崩御二か月前の筆
延元四年(一三三九)六月、吉野で病の床にあった後醍醐天皇は、真言宗の印信を一巻、自らの手で書写した。崩御のおよそ二か月前にあたる。これが京都・醍醐寺に残る国宝「後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋)」である。本文を記したのは後醍醐天皇その人、料紙を装飾し奥書を加えたのは護持僧の文観房弘真であった。
印信とは、密教の師が弟子へ法の相伝を認めて渡す証明の書状をいう。「天長」の名は、もとの印信が天長三年(八二六)に弘法大師空海から高弟・真雅へ授けられたと伝わることに由来する。後醍醐天皇が新たに文章を作ったわけではない。すでに数百年の重みを帯びた書を、改めて書き写したのである。
写しが国宝となった理由
この一巻の背景には、醍醐寺内部の法流をめぐる事情がある。後醍醐天皇の時代、座主の任にあった文観は天皇の信任あつい僧であったが、その法統は報恩院流に属していた。天長印信の正本を相伝できるのは醍醐派最有力の三宝院流の正嫡に限られ、報恩院流の文観には継ぐ資格がなかった。そこで文観は、主君である後醍醐天皇に写しの製作を願い出た。本文は六月十五日に成り、翌十六日に文観が奥書を付し、さらに同月二十五日・二十六日に追記が加えられている。
空海筆と伝わる正本は、今日の研究では後世の仮託とみる見方が有力である。だが南北朝の当時、その真偽が問われることはなく、空海真筆として醍醐寺の至宝とされていた。正本も古い副本も後に散逸したため、現存する天長印信はこの宸翰本ただ一巻となった。
国宝指定の核心は、その書にある。日本独自の和様に、宋元の禅林墨跡の筆致を交えた書風で、皇統が大覚寺統と持明院統に分かれた前後の宸翰様を代表する作とされる。内容は真言宗の経典『瑜祇経』の精髄を説くもので、同経に由来する愛染明王に深く帰依した後醍醐の信仰とも結びつく。大正三年(一九一四)に重要文化財、昭和二十六年(一九五一)六月九日に国宝へと指定された。
見どころ
注目したいのは二点ある。まず料紙である。本作は蠟牋、すなわち文様を磨き出した紙で、文観の手による金泥装飾が施されている。指定名称の末尾に括弧書きで「蠟牋」と記されるのは、書かれた文字とほとんど同じ重みで、その料紙が評価されてきた証しといえる。
もう一つは筆そのものである。最晩年の書には筆勢の衰えが見られることも少なくないが、本作についてはむしろ覇気あふれる線が指摘されてきた。京を追われ、吉野に朝廷を置いた最中に書かれたことを念頭に置くと、その揺るぎない運筆の重みがいっそう際立つ。
後醍醐天皇自筆の国宝はほかに二件ある。大阪・四天王寺の「四天王寺縁起(後醍醐天皇宸翰本)」と、京都・大徳寺の「後醍醐天皇宸翰御置文」である。この三件を並べて見ると、後醍醐の書が信仰として、また書蹟として、いかに重んじられてきたかがよくわかる。
醍醐寺を訪ねる
醍醐寺は貞観十六年(八七四)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝の開創による。平成六年(一九九四)には「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録された。広大な寺域は下醍醐の伽藍から山上の上醍醐へと続き、天暦五年(九五一)建立の五重塔は京都に現存する最古の木造建築として知られる。
本作は、醍醐寺が守り継いできた十万点を超える寺宝の一つである。普段は昭和十年(一九三五)開館の霊宝館に収蔵され、公開は春・秋の特別展などで寺宝が入れ替えられる折に限られる。訪問の日に必ず展示されているとは限らないため、出かける前に開催中の特別展の内容を確かめておくと確実だ。原本が収蔵庫にある時期でも、霊宝館の展示や諸堂・庭園を巡れば、これほどの寺宝がなぜここに託されてきたのかは十分に感じ取れる。
周辺は半日かけて歩く価値がある。塔頭の三宝院には、慶長三年(一五九八)の豊臣秀吉による醍醐の花見にちなんで作庭された名園があり、約一千本の桜が植わる境内は四月上旬に最もにぎわう。
Q&A
- 訪れれば実物を見られますか。
- 常時の公開ではありません。傷みやすい国宝の古文書のため霊宝館に収蔵され、公開は折々の特別展の際に限られます。お出かけ前に開催中の展示内容をご確認ください。
- 「天長印信」とは何ですか。
- 印信は、密教で師から弟子へ法が相伝されたことを認める証明の書状です。「天長」は、もとの印信が天長三年(八二六)に空海から授けられたと伝わる年号に由来します。
- 後醍醐天皇が一巻すべてを書いたのですか。
- 本文を書写したのが後醍醐天皇です。料紙の装飾や日付入りの奥書、追記を加えて一巻を仕上げたのは護持僧の文観でした。
- 醍醐寺へのアクセスは。
- 京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」が最寄りで、駅から徒歩約十三分です。
- もとの印信は本当に空海の筆ですか。
- 書写のもととなった正本は、今日では後世の仮託とみる見方が有力です。ただし南北朝当時は空海真筆と信じられており、その相伝が重んじられました。
基本情報
| 名称 | 後醍醐天皇宸翰天長印信(蠟牋) |
|---|---|
| よみ | ごだいごてんのうしんかんてんちょういんじん |
| 所有・所在 | 醍醐寺(京都市伏見区) |
| 種別 | 古文書/国宝 |
| 員数 | 一巻 |
| 年代 | 延元四年(一三三九)・南北朝時代 |
| 筆者 | 後醍醐天皇(奥書は文観房弘真) |
| 指定 | 大正三年(一九一四)重要文化財/昭和二十六年(一九五一)六月九日 国宝 |
| 公開 | 霊宝館に収蔵。特別展などの折に随時公開 |
| アクセス | 地下鉄東西線「醍醐駅」から徒歩約十三分 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/813
- 醍醐寺 文化財アーカイブス
- https://www.daigoji.or.jp/archives/cultural_assets/NA002/NA002.html
- 霊宝館|境内案内|世界遺産 京都 醍醐寺
- https://www.daigoji.or.jp/grounds/reihoukan.html
最終更新日: 2026.06.05