刻銘のある石造宝塔
長福寺宝塔(ちょうふくじほうとう)は、京都市右京区梅津中村町の長福寺にある石造宝塔で、建武元年(1334年)の造立、昭和35年(1960年)2月9日に重要文化財に指定された。塔身には建武元年甲戌十一月八日の刻銘があり、これがこの塔の位置づけを決めている。
中世の石造物は、多くの場合、比較によって年代が与えられる。塔身の逓減、笠石の勾配、相輪の輪郭を見て、数十年の幅のなかに置く。造立時に刻まれた紀年銘を持つ例はそれよりずっと少なく、そのひとつひとつが、無銘の作例を測るための物差しになる。郊外の寺の庭に立つ花崗岩の塔が、はるかに壮大な建造物と並んで国の指定リストに載っているのはそのためである。
宝塔は、多くの人が写真に収める多層塔とは別の形式を指す。方形の基壇の上に円筒形の塔身を置き、その上に短い首部、重い笠石、そして相輪を積む。仏舎利信仰に由来する形で、日本では主に供養・墓塔として用いられた。長福寺の一基は花崗岩製で、地元資料は高さ約2.14メートルとする。国指定データに寸法の記載はない。
建武元年という年、そして誰の塔かという問い
この年号には立ち止まる価値がある。建武元年は、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒したのち、南北両朝の分裂に至るまでのわずかな期間にあたる。文化庁の分類は時代を室町前期とするが、これは行政上の時代区分によるもので、塔が刻まれた瞬間の政治状況を写したものではない。その年の十一月に鑿を振るった石工は、支配者が変わったばかりで、まもなくまた変わろうとしている都で働いていた。
地元では、この塔を中興の祖・月林道皎の墓と伝える。ここに難点がある。月林の入寺は暦応2年(1339年)、示寂は観応2年(1351年)で、いずれも刻銘の建武元年より後にあたる。両方をそのまま墓塔としての当初機能の説明とすることはできない。したがってこの伝承は、後年になって塔に結びつけられた理解として扱うのが妥当だろう。どちらの読み方を採るにせよ、刻まれた年紀そのものは揺るがない。
塔を擁する寺の来歴は長い。長福寺は臨済宗南禅寺派の別格地で、山号は大梅山、本尊は阿弥陀如来。縁起によれば、この地を開発した梅津氏出身の尼僧・真理尼が仁安4年(1169年)に堂宇を建てたことに始まり、当初は天台宗に属した。暦応2年に月林道皎が入寺して禅刹に改められ、観応元年(1350年)には北朝の勅願所となる。応仁の乱で焼失したのち、山名宗全によって再興された。
寺宝の顔ぶれが、かつての格式を示している。豪信筆の紙本著色花園天皇像と古林清茂墨蹟の二件が国宝で、いずれも京都国立博物館に寄託されている。長福寺縁起をはじめとする重要文化財の書跡・典籍も少なくない。建造物では、元禄8年(1695年)の仏殿と寛文8年(1668年)の方丈が京都市指定有形文化財となっている。
訪問を考える前に
前提をはっきりさせておきたい。長福寺は通常非公開である。京都の寺社を扱う案内でも拝観時間・拝観料はいずれも通常非公開と記され、宝塔は方丈の南庭に立っていて、自由に立ち入れる前庭にあるわけではない。墓地を持つ現役の檀那寺であり、観光施設ではない。予約なく訪ねて塔を見られる見込みは低い。
研究上の必要があって実見を望む場合は、事前に文書で寺へ相談するのが筋になる。非公開の境内での撮影可否も寺の判断に属する事柄なので、どちらとも決めてかからないほうがよい。
所在自体は分かりやすい。梅津中村町は市街西部、四条通の南にあたる。市バスの「長福寺道」バス停から徒歩数分、阪急嵐山線の松尾大社駅からは徒歩15分から20分ほど。京都駅からは28系統、四条河原町からは3系統がこの一帯を通る。周辺を歩くなら松尾大社と組み合わせるか、北へ進んで嵐山方面へ抜ける動線が取りやすい。
Q&A
- 長福寺宝塔は見学できますか?
- 長福寺は通常非公開で、宝塔も方丈南庭に立つため自由に見学できる場所にはありません。研究等の理由で実見を希望する場合は、事前に寺へ相談してください。
- 長福寺宝塔にはどのような刻銘がありますか?
- 建武元年甲戌十一月八日、すなわち1334年11月8日にあたる紀年銘が刻まれています。国指定文化財等データベースもこの刻銘を明記しており、年代の確かな石造遺品として扱われています。
- 長福寺宝塔は月林道皎の墓なのですか?
- そのように伝えられていますが、月林道皎の入寺は暦応2年(1339年)、示寂は観応2年(1351年)で、いずれも刻銘の建武元年より後です。後年に結びつけられた伝承と考えるのが妥当です。
- 宝塔とはどのような形式の塔で、長福寺のものはどのくらいの大きさですか?
- 方形の基壇に円筒形の塔身を据え、首部・笠石・相輪を重ねる形式です。長福寺の宝塔は花崗岩製で、地元資料は高さ約2.14メートルとしますが、国指定データに寸法の記載はありません。
- 長福寺はどこにあり、ほかにどのような文化財を伝えていますか?
- 京都市右京区梅津中村町、四条通の南にあります。豪信筆の花園天皇像と古林清茂墨蹟の二件の国宝を有し(ともに京都国立博物館に寄託)、元禄8年の仏殿と寛文8年の方丈が京都市指定有形文化財です。
基本情報
| 名称 | 長福寺宝塔(ちょうふくじほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市右京区梅津中村町 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) |
| 指定年 | 昭和35年(1960年)2月9日 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 石造宝塔(花崗岩製、地元資料で高さ約2.14m。国指定データに寸法記載なし) |
| 所有者 | 長福寺 |
| 公開状況 | 通常非公開。見学には事前の相談が必要 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)長福寺宝塔
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/1893
- 京都通百科事典 長福寺
- https://www.kyototuu.jp/Temple/CyoufukuJi.html
- 京都市 国指定等文化財の一覧(PDF)
- https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000282/282388/bepyou.pdf
- 京都風光 長福寺
- https://kyotofukoh.jp/report1127.html
最終更新日: 2026.08.07