網元が建てた、式台玄関のある家
高知県の東のはし、四国でいちばん面積の小さい田野町。旧国道沿いに古い家並みが残るこの町に、有沢家住宅主屋は建っている。道路からわずかに奥へ引いた敷地の北西の隅に、床付き三畳の式台玄関がある。式台とは、もともと格式ある家が客を迎えるための板敷きの段で、家の格そのものを示すものだった。
有沢家は、武士の家ではない。網と船、漁師たちを抱えて漁を差配した網元、つまり海で身代を築いた家である。それでも昭和12年(1937)に完成したこの家は、郷士住宅の系譜をひく。郷士は、土佐藩で武士と庶民のあいだに置かれた在郷の身分で、有沢家の暮らしぶりは身分の上ではそこに属していなかった。にもかかわらず、式台玄関を構え、奥に格の高い座敷を据える。その選択にこそ、この家の性格があらわれている。
建物は派手なところがない。桁行四間・梁間五間ほどの木造二階建で、棟を東西に通し、切妻造の屋根に桟瓦を葺く。南北の両面には下屋がまわり、背後には炊事のための釜屋が渡廊下でつながって突き出す。間取りは西側に改まった部屋を寄せ、北西に式台玄関、南西に八畳の座敷を置く。建築面積はおよそ102平方メートル。網元の家としては大きすぎず、しかし格式の置きどころははっきりしている。
昭和12年の家が、なぜ国の登録文化財なのか
有沢家住宅主屋は、登録有形文化財である。国宝や重要文化財とは仕組みが異なる。登録の制度は平成8年(1996)に設けられたもので、明治から昭和にかけて建てられた膨大な建物――旧来の指定制度では数が多すぎ、また新しすぎて扱いきれなかった建築――を守るための、ゆるやかな枠組みである。所有者は外観の保存と、大きく手を加える前の届け出を約束し、その代わりに建物は公に位置づけられ、いつのまにか取り壊される危うさから少し遠ざかる。有沢家住宅主屋が登録されたのは平成15年(2003)12月1日、登録番号は39-0116、登録基準は「造形の規範となっているもの」である。
評価されているのは、凝った造作よりも、間取りに刻まれた社会の姿のほうだろう。身分の枠の外にいた海の家が、昭和の時代に、武家・郷士の流儀で家を構えた。改まった玄関、客のための座敷、公私を分ける明快な区切り。これらはもともと格上の家の作法であり、それを網元が自分の家に取り込んだ。
この家は単独で残っているわけではない。同じ平成15年12月の同じ日に、田野町のいくつかの住宅がそろって登録されている。濱川家、佐野家などがそれにあたる。商人や網元がどう暮らしたかを、町ぐるみで今に伝える小さな建物群があり、有沢家住宅主屋はそのなかの確かな一葉である。
見どころと、見るときの作法
はじめに実際的なことを。有沢家住宅主屋は、博物館ではなく個人の建物である。受付も見学コースもなく、町の歴史的な家並みの一軒として、道から眺めるのが基本になる。公道から離れず、住む人の暮らしに配慮したい。
そのうえで、ゆっくり見たい点がいくつかある。まず、家が旧国道の際まで出ず、奥へ退いて建つこと。前に空けた庭が、玄関にひとつの構えを与えている。切妻の妻側に立てば、屋根の三角と軸組の取り合いが読める。屋根の桟瓦は、この時期に各地へ広まった波形の瓦で、屋根面にそろった起伏を見せる。両側面の下屋は、二階建の量感をやわらげている。道からのぞくだけでも、式台玄関がこの家の調子を決めていることはわかる。
内部は公開されていないので、近くにある「中に入れる家」を組み合わせて回ると、有沢家が属していた世界が見えてくる。ひとつは岡御殿、もうひとつは浜口雄幸旧邸。どちらも次に触れる。
田野町を歩く
小さな町でありながら、田野には駅から歩いて、あるいは自転車でまわれる範囲に歴史が詰まっている。
- 岡御殿。 江戸期の田野は商いで栄え、米屋の岡家はその筆頭の豪商だった。天保15年(1844)に建てた屋敷は、参勤交代や東部巡視で土佐藩主が通るさいの本陣として使われた。いまは高知県有形文化財として公開され、書院造の御殿や展示室を見学できる(大人500円程度)。有沢家が手本とした「格式の空間」を、内側から確かめられる場所である。
- 浜口雄幸旧邸。 昭和4年(1929)に内閣総理大臣となった浜口雄幸は、明治22年(1889)に田野の浜口家へ養子に入った。その住まいが、町の郷士系の建物の代表例として残り、邸前には雄幸自筆の句碑が立つ。
