陣ノ内城跡 ― 緑川を望む台地に残る方形城郭の輪郭

陣ノ内城跡は、熊本県のほぼ中央に位置する甲佐町、標高約100メートルの平坦な台地の上にある。台地の縁に立つと、地面は緑川とその流域に広がる平野へと落ちていく。ここに残るのは天守でも石垣でもなく、城を形づくった骨格そのものである。内側をめぐる土塁と、その外側に沿って掘られた幅広い空堀。いずれも400年以上を経た今も明瞭に読み取れる。

発掘調査によって、城の規模は東西210メートル以上、南北190メートル以上に及ぶことが確認された。北西と南東の隅に虎口を備えた、ほぼ方形の縄張りである。令和3年(2021年)10月に国の史跡に指定され、令和7年(2025年)9月にはさらに範囲が追加指定された。

大宮司の館から豊臣系大名の城へ

この場所は、記録に残る歴史の大半において別の名で呼ばれてきた。江戸時代中期の文献は、ここを阿蘇大宮司の館跡と記している。阿蘇大宮司は阿蘇神社に仕えた世襲の神職であり、地元の伝承はこの地を15世紀から16世紀にかけて活動した阿蘇惟時・阿蘇惟前と結びつけてきた。阿蘇氏は阿蘇山麓から益城郡にわたる広い領域を治めた一族で、甲佐はその所領が熊本平野へと開ける接点にあたっていた。

別の名で記された古い記録も、緑川のこの一帯が領主にとって重要であったことを裏づける。南北朝期の軍忠状には「甲佐獄」「甲佐城」が、戦国期の上井覚兼の日記には「甲佐の囲」が現れる。陣ノ内城そのものを明記した一次史料は確認されていないが、立地の戦略的な重みは疑いようがない。

この城の解釈は、考古学的な調査によって大きく転換した。空堀と土塁の規模、そして縄張りの構成は、神職の館というよりも、豊臣系大名が築いた城に通じるものだった。天正16年(1588年)に肥後南部へ入部したキリシタン大名・小西行長が、現在ではその築城者として最有力視されている。行長は阿蘇氏がすでに拠点を置いていた場所にこの城を築いたと考えられ、調査結果を受けて指定名称は「陣ノ内館」から「陣ノ内城跡」へと改められた。

国史跡に指定された理由

肥後国には中世の城館跡が数多く残るが、これほどの規模を持つものは少なく、ここまで良好な状態で遺構をとどめる例はさらに限られる。規模と保存状態のこの組み合わせが、国指定史跡とされた根拠の中心にある。後世の耕作や建設が土塁を削り取らなかったため、訪れた人は今も空堀と土塁の全周を、ひとつの設計として追うことができる。

長く使われ続けた理由は、その立地にある。甲佐は緑川が表情を変える地点にあたり、上流の急流がここで舟運に適した穏やかな流れへと移る。城跡はまた、小西行長の本城である宇土城と、山間の支城である愛藤寺城を結ぶ陸路の上にも位置していた。ここに城を構えれば、川と道、二種類の交通を同時に押さえることができた。

発掘調査では中国産の輸入陶磁器が出土している。これは一定の格式を持つ家が営まれ、内陸のこの地まで交易が及んでいたことを示しており、中世から近世にかけて格式の高い利用が続いていた可能性を裏づける。さらに広い文脈もある。1588年前後は、阿蘇氏をはじめとする旧来の在地勢力から、豊臣政権下で任じられた大名へと肥後の支配が移った時期にあたる。阿蘇氏が最初に用い、その後おそらく小西行長によって築き直されたこの城跡は、その権力の移行を考えるうえで貴重な実物の手がかりであり、研究者がこの地を重視する理由のひとつとなっている。

訪れたときに注目したい見どころ

まず目に入るのは空堀である。北側から東側にかけて、その幅は約20メートルに達する。南東側の登城口付近に立つと、その規模に思わず足が止まる。空堀の内側にめぐる土塁は、今なお高さおよそ5メートル、基部の幅およそ10メートルを保つ。土塁の上に登ると、方形の縄張りの輪郭と、これを築くために動かされた土の量とが、はっきりと感じ取れる。

