病床で記された一巻の遺告
天禄三年(九七二)五月、比叡山にあった六十一歳の僧が、自らの死期を意識しながら筆をとった。叡山の堂舎、諸国の所領、経典や法具を誰に託すか、そして葬送と追善をどう営むか。その指示を一点ずつ書き記した一巻が、いまも残っている。比叡山中興の祖と仰がれた良源、すなわち慈恵大師の自筆による遺告状であり、ここで扱う国宝はこの巻物である。
正式な指定名称は「慈恵大師自筆遺告〈天禄三年五月/〉」。自筆とは本人の手になることを、遺告とは高僧が後継者へ向けて書き残す書状を指す。種別は古文書、員数は一巻、年代は九七二年。所有者は、良源にゆかりの深い京都の廬山寺である。
この巻物が後世の写本でも整った文章作品でもなく、病をおして書かれた当人の肉筆である点に、史料としての価値が集まっている。
国宝に指定された理由
本巻が国宝に指定されたのは昭和三十九年(一九六四)五月二十六日のことである。評価の根拠は書の美しさというより、その歴史的な重みにある。良源(九一二〜九八五)は、天台宗の総本山である比叡山延暦寺を立て直した人物として記憶されている。康保三年(九六六)に天台座主の座につき、山を焼いた火災のあとに堂塔を再建し、僧の規律を引き締め、学僧を育てる論義の制度を整え直した。
遺告には、彼が何を譲り渡そうとしたのかが列挙されている。叡山各塔の堂舎、諸国の庄園、法文の数々、そして法具。さらに自身の葬送と、そののちに営むべき追善供養について、具体的な指示が続く。これらの条々をあわせて読むと、十世紀後半の延暦寺がどれほどの規模と勢力をもっていたか、そしてその財がどの貴族の支援に支えられていたかを、近い距離からたどることができる。
編年体の史書であれば「叡山は勢力をもっていた」と記すにとどまるところを、所領や堂舎、後継者の名を挙げた個人の遺告は、その勢力の仕組みそのものを目の前に置いてくれる。
筆をとった人物
良源の名を知らずとも、京都の寺を歩けば多くの人がこの僧に出会っている。正月三日に入滅したことから元三大師と呼ばれる、あの大師である。疫病が流行した際に角のある鬼の姿となって疫神を退けたという伝承が広く語られ、その痩せて角を生やした姿を写した護符は、魔除けの「角大師」として各地の戸口に貼られてきた。
遺告を受け取ったのは、良源の高弟である尋禅であった。尋禅は摂関家の重鎮、藤原師輔の子である。後事を藤原氏の子息に託したことは、単なる個人的信頼にとどまらず、比叡山の行く末を当時もっとも有力な一族と結びつける意味をもった。尋禅はやがて天台座主を務める。この関係を知ると、所領や後継についての条々が、宗教と貴族政治の結びつきを写した記録としても読めてくる。
本文の前に立てば、人としての等身大の姿が戻ってくる。指示は具体的で感傷を交えず、自らが築き上げたものを正確に把握し、損なわれることなく受け継がせたいという願いが読みとれる。
遺告に触れるために
はじめに実際的な点を述べておきたい。原本は東京国立博物館に寄託されており、公開される機会はかぎられている。したがって廬山寺を訪ねても、巻物そのものを目にできるとはかぎらない。廬山寺が差し出すのは、良源の物語が始まった場所であり、その記憶がいまも生きて受け継がれている場である。
廬山寺は京都御所の東、寺町通に面して建つ。その起源は十世紀に良源が開いた堂に遡るとされ、寺は今も大師を厚く祀っている。二月の節分に営まれる追儺式鬼法楽は、角大師の護符を生んだ鬼退散の伝承を、目の前で演じてみせる行事である。
この寺にはもう一つ、別系統の由緒がある。境内一帯はかつて『源氏物語』の作者、紫式部が暮らした邸宅の跡とされ、物語の多くがここで綴られたと広く考えられている。そのゆかりを記念して整えられたのが枯山水の源氏庭で、白砂と苔の景色は初夏に見頃を迎える。六月から九月初めにかけて、淡い紫の桔梗が咲きそろう。
廬山寺の拝観
拝観時間は九時から十六時まで、拝観料は一般五百円、小・中学生四百円。源氏庭は一月一日や二月一日から九日など、年に数日休観日が設けられている。京都市バスで府立医大病院前に向かい、そこから徒歩約五分が最も近い。京阪の神宮丸太町駅からは徒歩十五分ほどである。
基本情報
| 名称 | 慈恵大師自筆遺告〈天禄三年五月/〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(古文書) |
| 指定年月日 | 昭和三十九年(一九六四)五月二十六日 |
| 時代・年代 | 平安時代・天禄三年(九七二) |
| 員数 | 一巻 |
| 作者 | 慈恵大師(良源) |
| 所有者 | 廬山寺(京都府) |
| 現在の保管 | 東京国立博物館に寄託。常時公開はされていない |
| 廬山寺所在地 | 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397 |
| 廬山寺拝観 | 9:00〜16:00/拝観料 一般500円、小・中学生400円 |
Q&A
- 廬山寺で実物の遺告を見ることはできますか。
- 原則として見られません。原本は東京国立博物館に寄託され、公開は折にふれての特別展示にかぎられます。廬山寺は良源や紫式部とのゆかりを訪ねる価値がありますが、文書が常設展示されているわけではありません。
- 良源とはどのような人物ですか。
- 良源(九一二〜九八五)は、火災後の比叡山延暦寺を再建し学問を立て直した天台座主です。元三大師の名で広く親しまれ、角大師の護符の由来となった人物でもあります。
- 遺告には何が書かれているのですか。
- 叡山の堂舎、諸国の庄園、法文、法具を弟子の尋禅に譲ることを記し、自らの葬送と追善供養についても細かな指示を与えています。
- 個人の遺言状がなぜ重要なのですか。
- 著名な歴史的人物の自筆であり、具体的な財産と後継者が列挙されているためです。これにより、十世紀後半の延暦寺の規模や財力を、史書からはうかがえない近さで知ることができます。
- 廬山寺では他に何が見られますか。
- 紫式部の邸宅跡を記念した枯山水の源氏庭があり、六月から九月初めには桔梗が咲きます。二月の節分には追儺式鬼法楽という鬼の行事も営まれます。
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/802
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/159725
- 廬山寺(そうだ 京都、行こう。)
- https://souda-kyoto.jp/guide/spot/rozanji.html
- 廬山寺 - ウィキペディア
- https://ja.wikipedia.org/wiki/廬山寺
最終更新日: 2026.06.07