帯は何ですか。
- 大正12年(1923年)の関東大震災後に設けられた補強帯鉄です。石積みの壁を外側から締めつけて崩れを防ぐためのもので、露出したまま残されており、文化庁データベースも外観のアクセントになっていると記しています。
- 長谷川家住宅石蔵はいつ建てられ、その年代はどのように判明したのですか。
- 大正5年(1916年)の建築です。棟札などの建物内部の記録ではなく、残された古写真との照合によって年代が知られると、文化庁の国指定文化財等データベースが記載しています。
基本情報
| 名称 | 長谷川家住宅石蔵(はせがわけじゅうたくいしぐら) |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県小田原市国府津3-2-25 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 14-0084/第42回登録/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 平成16年(2004年)6月9日登録、同年6月24日告示 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木骨石造2階建、瓦葺、建築面積41平方メートル(切妻造、桟瓦葺) |
| 所有者 | 個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開。外観のみ公道から見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)長谷川家住宅石蔵
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00004128
- 文化遺産オンライン 長谷川家住宅石蔵
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/139898
- 小田原市 登録有形文化財・長谷川家住宅石蔵
- https://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/property/tourokubunkazai/kenzoubutsu/tourokuhasegwaishigura.html
- 文化庁 有形文化財(建造物)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/
最終更新日: 2026.08.13