- 福田寺と二十三士。 田野駅から東へ少し歩いた福田寺に、野根山二十三士の墓がある。元治元年(1864)、武市半平太の釈放を求めて挙兵し、奈半利河原で斬首された土佐の志士たちで、首領の清岡道之助は田野の郷士の出だった。
- 塩とうなぎ。 田野は完全天日塩で知られ、ゆっくりと水を蒸発させる工程を見学・体験できる施設がある。町のうなぎは特産で、塩を使った塩バニラアイスも生まれた。
- 大野台地。 町を見下ろす海岸段丘で、斜面は段々畑になっている。晴れた日は東に室戸岬、西に足摺岬まで見渡せ、冬には沈む夕日がつぶれて「だるま夕陽」になることがある。
田野町は国道55号(土佐東街道)沿い、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の田野駅とともにある。駅は道の駅「田野駅屋」と一体で、地図や地場産品、軽食をそろえる最初の立ち寄り先によい。車なら高知龍馬空港からおよそ1時間。
Q&A
- 有沢家住宅主屋の内部は見学できますか。
- いいえ。公開された施設ではなく個人の登録建造物のため、見学は公道からの外観のみとなります。同時代・同じ土地柄の内部を見たい場合は、近くの岡御殿や浜口雄幸旧邸へ。
- そもそも「網元」とは何ですか。
- 網と船を所有し、漁師を雇って漁を経営した人のことです。漁獲の大きな取り分を得ました。有沢家の身代はこの海の生業から生まれており、その家が郷士住宅の流儀で建てた点に、この建物のいちばんの読みどころがあります。
- いつ建てられ、どう守られているのですか。
- 昭和12年(1937)の完成で、平成15年(2003)12月1日に国の登録有形文化財となりました(登録番号39-0116)。登録は、国宝や重要文化財の指定よりゆるやかな保護で、おもに外観の保存をはかる仕組みです。
- 田野町へのアクセスは。
- 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の田野駅が便利で、駅は道の駅「田野駅屋」を兼ねています。車の場合は国道55号沿い、高知龍馬空港からおよそ1時間です。
- 訪ねるのによい時季はありますか。
- 温暖な気候で、家並みを歩くにはどの季節も歩きやすいです。春には地域の古い家々をめぐる雛祭りの催しがあり、冬は大野台地から「だるま夕陽」を狙えます。
基本データ
| 名称 | 有沢家住宅主屋(ありさわけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 高知県安芸郡田野町2391-2 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 平成15年(2003)12月1日/登録番号 39-0116/登録基準:造形の規範となっているもの |
| 建築年 | 昭和12年(1937) |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 木造二階建、東西棟、切妻造、桟瓦葺、南北両面に下屋、背後に釜屋と渡廊下、桁行四間・梁間五間規模 |
| 建築面積 | 約102平方メートル |
| アクセス | ごめん・なはり線 田野駅/国道55号沿い/高知龍馬空港から車で約1時間 |
| 公開状況 | 個人の建物。公道からの外観のみ |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁):有沢家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003759
- 田野町公式サイト:浜口雄幸旧邸
- https://tanocho.jp/life/detail.php?hdnKey=374
- 道の駅 田野駅屋:田野町の歴史
- https://www.tanoekiya.com/tano/history.html
- ひがしこうち旅:福田寺・野根山二十三士
- https://higashi-kochi.jp/spot/detail.php?id=272
- こうち旅ネット:浜口雄幸旧邸
- https://kochi-tabi.jp/search_spot_sightseeing.html?id=316
最終更新日: 2026.06.20