親鸞が自ら書写し、余白に注を書き入れた一巻
高さおよそ30センチ、長さ3メートル半あまりの巻物に、僧・親鸞(1173〜1263)が阿弥陀経の全文を書き写し、その上下の余白を細かな文字で埋めている。中央を走る経文の字は、はっきりと整っていて読みやすい。一方、余白に詰め込まれた注記は、経文よりずっと小さな字で、何行にもわたって書き込まれている。親鸞が先人の注釈書から引いた語句が、ここに記されている。京都・西本願寺が所蔵するこの巻物は「阿弥陀経註」と呼ばれる。「註」とは注釈のことで、余白に並ぶのがその注にあたる。
阿弥陀経(仏説阿弥陀経)は「小経」とも呼ばれ、浄土の教えを学ぶ者が根本に置く三つの経典の一つにあたる。鳩摩羅什による漢訳が402年ごろに成り、阿弥陀仏の浄土のありさまと、その名を称える行を説く。残る二つは無量寿経と観無量寿経で、この三経をまとめて「浄土三部経」と称したのは、親鸞の師である法然であった。
発見の経緯と、国宝に指定された理由
この巻物が国宝に指定されたのは昭和27年(1952年)3月29日である。その近代の歩みは、指定の少し前から始まる。昭和18年(1943年)、西本願寺の所蔵品のなかから、もう一巻の写本とともにこの巻物が見出された。あわせて発見されたのは、同じく親鸞が書写し注を加えた観無量寿経の写本「観無量寿経註」で、こちらも国宝に指定されている。二つは一対として語られることが多い。
ただの経典の写しと阿弥陀経註とを分けているのは、その筆を執った人物である。これは、日本の浄土系仏教で最大の教団である浄土真宗の開祖・親鸞の自筆本にあたる。余白の注は、中国浄土教の善導の著作である『法事讃』『観念法門』や、元照の阿弥陀経の注釈書などから引かれている。引かれた書物の年代をたどると、この写本は親鸞の比較的早い時期の手になると考えられている。後年、主著『教行信証』に結実する教義がまだ定まる前の、いわば学びの机上の一枚である。
見どころ
まず目を引くのは、その配置である。一枚の紙の上に、二種類の書き込みが同居している。中央には、声に出して読み上げるための経文。それを囲む余白には、より小さく、私的な筆致の注釈。この二つの筆のへだたりこそが、この巻物の核心といってよい。一方は受け継がれてきた経そのものであり、もう一方は、若い学僧がそれを一行ずつ読み解き、先達の言葉を引き寄せていった跡である。
引用元の選び方にも注目したい。親鸞は手当たり次第に注を施したのではない。彼が頼ったのは、7世紀の中国の僧・善導の著作だった。善導の浄土の行についての解釈は、親鸞が法然を介して受け継いだ流れの根幹をなす。余白を読むことは、後に一宗を開く人物が、何を書き写すに足ると考えたかをたどることでもある。
もっとも、紙の写本は光に弱く、ひもとかれる機会は少ない。原本を目にできる人はごく限られる。公開されるのはおおむね、親鸞や浄土教を主題とする大きな展覧会の場で、短い期間、照度を落とした環境のもとに限られる。
西本願寺を訪ねる
この写本を所蔵するのは、浄土真宗本願寺派の本山・西本願寺である。古都京都の文化財として世界遺産に登録された構成資産の一つでもある。寺は下京区にあり、京都駅から歩いて行ける距離にある。原本そのものは常時公開されていないが、境内は誰でも無料で参拝でき、訪れる価値は十分にある。
境内を圧するのは二つの大きな堂である。親鸞の木像を安置する御影堂と、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂は、いずれも国宝に指定されている。装飾の細やかな唐門や飛雲閣も同じく国宝である。御影堂に立つとき、ここに祀られる人物こそ、この寺の所蔵する巻物の余白を細字で埋めた当人であることを思い起こすとよい。
真宗の歴史をより広く知りたければ、近くの龍谷ミュージアムをあわせて訪ねるとよい。仏教美術や浄土真宗の展開を扱っている。東へ少し行けば東本願寺があり、こちらにも親鸞の自筆として知られる『教行信証』の写本、いわゆる坂東本が伝わっている。
Q&A
- 西本願寺で実物を見られますか。
- 通常は見られません。傷みやすい紙の巻物のため収蔵されており、公開は親鸞や浄土教に関する特別展などごく限られた機会だけです。寺の建物は一年を通して参拝できます。
- 「阿弥陀経註」とはどういう意味ですか。
- 「注釈を加えた阿弥陀経」という意味です。阿弥陀経は経典そのもの、「註」は親鸞が余白に書き入れた、先人の注釈書からの引用を指します。
- 親鸞とはどのような人物ですか。
- 親鸞(1173〜1263)は鎌倉時代の僧で、浄土真宗の開祖です。法然に師事し、自らの行ではなく阿弥陀仏に身をゆだねるところに救いがあると説きました。
- 観無量寿経註との関係は。
- 両者は昭和18年(1943年)に西本願寺で一緒に見出され、どちらも親鸞が浄土の経典に注を加えた自筆本です。それぞれが別個に国宝に指定されています。
- 経典の写しがなぜ国宝なのですか。
- 大教団の開祖が自ら筆を執ったものであり、注記から親鸞が形成期にどのように経典を学んだかをたどれるからです。彼の学問の歩みをこれほど直接に追える資料はほとんど残っていません。
基本情報
| 名称 | 阿弥陀経註〈親鸞筆〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和27年(1952年)3月29日 |
| 時代 | 鎌倉時代(親鸞の比較的早い時期とされる) |
| 作者 | 親鸞(1173〜1263) |
| 形状・寸法 | 1巻(巻子装)/高さ約30センチ、全長約362センチ |
| 所有者 | 本願寺(西本願寺・京都) |
| 所在地 | 京都府京都市下京区 |
| 公開状況 | 常時公開なし。特別展などで随時公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)阿弥陀経註〈親鸞筆〉
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/624
- 本願寺(西本願寺)公式サイト 名宝
- https://www.hongwanji.kyoto/see/treasure.html
- 西本願寺 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/西本願寺
- 浄土三部経 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/浄土三部経
最終更新日: 2026.06.05