金棺より身を起こす釈迦
釈迦はすでに息を引き取っている。沙羅の林に据えられた金色の大きな棺をめぐっては、別れを惜しむ人々が集うはずであった。ところが棺の蓋は開き、釈迦は上半身を起こしている。その身からは幾筋もの光が長く伸び、光の一条ごとに小さな仏が宿る。下方の群衆は驚きのあまり身をのけぞらせ、その中央に、生前の姿に間に合わなかった一人の女性が膝をついている。釈迦の生母、摩耶夫人である。
京都国立博物館が所蔵するこの一幅の絹絵は「絹本著色釈迦金棺出現図」と呼ばれ、釈迦がみずからの死を破って母に最後の説法を授けるその一瞬を描きとめている。画面は縦約160センチ、横約229.5センチ。平安時代後期の作で、昭和26年(1951年)に国宝へ指定された。
『摩訶摩耶経』の場面
主題は『摩訶摩耶経』に拠る。同経によれば、釈迦の入滅を忉利天で知った仏母摩耶夫人は、急ぎ涅槃の地へ降り立ったものの、すでに釈迦は棺へ納められた後であった。母は釈迦の鉢と錫杖を抱いて泣き崩れる。
絵師が選んだのは、その直後の出来事である。釈迦は大神通力によって棺の蓋を開き、身を起こして、母のためにこの世の無常の理を説いた。説き終えると再び棺に身を沈め、蓋は閉じられたという。釈迦再生説法とも呼ばれるこの主題は、棺から起き上がる姿がキリストの復活を思わせるとして古くから注目されてきたが、その源流は西洋ではなく中国にある。
『摩訶摩耶経』は、インドの原典を訳したものではなく、中国で撰述された偽経と考えられている。亡き母のもとへ立ち返って教えを授けるという筋立てには、親への孝養を重んじる姿勢が読み取れる。仏教は家を捨てる教えだと難じた儒教側への、いわば応答であったとされる。
国宝としての価値
制作年代は平安時代後期、おおむね11世紀後半と見られている。ただし下敷きとなった構図は、10世紀ごろの中国画にさかのぼると推測されている。この時代の仏画は、嘆く弟子や動物たちを配した涅槃図、すなわち釈迦の死そのものを描く作例が多い。再生説法を主題とする本図は遺例が乏しく、敦煌の石窟壁画や鎌倉時代の八相涅槃図のなかに断片的な例はあるものの、この場面だけを大画面に独立して構成した作は、ほかに知られていない。
本図はしばしば、高野山が伝える「仏涅槃図」「阿弥陀聖衆来迎図」と並べて語られる。いずれも平安仏画の頂点に位置づけられる名品である。棺の場面の描線には、白河院政の開始とともに高まった中国への憧れを背景に、宋画の影響のきざしを見ることもできる。
画面の見どころ
間近で対すると、絹の上の細部が応えてくれる。釈迦の像は他の人物より格段に大きく、肌は金で表され、截金、すなわち金箔を細い線状に切って文様を置く技法で飾られている。身から放たれる光は孔雀の尾のように広がり、その一条ごとに無数の小さな化仏が並ぶ。
群衆もまた見どころである。絵師は画面の下半分に、奇跡へ反応する人々を所せましと描き込んだ。目を覆う者、身を乗り出す者、まともに見ることもできずにいる者。同じ時期の絵巻が豊かな表情を見せるのに対し、ここに集う俗人たちの顔は不思議なほど静かで、驚きが抑えられている。彩色は九百年を経てなお鮮やかで、随所に走る墨線が、混み合う場面に張りつめた緊張を与えている。
来歴と訪ねかた
本図はもと、京都西郊の長岡京市にある長法寺に伝来した。戦後、近代を代表する実業家で茶人としても知られた松永安左ヱ門(号は耳庵)の蔵するところとなり、その没後、昭和54年(1979年)の財団法人松永記念館の解散にともなって国へ寄贈された。現在は独立行政法人国立文化財機構が所有し、京都国立博物館が保管する。
所在は東山区の京都国立博物館で、三十三間堂のすぐ近く、祇園や清水寺の界隈からも歩いて至れる位置にある。絹本の傷みやすい大作であるため常時の展示はなく、数年に一度、特別展などで公開される。原本を目にしたい場合は、来館の前に展示予定を確かめておくのがよい。掛幅が出ていない時期も、館の平常展示には平安以来の仏画や仏像が並び、周囲の東山には京都を代表する寺々が徒歩圏に広がっている。
Q&A
- この絵は何を描いているのですか。
- 『摩訶摩耶経』の一場面です。釈迦の入滅後、天から駆けつけた母の摩耶夫人が間に合わずに嘆くと、釈迦は大神通力で棺の蓋を開いて身を起こし、母のために最後の説法を授け、ふたたび棺へ身を沈めたと伝わります。本図はその一瞬を捉えています。
- なぜ主題が珍しいとされるのですか。
- 平安期の仏画の多くは、釈迦の死を涅槃図として描きました。再生説法の場面は敦煌の壁画や鎌倉期の八相涅槃図にも見えますが、この出来事だけを一幅の大画面に独立して構成した作は、現存ではこの図のほかに知られていません。
- いつ頃、誰が描いたのですか。
- 作者は伝わっていません。制作は平安時代後期、おおむね11世紀後半と見られています。ただし下敷きになった構図は、10世紀ごろの中国画にさかのぼると推測されています。
- いつでも実物を見られますか。
- いいえ。傷みやすい絹本の国宝のため、常設展示はなく、数年に一度ほど特別展で公開されます。原本をご覧になりたい場合は、京都国立博物館の展示予定を事前にご確認ください。
- どのような経緯で博物館に入ったのですか。
- もとは京都西郊の長法寺に長く伝来しました。戦後に実業家で茶人の松永安左ヱ門(耳庵)の所蔵となり、昭和54年(1979年)の記念館解散にともなって国へ寄贈され、現在は京都国立博物館が保管しています。
基本情報
| 名称 | 絹本著色釈迦金棺出現図(けんぽんちゃくしょくしゃかきんかんしゅつげんず) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(昭和26年〔1951年〕6月9日指定) |
| 種別・員数 | 絵画/1幅 |
| 時代 | 平安時代後期(11世紀後半とされる) |
| 品質・技法 | 絹本著色、截金を用いる |
| 寸法 | 160×229.5センチ |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527) |
| 公開状況 | 常設展示はなく、特別展などで随時公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/23
- 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/177652
- 京都国立博物館 名品紹介
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/butsuga/item01/
- e国宝(国立文化財機構)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100975&content_part_id=0&content_pict_id=0
- コトバンク
- https://kotobank.jp/word/釈迦金棺出現図-75740
最終更新日: 2026.06.11