建長寺梵鐘 ― 禅寺の創建を見つめてきた洪鐘

建長5年(1253年)の創建からわずか2年後、建長7年(1255年)2月に一口の大鐘が鋳上げられ、三門の右手に立つ茅葺き屋根の鐘楼に掛けられた。以来、この梵鐘は同じ場所に下がり続けている。総高は2メートルを超え、口径は1.25メートルほど。創建当初の数少ない遺品の一つであり、建長寺が所有する唯一の国宝でもある。

鐘身をめぐる銘文には、この鐘に関わった三人の名が陽鋳されている。寺を開いた大檀那の北条時頼、初代住持として銘文を撰した蘭渓道隆、そして鋳造を担った大工の物部重光である。日本で最初の本格的な禅の修行道場として開かれ、鎌倉五山の第一位に列せられた巨刹の歴史が、この一口の鐘に凝縮されている。

銘文が記す三人

建長寺梵鐘の価値は、その造形だけにあるのではない。誰が発願し、誰が文を草し、誰が鋳たのかが、年月日とともに正確に刻まれている点にも大きな意味がある。中世の工芸品でこれだけの情報がそろう例は多くない。

大檀那の北条時頼(1227〜1263年)は鎌倉幕府第5代執権であり、建長寺の開基にあたる。銘文には、時頼が千人の人々に勧めて共にこの「大器」を成したという趣旨の文言が見える。一口の鐘の背後に、多くの結縁者を募る勧進の営みがあったことがうかがえる。

銘文を撰した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう、1213〜1278年)は、南宋から寛元4年(1246年)に渡来した禅僧である。時頼は道隆を開山に迎え、建長寺では日常的に中国語が用いられ、伽藍配置も大陸の様式に倣ったと伝わる。道隆が記した文中の「建長禅寺」の語は、日本における「禅寺」の文献上の初見の一つに数えられることがある。

鋳造を担った物部重光は大和権守を称し、関東の鋳物師の筆頭として工房を率いた。鎌倉時代を中心に活躍した物部一族のうち、最初に記録に現れる鋳師である。本鐘に先立つ寛元3年(1245年)には武蔵慈光寺の鐘を鋳ており、建長寺の鐘を手がけた頃には技量の充実した時期にあった。

国宝指定の理由

建長寺梵鐘は明治42年(1909年)に重要文化財(当時の特別保護建造物・国宝)に指定され、昭和28年(1953年)11月14日、近隣の円覚寺梵鐘とともに国宝に指定された。文化庁の解説では、両鐘は鎌倉時代の梵鐘の双璧と評されている。さらに、円覚寺・常楽寺の鐘とあわせて「鎌倉三名鐘」にも数えられる。

建長寺の鐘を特徴づけるのは、わずかに古い時代へと振り返るような作風である。正安3年(1301年)鋳造の円覚寺鐘が純然たる鎌倉様式であるのに対し、半世紀近く先行するこの鐘は、平安時代以来の手法をいくつか留めている。撞座が鐘身のやや高い位置に置かれ、高さに比して口径がやや大きく、堂々とした構えを見せる点などである。文化庁の解説はこれを「古調に依る」と表現しており、様式の境界をまたぐこの両義性こそが、梵鐘史を学ぶうえで本鐘を貴重なものにしている。

見どころ

総高207.2センチメートル、口径124.5センチメートル。観察はまず上部から始めたい。吊り手にあたる竜頭は高さ約42.7センチメートルにおよび、雄健な姿に鋳出されている。その下の笠形は低く、上端を水平に保つため、輪郭のなかで竜頭がいっそう際立つ。

視線を下げると、肩と裾をめぐる二条の帯が目に入る。上帯には雲文、下帯には唐草文が鋳出されている。両者のあいだに並ぶ乳は、円柱状の簡素な形で、五段七列に配される。装飾は密に過ぎず、要所を引き締める端正さがこの鐘の身上といえる。

