39口という数字 ― 一括出土の全国最多

島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸は、島根県雲南市加茂町岩倉の加茂岩倉遺跡から出土した弥生時代の青銅製祭祀具39口で、平成11年(1999年)6月7日に重要文化財、平成20年(2008年)7月10日に国宝に指定された。種別は考古資料。所有は国(文化庁)で、島根県立古代出雲歴史博物館が保管する。

一括出土数として全国最多である。それまでの記録は滋賀県野洲市大岩山遺跡の24口で、39口はこれを大きく上回った。銅鐸は全国でおよそ470口余りが知られ、近畿地方を中心に西日本へ分布するが、そのうち50口が出雲地方から出ている。加茂岩倉の39口はその大半を占める。

発見は平成8年(1996年)10月14日、農道建設工事の掘削中に起きた。重機の作業中に異音がしたため止めて確認したところ、緑青に覆われた銅鐸が土中から現れた。同日夕に記者会見が行われ、翌15日に加茂岩倉遺跡と命名されている。発掘調査は翌年まで2年にわたった。

国宝指定の根拠 ― 量ではなく、関係

数の多さは指定理由の一つにすぎない。むしろ評価されたのは、39口が互いに、また他の遺跡とどう結びつくかである。

型式が複数にまたがる。外縁付鈕1式19口から扁平鈕2式、突線鈕1式まで含まれ、弥生中期から後期にかけての銅鐸の変遷を一つの埋納坑でたどれる。

同笵関係が15組26口におよぶ。同笵銅鐸とは同じ鋳型で作られた銅鐸をいう。この関係にある銅鐸が和歌山県・鳥取県・兵庫県など西日本各地に分布しており、当時の広域的な交流を示す物証となる。

絵画銅鐸が7口含まれる。鹿・猪・亀・スッポン・トンボなどが線刻で表される。弥生時代の人々が何を描く対象としたかを直接示す資料は多くない。

約3キロメートル離れた荒神谷遺跡と結びつく。荒神谷では銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6口が出土しており、両遺跡の出土品に共通する「×」印が確認されている。二つの遺跡は切り離して理解できない。

埋め方 ― 入れ子と、鰭の向き

39口は無造作に埋められたのではない。大型鐸のなかに小型鐸を入れた入れ子の状態で埋納されていた。12組が入れ子のまま出土し、残り3組も元は入れ子であったと推定されている。大型はおよそ45センチメートル、小型はおよそ30センチメートルである。

置き方も揃っている。銅鐸は横に寝かされ、鰭を上下に向け、口と口を合わせるように並べられていた。CTスキャン調査により、銅鐸の内部には周囲の埋土とは異なる土砂が意図的に詰められていたことが分かっている。埋めるという行為そのものが、手順の定まった祭祀だったことを示す。

39口のうち14口の鈕には、鋭利な刃物で「×」印が刻まれていた。鈕は銅鐸を吊るための取手にあたる。同じ印が荒神谷遺跡の銅剣にも確認されており、両遺跡を結ぶ手がかりとなっている。銅鐸に宿る霊が再び地上へ現れないよう封印したものとする説があり、新しい祭祀へ移る際に古い祭具を鎮めて埋めた可能性が指摘されている。

銅鐸という器物 ― 聞くものから見るものへ

銅鐸は弥生時代、紀元前3世紀頃から紀元後3世紀頃にかけて日本で製作された鐘形の青銅器である。使途は確定していない。農耕の豊作を祈る祭器とする見方と、揺り動かして鳴らす楽器とする見方が並び立つ。

形式には大きな変化がある。古い型は高さ20センチメートルから50センチメートル程度で、内部に舌を持ち実際に鳴らすことができた。新しい型は鳴らす機能を失い、高さ1メートルを超える大型のものも現れる。前者を聞く銅鐸、後者を見る銅鐸と呼び分ける。

加茂岩倉の39口には流水文9口と袈裟襷文30口の二種類の文様がある。流水文の9口はいずれも畿内南部の工人集団が製作した横型流水文で、出雲と畿内の交流を示す。袈裟襷文にも同一工房で製作されたと推定されるまとまりがあり、当時の生産体制を読む材料となる。

絵画の主題にも地域性が認められる。トンボは空を飛ぶことから銅鐸上部の区画に描かれ、鹿は土地の精霊として扱われたと考えられている。この表現には他地域に見られない独自性があり、出雲地方で製作された可能性を示す根拠の一つとされる。

