凍雲篩雪図とは — 墨一色で描かれた雪国の国宝
紙本墨画凍雲篩雪図(しほんぼくが とううんしせつず)は、江戸時代後期の文人画家・浦上玉堂(1745-1820)が描いた一幅の掛軸です。縦約133.5センチ、横約56.2センチの画面に、色彩を一切用いず、墨の濃淡だけで雪に閉ざされた山中の風景が表されています。1965年(昭和40年)5月29日に国宝に指定され、現在は神奈川県鎌倉市の公益財団法人川端康成記念会が所有しています。
画題の「凍雲篩雪」は、凍りついた雲が雪を篩(ふるい)にかけて降らせる、という意味です。鉛色の空から粉のような雪が舞い落ち、山肌も樹木も白く埋もれていく。その静まりかえった瞬間が、繊細な筆触の積み重ねによって定着されています。
文化庁の国指定文化財等データベースは本作を玉堂の六十代末期の作と想定し、奥羽地方を遊歴した際に接した雪景の実感が結実したものとみています。日本南画史に残る名作と評され、ノーベル文学賞作家・川端康成の旧蔵品としても広く知られる作品です。
国宝指定の理由 — 墨の諧調が生む独自の画境
国宝に指定された絵画のうち、江戸時代の作品はごく限られています。南画(文人画)の分野では、池大雅と与謝蕪村の十便十宜図、与謝蕪村の夜色楼台図などと並び、本作はその頂点に位置づけられてきました。
指定の根拠となった解説では、雪に埋もれた大自然の寂寥感が、繊細な筆触と幾度も重ねられた墨の諧調によってしっとりと表現されている点が評価されています。輪郭線で形を決めてから塗るのではなく、乾いた短い筆致と淡い墨面を何層にも重ね、その濃淡の差だけで雪と岩、雲と山を描き分ける。この手法が、降りしきる雪を透かして見ているような独特の震えを画面に与えています。
画面下方には、まだ凍りきらない渓流を示す濃い墨の帯と、小さな家屋がひっそりと描き込まれています。気づかなければ見落とすほどの存在ですが、一度目に入ると印象が変わります。厳しい冬山の中に、確かに人の暮らしがある。その対比が本作の余韻を深くしています。
玉堂の作品は本作のほかにも十数点が重要文化財に指定されていますが、国宝は本作のみです。
浦上玉堂 — 五十歳で脱藩した琴士
浦上玉堂は1745年(延享2年)、備前岡山藩の支藩・鴨方藩の藩士の家に生まれました。藩では要職を務めましたが、1794年(寛政6年)、50歳のときに二人の息子を連れて脱藩します。主家を無断で離れることが重罪とされた時代に、身分も俸禄も捨てる決断でした。
手放さなかったのは「玉堂清韻」の銘をもつ中国伝来の七絃琴です。この銘から自らを玉堂琴士と号し、以後四半世紀にわたり諸国を遊歴しました。琴を弾き、漢詩を詠み、求めに応じて山水を描く。各地の文人たちとの交流の中で育まれたその画風は、特定の流派に属さない自由なものでした。二人の息子には春琴・秋琴と名づけ、いずれも画家として立っています。
生前の玉堂は、画家としてよりも琴の名手として知られていました。その絵画が高く評価されるのは没後のことです。特に最晩年の二十年間、暮らしが窮するほどに筆は自在さを増したとされ、本作もその時期の到達点と考えられています。1820年(文政3年)、京都で没しました。
川端康成と凍雲篩雪図
本作の近代以降の歩みは、川端康成と切り離せません。川端は美術品を自らの眼で選ぶ蒐集家として知られ、その鑑識眼は、入手した本作と池大雅・与謝蕪村の十便十宜図がのちに国宝指定を受けたことからもうかがえます。
川端は本作を生涯にわたり深く愛蔵しました。入手後まもなく自筆の書付に印を押して貼り付けたと伝わり、手放す意思のなかったことがしのばれます。川端康成記念会に残る写真には、鎌倉の自邸の床の間に本作が掛けられた光景が写っています。『雪国』の作家が、雪に埋もれる山水を日々の暮らしの中に置いていたことになります。
