没する一月前に書かれた一通

嘉禄三年(1227年)三月二十二日、僧・俊芿は筆をとり、弟子の心海へ自らの法をすべて嗣がせたことを証する一通をしたためた。その約一月後、俊芿はこの世を去る。一幅に表装されたこの文書が「附法状(ふほうじょう)」であり、京都・東山の泉涌寺に現存する。国が文化財に与えうる最高位、国宝の指定を受けている。

附法(付法とも記す)とは、仏教において師がその教えと法系を選んだ後継者へ授けることをいう。その事実を記した文書は、後継者であることの証明書であると同時に、書き手の遺言にも近い性格をもつ。附法状そのものは短い。重みは、その文書が示す事柄と、筆をとった人物の名から生まれている。

俊芿(1166〜1227)は肥後国、いまの熊本の出身である。十八歳で剃髪し、大宰府に近い観世音寺で具足戒を受けた。正治元年(1199年)には宋へ渡り、およそ十二年にわたって禅・律・天台の教学を学んで建暦元年(1211年)に帰国する。宇都宮信房から荒廃した仙遊寺を寄進された俊芿は、これを再興し、境内に湧き出た清水にちなんで泉涌寺と改めた。律・密・禅・浄土の四宗を兼ね学ぶ稀有な道場として、寺は歩み始める。

国宝に指定された理由

附法状が国宝(古文書)に指定されたのは、昭和二十七年(1952年)十一月二十二日のことである。その評価の背後には、二つの要素がある。

一つは、これを書いた手である。俊芿は能書家として知られ、その名は宋朝においても高く評価されたという。日本に宋風の新しい書風をもたらした功績は大きい。同じ泉涌寺が所蔵するもう一点の国宝、再興のための喜捨を募って承久元年(1219年)に著した「泉涌寺勧縁疏」は、宋の黄山谷の書風に通じる流麗な行書で記され、その影響をはっきり示す。二つの墨跡は、現存する俊芿の書の中核として併せて研究されてきた。

もう一つは、この文書が記す内容である。附法状は、俊芿の法系が次代へと受け継がれた瞬間を、晩年の自筆によって定着させている。泉涌寺に育った一派にとって、これは単なる書状ではなく、開創にかかわる根本史料である。日付は俊芿の死の近さを反映する。文書は嘉禄三年三月二十二日付であり、俊芿は同年、閏三月八日に没した。なお国指定文化財等データベースの年代欄は「1277年」と記すが、これは紙面に記された元号(嘉禄三年)とも俊芿の生没年とも矛盾しており、1227年の誤記とみられる。

実際に見られるもの

はじめに正直に記しておきたい。附法状は十三世紀の脆弱な紙の文書であり、多くの紙本国宝と同じく常時公開されてはいない。平成三十〜三十一年(2018〜2019年)に修理が行われた。原本が姿を見せるのは、京都国立博物館などでの特別展や、寺の宝物館での企画展示といった限られた機会に限られる。原本の前に立つことだけを目的に旅程を組むのは現実的ではなく、出会えるかどうかは展示日程しだいである。

それでも泉涌寺を訪ねれば、この文書が生まれた世界に触れられる。宝物館「心照殿」は平成十六年(2004年)に開館し、寺に伝わる書跡・絵画・経典・古文書をテーマごとに入れ替えて公開している。展示替えは年に数回あり、伽藍拝観料の範囲で観覧できる。訪れた日によって、歴代天皇の御尊影や仏画、寺宝の一点が壁にかかっているかもしれない。

俊芿その人も、いまなお境内にいる。卵形の無縫塔である墓は、重要文化財の開山堂の内に立つ。そこまで登れば、この一幅を書いた人物のすぐそばに立つことになる。仏殿には釈迦三尊像が安置され、天井には狩野探幽筆と伝わる龍が描かれる。楊貴妃観音堂には南宋時代の観音菩薩坐像が安置され、唐の楊貴妃にちなんだ通称で長く親しまれ、今日では良縁を願う人々が訪れている。

泉涌寺の周辺

泉涌寺は月輪山の麓、静かな谷あいにあり、はるかに賑わう東福寺からほど近い。徒歩でめぐれば、両寺をあわせて半日の道のりにちょうどよい。境内の月輪陵に鎌倉時代以来の歴代天皇陵が営まれることから、寺は「御寺(みてら)」と呼ばれてきた。大門から仏殿へと下っていく長い参道は、登るのではなく降りてゆく、京都でも珍しい入り方である。

京都駅からは市バス208系統で「泉涌寺道」へ向かい、そこから坂を十五分ほど登ると境内に着く。JR・京阪の東福寺駅からは徒歩で二十分ほど。道にはゆるやかな坂が含まれるので、歩きやすい靴がよい。日程に余裕があれば、縦十六メートル・横八メートルの大涅槃図は毎年三月の数日間に公開され、一月には塔頭をめぐる泉山七福神巡りが新春の恒例として親しまれている。

Q&A

Q泉涌寺を訪ねれば附法状の原本を見られますか。
A通常は見られません。脆弱な紙本国宝のため収蔵されており、特別展や宝物館の企画展示といった限られた機会にのみ公開されます。原本の観覧を期待される場合は、寺の行事カレンダーや博物館の予定を事前にご確認ください。
Q「附法状」とはどのような文書ですか。
A仏教で師が自らの教えと法系を特定の弟子へ授けたことを記す文書です。ここでは俊芿が、弟子の心海へ法を嗣がせたことを証しており、本人の証明書であると同時に、その法系の根本となる記録でもあります。
Q俊芿の書はほかでも見られますか。
Aもう一点の代表作「泉涌寺勧縁疏」も同じ泉涌寺が所蔵する国宝です。附法状と同様に公開の機会は限られますが、二点はしばしば併せて論じられ、ともに展示されることもあります。
Q文書が公開されていなくても泉涌寺を訪ねる価値はありますか。
Aあります。仏殿、楊貴妃観音、心照殿の企画展示、月輪陵、そして開山堂にある俊芿の墓まで、原本が収蔵中であっても寺の全体像をたどることができます。
Q建物や寺宝を撮影できますか。
A宝物館を含め、建物内での写真・ビデオ撮影は一切禁止されています。屋外の境内や参道は、おおむね撮影が可能です。

基本データ

名称附法状〈俊芿筆/嘉禄三年三月廿二日〉
指定区分国宝(古文書)
国宝指定年月日昭和二十七年(1952年)十一月二十二日
員数一幅
時代・年代鎌倉時代・嘉禄三年(1227年)
所有者泉涌寺(京都府)
所在地京都市東山区泉涌寺山内町27
公開状況常時公開はなく、特別展等で随時公開。境内拝観は3〜11月9:00〜16:30(閉門17:00)、12〜2月9:00〜16:00(閉門16:30)。伽藍拝観大人500円。

References

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/806
御寺 泉涌寺 公式サイト 拝観ご案内
https://mitera.org/guide
京都国立博物館 特集陳列「皇室の御寺 泉涌寺」
https://www.kyohaku.go.jp/old/jp/theme/floor1_3/f1_3_koremade/2016_mitera.html
文化庁広報誌「ぶんかる」 泉涌寺特集
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/bunkazai/bunkazai_032.html
文化遺産オンライン 泉涌寺勧縁疏(併載の国宝)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197850

最終更新日: 2026.06.05