見学 ― 実物と、出土地

実物39口は島根県立古代出雲歴史博物館が保管する。出雲大社のすぐ東隣にあり、常設展示室では加茂岩倉の銅鐸39口と荒神谷遺跡の銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6口が同じ空間に並ぶ。両遺跡の関係を実物で確かめられる場所は他にない。

ただし同館は耐震改修と展示リニューアルのため、2025年4月から2026年9月まで休館している。再開は2026年10月の予定である。休館中も体験工房や庭園での催しは続いているが、銅鐸そのものは見られない。訪問前に博物館の告知を確認してほしい。

出土地には加茂岩倉遺跡ガイダンスが設けられている。農道工事でV字状に分断された丘陵の両側を橋状につなぐ構造で建てられており、埋納坑の位置と地形の関係を現地で把握できる。開館は午前9時から午後5時、休館は毎週火曜日(祝休日を除く)と12月29日から1月3日まで。遺跡・ガイダンスとも入館は無料である。

交通はJR木次線の加茂中駅から車で約10分。無料駐車場がある。約3キロメートル北西の荒神谷遺跡とあわせて訪ねると、「×」印で結ばれた二つの遺跡の距離が体感できる。

Q&A

Q島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸はいつ国宝に指定されましたか。
A平成11年(1999年)6月7日に重要文化財、平成20年(2008年)7月10日に国宝へ指定されました。員数は39口、種別は考古資料です。発見は平成8年(1996年)10月14日、農道建設工事の掘削中でした。
Q島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸が国宝とされた理由は何ですか。
A一括出土数が全国最多であることに加え、外縁付鈕1式から突線鈕1式まで型式が複数にまたがること、同笵関係が15組26口におよび西日本各地の銅鐸と結びつくこと、絵画銅鐸が7口含まれること、約3キロメートル離れた荒神谷遺跡と「×」印で結びつくことが挙げられます。
Q加茂岩倉遺跡の銅鐸はどのように埋められていましたか。
A大型鐸のなかに小型鐸を入れた入れ子の状態で、12組が入れ子のまま出土しました。横に寝かせ、鰭を上下に向け、口と口を合わせて並べられています。CTスキャン調査で内部に周囲とは異なる土砂が意図的に詰められていたことも分かっています。
Q銅鐸に刻まれた「×」印は何を意味しますか。
A39口のうち14口の鈕に鋭利な刃物で刻まれています。同じ印が荒神谷遺跡の銅剣にも確認されており、銅鐸に宿る霊が再び地上へ現れないよう封印したものとする説があります。新しい祭祀へ移る際に古い祭具を鎮めて埋めた可能性が指摘されていますが、確定はしていません。
Q島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸の実物は見られますか。
A島根県立古代出雲歴史博物館が保管していますが、同館は耐震改修と展示リニューアルのため2025年4月から2026年9月まで休館しています。再開は2026年10月の予定です。出土地の加茂岩倉遺跡ガイダンスは午前9時から午後5時、火曜休館で入館無料です。

基本情報

名称島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸(しまねけんかもいわくらいせきしゅつどどうたく)
所在地島根県出雲市大社町杵築東99-4 島根県立古代出雲歴史博物館(出土地は島根県雲南市加茂町岩倉、国指定史跡)
指定区分国宝(考古資料)/重要文化財を経て国宝へ
指定年1999年(平成11年)6月7日 重要文化財/2008年(平成20年)7月10日 国宝
員数39口
寸法大型鐸 約45センチメートル/小型鐸 約30センチメートル。文様は流水文9口、袈裟襷文30口。型式は外縁付鈕1式19口、扁平鈕2式・突線鈕1式を含む。弥生時代
所有者国(文化庁)
公開状況島根県立古代出雲歴史博物館は2026年9月まで休館。加茂岩倉遺跡ガイダンスは午前9時から午後5時、火曜休館、入館無料

参考文献

文化遺産オンライン 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198806
雲南市 加茂岩倉遺跡
https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/iseki/musium02.html
雲南市 加茂岩倉遺跡ガイダンス
https://www.city.unnan.shimane.jp/unnan/kankou/spot/iseki/musium03.html
島根県立古代出雲歴史博物館
https://www.izm.ed.jp/
しまね観光ナビ 加茂岩倉遺跡
https://www.kankou-shimane.com/destination/20984

最終更新日: 2026.09.01