鐘身には、長い年月のあいだ撞木が触れて滑らかになった撞座がある。その位置がやや高いことが、古い様式を受け継いだ最もわかりやすい徴である。銘文は彫り込みではなく陽鋳で、二区一縦帯に立ち上がる。古典に親しむ来訪者であれば、年紀や大檀那の名を読み取ることもできるだろう。

この鐘には「夜泣き鐘」という土地の異名もある。音色が人の泣き声に似ると言い伝えられたことによるという。明治28年(1895年)にこの地を訪れた夏目漱石は、建長寺の鐘と散る銀杏を結んだ句を残しており、その情景は今もこの場所に重ねて語られる。本鐘は硝子越しに眺める収蔵品ではなく、現在も撞かれている。国宝に指定された梵鐘のなかで、なお日常的に使われ続ける数少ない一口である。

建長寺をめぐる

鐘楼は三門を入ってすぐ右手にあるため、境内に足を踏み入れて一分とかからず到達できる。そこから先、伽藍は一直線に並ぶ。三門、仏殿、法堂、方丈が中国式の配置で連なり、境内全体が国の史跡に指定されている。方丈の背後に広がる庭園は蘭渓道隆の作と伝わり、時間をかけて眺めたい場所である。

建長寺はJR横須賀線の北鎌倉駅から徒歩15分ほど、禅寺の集まる静かな谷あいに位置する。国宝指定を分かちあう円覚寺梵鐘を擁する円覚寺は駅のすぐ脇にあり、浄智寺、東慶寺、紫陽花で知られる明月院もいずれも歩いて回れる範囲にある。食事をとるなら、野菜と豆腐の汁物「けんちん汁」を探してみるとよい。その名は建長寺の台所に由来するとも言われている。

Q&A

Q梵鐘を間近で見ることはできますか。
A三門を入ってすぐ右手の開放された鐘楼に下がっているため、境内で最初に出会う見どころの一つです。自由に眺めることができますが、鐘楼の内部には立ち入りません。
Qこの鐘は今も撞かれていますか。
A現在も使われており、これは国宝の梵鐘としては珍しいことです。なお境内には別の吊鐘もあり、除夜の鐘は通常、修行道場の脇にある鐘で撞かれます。
Qいつ鋳造されたものですか。
A銘文により建長7年(1255年)2月の鋳造とわかります。寺の創建(1253年)の2年後にあたり、建長寺に現存する最も古い遺品の一つです。
Q銘文はなぜ重要なのですか。
A大檀那・撰文者・鋳師の名と年紀が正確に記されており、中世の工芸品としては貴重です。また「建長禅寺」の語を含み、日本における「禅寺」の文献上の初見の一つに数えられることがあります。
Q建長寺へのアクセスを教えてください。
AJR横須賀線の北鎌倉駅から徒歩15分ほどです。途中に円覚寺や浄智寺があり、複数の寺院をあわせて巡りやすい道のりです。

基本情報

名称梵鐘(ぼんしょう)/建長寺
所在地神奈川県鎌倉市山ノ内8
所有者建長寺
指定区分国宝(工芸品)。明治42年(1909年)4月5日重要文化財指定、昭和28年(1953年)11月14日国宝指定
時代・年代鎌倉時代・建長7年(1255年)
員数1口
材質鋳銅製
寸法総高207.2センチメートル、竜頭42.7センチメートル、口径124.5センチメートル
関係者大檀那:北条時頼/撰文:蘭渓道隆/鋳師:物部重光(大和権守)
アクセスJR横須賀線・北鎌倉駅から徒歩約15分
拝観三門を入ってすぐの鐘楼で見学可。通常の拝観料が必要

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/417
建長寺|臨黄ネット(臨済宗・黄檗宗 各派総本山)
https://rinnou.net/head-temple/kencho/
国宝-工芸|梵鐘[建長寺/神奈川]|WANDER 国宝
https://wanderkokuho.com/201-00417/
建長寺梵鐘〜鎌倉三名鐘:国宝〜|鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kentyoji-bonsho.htm

最終更新日: 2026.06.11