延慶四年の棟札が残る、京都府北部最古の神社本殿

石田神社に保管される一枚の棟札には、延慶四年という年号が記されている。西暦に直せば一三一一年、鎌倉時代の後期にあたる。この年号が指すのは、現在の本殿ではない。同じ境内に建つ、一回り小さな古い社殿、すなわち今は恵比須神社として祀られている建物のことである。

この社殿は、もともと石田神社そのものの本殿だった。江戸時代の正徳三年(一七一三年)に新しい本殿が建てられると、古い社殿はそのまま残され、商売繁盛と漁業の神である恵比須を祀る境内社へとあらためられた。西宮の恵比須信仰にちなみ、西宮大神宮とも呼ばれる。京都府の北部に残る神社本殿建築としては最古とされ、鎌倉時代の地方の社殿が今日まで伝わった、数少ない例である。

所在地は綾部市安国寺町宮ノ腰。JR舞鶴線の梅迫駅から徒歩で十五分ほどの、田畑に囲まれた静かな一画にある。大きな本殿とは少し離れた位置に、小ぶりな恵比須神社の社殿が建つ。

残されたもの、失われたもの

建物は桁行三間、梁間二間、一重で、現在は銅板葺の切妻造である。ただし、この切妻という屋根の形は、建立当初の姿ではない。社殿はもともと三間社流造として建てられていた。流造は神社本殿の最も一般的な形式で、正面の屋根が前方へなだらかに伸び、参拝のための庇をかたちづくる。この前方に張り出した庇の部分が、長い年月のあいだに失われ、結果として今日見られる角ばった輪郭が残った。

失われた庇のうち、一本の部材だけが残り、建物とともに附(つけたり)として指定されている。旧庇桁と呼ばれるこの一本の桁は、年号を記した棟札とあわせて附指定の対象となっている。社殿を細かく見る者にとって、この桁は、かつての社殿がより大きな形をもっていたことの物的な証拠となる。

指定の理由

鎌倉後期にさかのぼる神社本殿は、全国を見渡しても残存例が少ない。さらに、建立年代を確実に特定できるものとなると、その数はいっそう限られる。この社殿は、それができる。棟札には建立の年だけでなく、社殿を手がけた大工の名も記されており、これほど古い建物にしては記録が整っている。文化庁はこの古さと確実性の組み合わせを評価し、昭和六十二年(一九八七年)六月三日に国の重要文化財に指定した。

最も注目されるのは、妻飾りの意匠である。ここでは、虹梁と呼ばれる反りのある梁の上に、大瓶束という瓶のかたちをした束が据えられている。これは当時大陸からもたらされた禅宗様、すなわち禅宗寺院の建築様式に由来する語彙である。一三一一年という年代の神社建築にこうした要素が見られるのは珍しい。神社建築は概して保守的であり、この社殿は、禅宗様の特徴が神社へと取り入れられた全国的にも早い時期の例にあたる。建築史の研究者は、新しい意匠が地方の工匠のあいだにどれほど速く伝わったかを示す指標として、この社殿を位置づけている。

訪れたときに見たいところ

まず材そのものに目を向けたい。部材は明らかに太く、洗練というより古拙さを感じさせる木割りである。梁の上に置かれた蟇股の形状も、十四世紀初頭という年代を推し量る手がかりとなる。目の前の角ばった切妻と、本来予想される流造の流れるような屋根とを思い比べてみると、庇を欠いていることがはっきりと見えてくる。

足を運んだなら、現在の本殿も見ておきたい。正徳三年(一七一三年)に近隣の梅迫村の大工が手がけたもので、入口に流麗な軒唐破風、その上に千鳥破風をのせた三間社流造の社殿であり、屋根は柿葺である。こちらは京都府が独自に文化財として指定している。二棟を並べて眺めると、四世紀におよぶ神社建築の歩みが、ひとつの小さな境内のなかに凝縮されている。

ここには、もうひとつの静かな歴史の糸も通っている。石田神社は、清和天皇、六孫王経基(源経基)、多田満仲(源満仲)を祀る。いずれも清和源氏の祖にあたる人物である。少し坂を上ったところには安国寺が建つ。清和源氏の子孫であり、室町幕府を開いた足利尊氏の生誕地と伝えられる寺院である。恵比須神社の社殿は、この安国寺の鎮守として記録されている。そして社殿は、一三一一年ごろにはすでに建っていた。後の将軍がこの近くで生まれたと語られる、その時代にである。

周辺のみどころ

すぐ近くの安国寺は、あわせて訪ねたい寺院である。寺は正暦四年(九九三年)ごろに光福寺として始まり、康永元年(一三四二年)に景徳山安国寺と改められた。足利尊氏が戦没者の霊を弔うために全国に建立した安国寺の網のなかで、自らの生誕地を筆頭に置いたのである。茅葺の本堂、尊氏が産湯に使ったと伝わる井戸、尊氏と妻登子、母清子の墓とされる三基の宝篋印塔が残る。寺は円派の仏師豪円による木造釈迦三尊坐像をはじめ、複数の重要文化財を所蔵する。地元では紅葉の名所として知られ、百本を超える楓が色づく十一月の中旬にはもみじ祭りが開かれる。

神社と寺をあわせて巡れば、海外からの旅行者がめったに足を踏み入れない京都の一角で、半日ほどの行程になる。綾部は日本海側へ向かうJR線の沿線にあり、舞鶴や丹後半島を目指す道すがらに立ち寄りやすい。

Q&A

Q恵比須神社の社殿は、石田神社の本殿と同じものですか。
Aいいえ。重要文化財は、境内に建つ小さな恵比須神社の社殿で、一三一一年の建立です。かつては石田神社の本殿でしたが、一七一三年に新しい本殿が建てられた後、恵比須を祀る社殿にあらためられました。一七一三年の本殿は別の建物で、京都府の指定文化財です。
Q建物の中に入ることはできますか。
A社殿は信仰の場であり、内部は公開されていません。境内は日中であれば自由に立ち入ることができ、拝殿には宮司への連絡先が掲示されています。
Q妻飾りはなぜ重要なのですか。
A妻飾りには、反りのある虹梁の上に瓶形の束(大瓶束)を据える意匠が用いられています。これは禅宗寺院の建築に由来する要素で、一三一一年という年代の神社にこれが見られることから、禅宗様が神社建築に取り入れられた最も早い例のひとつとされています。
Qどのように行けばよいですか。
AJR舞鶴線の梅迫駅から徒歩で十五分ほどです。安国寺前のバス停も近く、安国寺は徒歩圏内にあるため、あわせて巡ることができます。

基本データ

名称石田神社境内社恵比須神社本殿(いしだじんじゃけいだいしゃえびすじんじゃほんでん)
所在地京都府綾部市安国寺町宮ノ腰
所有者石田神社
指定区分国指定重要文化財(建造物)、昭和六十二年(一九八七年)六月三日指定
年代延慶四年(一三一一年)、鎌倉後期
構造桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺。当初は三間社流造で、正面の庇を欠失
附(つけたり)棟札一枚、旧庇桁一本
員数一棟
アクセスJR舞鶴線 梅迫駅から徒歩約十五分
公開状況境内は自由に参拝可、社殿内部は非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/1940
安国寺(京都府観光連盟公式サイト)
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/551
安国寺(綾部市観光ガイド)
https://www.ayabe-kankou.net/spot/ayabe-ankokuji/

最終更新日: 2026.06.02