隅の部分には目を向ける価値がある。縄張りは基本的に直線で構成され、後世の石垣の城に見られる複雑な横矢掛かりは持たない。それでも北西隅には、鈎状に折れ曲がった屈折が残る。攻め寄せる者の側面をさらすために工夫された、小さな防御の幾何学である。北西と南東の二つの虎口は、かつて人と物が出入りした場所を今に伝える。

土塁の上に立てば、地面は緑川へと下っていく。晴れた日には、この城が見張るために築かれた平野までを視界に収めることができ、立地の理屈が地図では伝わらない形で腑に落ちる。

周辺の楽しみ方

城跡の敷地は開放されており、自由に立ち入ることができる。南東の入口近くに数台分の駐車スペースがあり、そこから順路に従って深い空堀を見ながら進むと、方形の城郭の入口にたどり着く。歩くのは舗装路ではなく起伏のある土の遺構の上であり、雨上がりには草が濡れていることもあるため、歩きやすい靴を勧めたい。

甲佐町は緑川を中心に成り立った町で、川辺での過ごし方が町の魅力の多くを形づくっている。城跡からほど近い川沿いに鎮座する甲佐神社は、阿蘇神社に連なる阿蘇四社のひとつに数えられ、肥後国の二宮とされる古社で、その起こりは9世紀にさかのぼる。町はまた「やな場」でも知られる。甲佐のやな場は寛永10年(1633年)に肥後藩主・細川忠利の命で設けられたもので、藁葺き屋根の川辺の東屋では、暖かい時期に、九州のこの地で珍重される鮎の料理が今も供されている。

Q&A

Q陣ノ内城跡には城の建物が残っていますか。
A建物は残っていません。天守も門も石垣もなく、遺構は土の構造そのものです。高い土塁と幅広い空堀がめぐる、ほぼ方形の城郭が残ります。これらは当時のままの遺構で、肥後の中世城館跡としては珍しく良好な状態を保っています。
Qこの城を築いたのは誰ですか。
A古くは阿蘇神社の神職である阿蘇大宮司の館と伝えられてきました。その後の発掘調査で、規模や縄張りが豊臣系大名の城に類似することが分かり、現在は天正16年(1588年)前後に小西行長が、阿蘇氏がすでに利用していた地に築いたとする見方が有力です。
Q見学にはどのくらい時間がかかりますか。
A空堀と土塁をたどり、城郭内を横切るだけなら30分から45分ほどです。北西隅の屈折や二つの虎口など、遺構の細部に関心がある方は1時間ほど見ておくとよいでしょう。
Qどうやって行けばよいですか。
A所在地は熊本県上益城郡甲佐町大字豊内です。車での来訪が現実的で、九州自動車道の御船インターチェンジから甲佐町中心部方面へ向かうと近い距離にあります。南東の入口近くに数台分の駐車スペースがあります。
Qいつ訪れるのがよいですか。
A土塁や空堀の形がもっとも読み取りやすいのは、草が低く木々が葉を落とす晩秋から冬にかけてです。春と秋は歩きやすい気候で、暖かい時期なら川辺のやな場での鮎料理とあわせて訪れることもできます。

基本データ

名称陣ノ内城跡(じんのうちじょうあと)
所在地熊本県上益城郡甲佐町大字豊内
指定区分国指定史跡
指定年月日令和3年(2021年)10月11日/令和7年(2025年)9月18日 追加指定
時代中世後期~近世(16世紀)
指定面積約80,088平方メートル
城郭の規模東西210メートル以上・南北190メートル以上、ほぼ方形の縄張り
残る遺構土塁、空堀、虎口2カ所
管理団体甲佐町
見学敷地は開放、自由に見学可。南東入口付近に駐車スペースあり(数台分)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00004148
文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/592450
甲佐町公式ウェブサイト「陣ノ内城跡(じんのうちじょうあと)」が国指定史跡に決定
https://www.town.kosa.lg.jp/q/aview/1/7710.html

最終更新日: 2026.05.22