飛鳥の丘によみがえった白い八角墳

飛鳥駅から西へ十分ほど歩くと、真弓丘と呼ばれる低い丘陵の一画に出る。その斜面に、八つの辺をもつ白い墳丘が段を成して築かれている。牽牛子塚古墳である。いま目にできる姿は、平成二十九年度から続いた整備事業を経て、令和四年(二〇二二)三月に復元・公開されたものだ。

八角形という形に意味がある。七世紀の日本で、八角墳は天皇とその近親に限って築かれた。牽牛子塚古墳は、二度即位した唯一の女帝である斉明天皇が、娘とともに葬られた陵と考える説が有力とされる。南東のすぐ近くには、平成二十二年(二〇一〇)に新たに見つかった小さな古墳、越塚御門古墳がある。両者は一括して国の史跡に指定されている。

発掘の成果から復元された八角の墳丘

古墳は、三世紀から七世紀にかけて各地に築かれた土の墳墓を指す。その多くは円墳や前方後円墳だが、八角墳は終末期になって現れた形で、天皇陵との結びつきが指摘されている。明日香村教育委員会が平成二十一年度から二十三年度(二〇〇九〜二〇一一)にかけて行った調査で、牽牛子塚古墳は対辺長約二十二メートル、高さ四・五メートル以上の八角墳であることが確かめられた。

墳丘は版築によって土を突き固めて築かれ、裾には二上山の凝灰岩の切石が巡らされていた。西側では河原石を敷いた二重の石敷きも見つかっている。現在の白い表面は復元によるものだが、発掘で得られた根拠に沿って整えられており、この点が、考古学に親しむ人々の枠を超えて注目を集める理由となった。

古い別名がその印象を言い当てている。上から見た八弁の形が朝顔の花に似ていたことから、この古墳は地元で「あさがお塚」とも呼ばれてきた。牽牛子という語そのものが、朝顔の種を指す古い言葉である。

一つの巨石を刳り抜いた二室の石槨

牽牛子塚古墳の重要性は、墳丘の内部にある。埋葬施設は横から入る横口式石槨で、流紋岩質凝灰角礫岩の巨大な一石を刳り抜いて造られている。内部は一室ではなく、中壁によって左右二室に分けられていた。それぞれの室には成人の棺に合う棺台が設けられ、東槨は長さ約一九五・五センチ・幅約八一・五センチ、西槨は長さ約一九五・〇センチ・幅約八〇・〇センチと、ほぼ同じ大きさになっている。当初から二人を葬るために築かれた墓そのものが珍しい。

開口部は二重に閉じられ、内側の閉塞石の外に、約二四五センチ・約二七〇センチの石英安山岩の閉塞石が置かれていた。石槨の周囲は直方体の切石で囲まれている。古く盗掘を受けていたが、それでも、漆を塗った布を重ねて造る夾紵棺の破片、亀甲形の七宝飾金具、金銅製の八花文座金具、多数のガラス玉が見つかった。出土した人骨のうち歯牙は、計測値が女性の平均値に近く、三十代から四十代の人物のものと報告されている。

斉明天皇と娘、そして書紀の記述

被葬者として有力視されているのは、斉明天皇とその娘の間人皇女である。斉明天皇は、はじめ皇極天皇として即位し、いったん譲位したのち再び斉明天皇として位に就いた。二度即位した最初の天皇であり、斉明七年(六六一)、百済を救う軍を送ろうとした九州の地で世を去り、その亡骸は飛鳥へ運ばれたとされる。

養老四年(七二〇)に成った『日本書紀』は、天智天皇六年の条に、斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合葬し、その陵の前に大田皇女を葬ったと記す。この一文が、地形と遺構によく合致する。牽牛子塚古墳の南東にある越塚御門古墳は、斉明天皇の孫で、のちの天武天皇の妃となった大田皇女の墓と考えられている。越塚御門古墳の墓坑は牽牛子塚古墳の盛土を掘り込んで造られているため、牽牛子塚古墳のほうが先に築かれたことになり、書紀が記す前後関係とも整合する。

越塚御門古墳は一辺約十メートルほどの小さな方墳で、こちらも横口式石槨をもつ。石材には、貝吹山の周辺で採れる石英閃緑岩、いわゆる飛鳥石の巨石が用いられた。石槨は南に開口し、内法の長さは約二・四メートル。前面には暗渠の排水溝を伴う墓道が延びていた。漆膜や鉄製品などが出土している。

訪ねるために

園内は無料で公開され、園路は終日通り抜けられる。二つの石槨はいずれも柵や扉の外から見学でき、越塚御門古墳では日中に短い解説映像が上映されている。より近くで見たい場合は、飛鳥観光協会が事前予約制で石槨の特別公開を案内している。古墳に駐車場はなく、車で訪れる人は道の駅「飛鳥」やアグリステーション飛鳥に車を置き、丘を少し登って向かうのが一般的である。

飛鳥駅からの道のりには、立ち寄りたい史跡が点在する。精巧な石室に入れる岩屋山古墳が途中にあり、飛鳥一帯には同じ時代の宮跡や寺院、石造物が密に残る。駅近くで自転車を借り、これらを結んで巡る人も多い。

Q&A

Q牽牛子塚古墳には誰が葬られているのですか。
A斉明天皇と娘の間人皇女の合葬墓とする説が有力です。天皇に限られる八角墳という形、二つの埋葬室、『日本書紀』の記述との一致が根拠ですが、確定したものではありません。
Q墳丘はなぜこれほど白いのですか。
A塗装ではありません。淡い色の凝灰岩で表面を覆っており、築造当初の姿を発掘の根拠に沿って令和四年に復元したものです。
Q八角形にはどんな意味があるのですか。
A八角墳は古墳時代の終わりにだけ現れ、天皇家と結びつく形とされます。この形が、牽牛子塚古墳を天皇陵と結びつける大きな根拠の一つです。
Q石槨の中に入れますか。
A通常は柵や扉の外から無料で見学します。より近くで見るには、観光協会の事前予約制の特別公開を利用してください。
Qどうやって行けばよいですか。
A近鉄吉野線の飛鳥駅から西へ徒歩十分ほどです。古墳に駐車場はないため、車の場合は近くの道の駅「飛鳥」やアグリステーション飛鳥を利用します。

基本データ

名称牽牛子塚古墳・越塚御門古墳
所在地奈良県高市郡明日香村大字越
指定区分国指定史跡
指定の経緯大正十二年(一九二三)牽牛子塚古墳を史跡指定。平成二十六年(二〇一四)越塚御門古墳を追加指定し名称変更。平成二十七年(二〇一五)追加指定
時代古墳時代終末期(七世紀後半)
指定面積約一二、三八一・九平方メートル
牽牛子塚古墳の規模八角墳、対辺長約二十二メートル、高さ四・五メートル以上
アクセス近鉄吉野線 飛鳥駅から西へ徒歩約十分
公開見学無料、園路は終日通り抜け可(石槨の特別公開は予約制)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1945
明日香村公式ホームページ
https://www.asukamura.jp/gyosei_bunkazai_shitei_2.html
旅する明日香ネット(明日香村観光ポータルサイト)
https://asukamura.com/topics/3685/
奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
https://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/asuka-nara/2018_kengoshizuka.html

最終更新日: 2026.05.28