国宝指定は1965年。川端の存命中であり、ノーベル文学賞受賞(1968年)の3年前にあたります。1972年の川端の死後、本作は遺愛のコレクションとともに公益財団法人川端康成記念会に引き継がれました。
鑑賞の機会と周辺情報
川端康成記念会は展示施設を持たず、鎌倉市長谷の旧川端邸も一般公開されていません。本作を常時見られる場所はなく、鑑賞の機会は美術館への貸出展示に限られます。
近年では大阪市立美術館「日本国宝展」(2025年)、京都国立博物館「京の国宝」(2021年)、岡山県立美術館「雪舟と玉堂」(2021年)などに出品されており、国宝絵画としては公開機会の多い部類に入ります。川端コレクション展や玉堂の回顧展が開かれる際が好機です。紙本の墨画という性質上、展示期間は数週間程度に限られることが多いため、各館の特別展情報を早めに確認することをおすすめします。
旧川端邸のある鎌倉・長谷界隈は、それ自体が見どころの多い土地です。十一面観音像とあじさいで知られる長谷寺、鎌倉大仏の高徳院はいずれも徒歩圏内。相模湾を望む昭和11年築の洋館を利用した鎌倉文学館では、川端をはじめ鎌倉ゆかりの文学者たちの資料に触れられます。江ノ電に揺られて巡る半日の散策と組み合わせれば、作品の背景にある川端の暮らしの空気を感じ取れるはずです。
Q&A
- 「凍雲篩雪」とはどういう意味ですか?
- 凍りついた雲が、篩(ふるい)にかけるように雪を降らせる情景を表した画題です。粉雪が鉛色の空から絶え間なく舞い落ちる、雪国の冬の一瞬を言い表しています。
- どこに行けば見られますか?
- 常設展示はありません。所有者の川端康成記念会は展示施設を持たないため、美術館の特別展に貸し出される際が唯一の鑑賞機会です。各地の国立・県立美術館の展覧会情報を確認してください。
- いつ頃描かれた作品ですか?
- 画面に年記はなく、正確な制作年は不明です。文化庁は作風などから玉堂の六十代末期、1810年代頃の作と想定しています。
- 川端康成はなぜこの絵を所蔵していたのですか?
- 川端は自らの審美眼で古美術を蒐集しており、本作はその中でも特に深く愛蔵した一点と伝わります。入手後に自筆の書付を貼り付けたという逸話も残っています。
- 浦上玉堂のほかの作品も国宝ですか?
- 国宝は本作のみです。ただし山水図や双峯挿雲図など十数点が重要文化財に指定されており、出光美術館や愛知県美術館などが所蔵しています。
基本情報
| 名称 | 紙本墨画凍雲篩雪図〈浦上玉堂筆〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(絵画)・指定番号00142 |
| 指定年月日 | 1965年(昭和40年)5月29日 |
| 員数 | 1幅 |
| 時代 | 江戸時代(玉堂六十代末期・1810年代頃の作と想定) |
| 作者 | 浦上玉堂(1745-1820) |
| 寸法 | 約133.5×56.2センチ(資料により数値に若干の差がある) |
| 所有者 | 公益財団法人川端康成記念会(神奈川県鎌倉市長谷) |
| 公開状況 | 常設展示なし。美術館の特別展への貸出時のみ公開 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「紙本墨画凍雲篩雪図〈浦上玉堂筆〉」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/148
- 文化遺産オンライン「紙本墨画凍雲篩雪図〈浦上玉堂筆〉」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/159075
- 公益財団法人川端康成記念会
- https://www.kawabata-kinenkai.org/
- 浦上玉堂顕彰サイト 玉堂画ギャラリー
- https://urakami-gyokudo.jp/gyokudo/gallery.html
最終更新日: 2026.06.10