巻末の日付が語りかけるもの

一帖の冊子の末尾に、書写を終えた日が記されている。天福二年三月二日。西暦でいえば一二三四年、書き手は数えで七十三歳だった。その人物は藤原定家。当代随一の歌人にして、古典籍の校訂者である。この奥書があるために、本書はただの古い歌集の写本ではなくなる。だれが、いつ、何のために筆を執ったのかが、すべて分かるのである。

寸法は縦二二・九センチ、横一四・三センチ。紙数は二〇二丁と、手に取れば思いのほか小ぶりな冊子だ。この一帖に、定家は『後撰和歌集』全二十巻を書き写した。二番目の勅撰和歌集である。文化庁の登録では員数は一帖、種別は書跡・典籍、区分は国宝とされている。

定家が写した『後撰和歌集』とは

定家が筆を執るより、およそ三百年も前のことである。天暦五年(九五一)、村上天皇の命で宮中の昭陽舎、すなわち梨壺に撰和歌所が置かれた。任じられた五人の学者には、『万葉集』の訓読と新たな勅撰集の編纂という二つの仕事が同時に課された。後世に「梨壺の五人」と呼ばれる面々で、源順や清原元輔らがこれにあたり、藤原伊尹が別当として統括した。

こうしてまとまった歌集が、全二十巻、約一四二五首の『後撰集』である。『古今集』とは異なり序文を持たない。詞書が長く、ときに一篇の挿話のように読めるのが特徴で、贈答歌の多さも目立つ。古くから、八代集のなかでも物語性の強い一集と評されてきた。

写本がなぜ国宝なのか

定家は古典の書写に並々ならぬ情熱を注いだ人物で、その校訂本は後世の学者が他本を測る基準となった。本書はいわゆる「天福本後撰集」の原本であり、長くこの歌集研究の証本として重んじられてきた。十世紀の原本そのものは現存せず、定家が整えたこの一帖が、本文を考えるうえでの拠りどころとなったのである。

帖末には三つの奥書が連なる。第一は天福二年三月、書写を終えた旨を記したもの。第二はその翌月のもので、二世紀前の能書家・藤原行成の筆写本と校合した経緯を記す。第三は譲与の奥書で、定家の子の為家が、その子の為相に本書を譲ったことを明かす。この最後の一文の意味は重い。為相こそ冷泉家の家祖であり、本帖は以来ずっと冷泉家に伝わってきたからである。

本文は清書された完本ではない。定家自筆の和歌の追記、作者名や詞書を補う注記、異本との校合の書き込みが随所に見える。こうした余白の痕跡をたどると、その後七百年にわたって古典和歌の読み方を方向づけた学者の、仕事の手順そのものが見えてくる。

『古今集』との二部一具

この『後撰集』は単独で残ったのではない。八年前の嘉禄二年(一二二六)、定家は同じ小型の冊子に『古今和歌集』を書写しており、これがいわゆる「嘉禄本古今集」である。為相に与えた譲与の奥書は『古今集』にも及び、二帖は冷泉家のもとで一具として相伝された。文化庁は昭和五十八年(一九八三)六月六日、両者を同じ日に国宝へ指定している。

二帖を並べると、書写を学問として扱った人の姿勢がよく分かる。筆致は端正で揺るがず、余白には注記が密に並び、朱点が校合の要所を指し示す。古い文献の異同を整理した経験のある者なら、その手法を一目で見て取るだろう。

いまどう出会えるか

本書は冷泉家の御文庫に納められている。冷泉家の邸宅は、京都御苑の北、上京区に建つ。明治の東京遷都に際して多くの公家が東京へ移るなか、冷泉家は京都にとどまった。天明の大火後の寛政二年(一七九〇)に建てられたその住宅は、現存する唯一の公家屋敷として、それ自体が重要文化財に指定されている。

邸宅と庭が公開されるのは年に数日に限られる。例年、春のゴールデンウィーク前後と晩秋に、京都の非公開文化財特別公開の一環として扉が開く。屋内の撮影は認められておらず、原本となる写本類は通常は御文庫にあって展示されない。定家自筆本は、ときおり大規模な博物館の特別展に姿を見せる程度である。公開日程は年ごとに変わるため、訪れる前に最新の情報を確かめておきたい。

足の便はよい。地下鉄烏丸線の今出川駅から歩いて二分ほど。京都御所、仙洞御所の庭園、同志社大学の緑のキャンパスも、いずれも徒歩圏にある。御苑で和歌に親しんだあと、その歌集を整えた一族の住まいをのぞく。そんな半日の過ごし方が、この地にはよく似合う。

Q&A

Q『後撰和歌集』と『古今和歌集』は同じものですか。
A別物です。『古今和歌集』は十世紀初頭に成った最初の勅撰和歌集、『後撰和歌集』は九五一年に編纂が命じられた二番目の勅撰和歌集です。本書は定家がその二番目を書き写した一帖です。
Q実物を見ることはできますか。
A通常はできません。冷泉家の御文庫に納められ、常設の展示はありません。大規模な博物館の特別展に出陳されることがまれにあり、冷泉家住宅自体は春と秋の数日間だけ一般公開されます。
Q十世紀の原本ではなく写本がなぜ国宝なのですか。
A十世紀の原本は現存しません。定家が一二三四年に整えた書写本が本文研究の証本となり、余白の自筆注記が古典研究史の一次資料ともなっているためです。
Q藤原定家とはどのような人物ですか。
A歌人であり歌論家であり、勅撰集の撰者をつとめ、数多くの古典籍を書写した人物(一一六二〜一二四一)です。その精緻な写本は、今日も標準的な本文として研究に用いられています。
Q冷泉家とのつながりは。
A定家の孫の為相が冷泉家の家祖で、本書は為相に譲られました。以来およそ八百年、戦乱や火災で多くの蔵書が失われるなか、冷泉家の手で守り継がれてきました。

基本情報

名称後撰和歌集〈藤原定家筆〉
ふりがなごせんわかしゅう
指定区分国宝(書跡・典籍)
国宝指定年月日昭和五十八年(一九八三)六月六日
書写年天福二年(一二三四)
作者藤原定家(書写時七十三歳)
員数一帖
寸法縦二二・九cm、横一四・三cm、紙数二〇二丁
所有者公益財団法人冷泉家時雨亭文庫(京都府)
公開状況通常非公開。御文庫に保管

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/776
文化遺産オンライン(人間文化研究機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/204089
後撰和歌集(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/後撰和歌集
冷泉家時雨亭文庫だより
https://wakadayori.jp/
京都市上京区役所「上京区の史蹟百選/冷泉家住宅」
https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012308.html

最終更新日: 2026.06.07