元亨三年の銘をもつ石造の九重塔
塔の基礎正面に、六行二十一文字の銘が刻まれている。読み下すと「元亨第三 癸亥 三月四日 願主金資 行現 大工平末光」。西暦一三二三年、鎌倉時代の末にあたる。この銘によって、福井県越前町大谷寺の谷あいに立つ石造九重塔は、造られた年がはっきりわかる数少ない石塔の一つになっている。
素材は笏谷石。福井市の足羽山周辺で切り出される青みを帯びた火山礫凝灰岩で、加工しやすく細かな彫りに耐えるため、北陸一帯の石工が長く用いてきた。大谷寺の九重塔は、その笏谷石を使った石造物のなかでも古い時期に属する。
地元ではこの塔を、白山を開いたと伝わる泰澄大師の廟所として大切にしてきた。大師は神護景雲元年(七六七)にこの地で没したと伝えられ、塔の前で手を合わせる参拝者の姿が今も絶えない。
泰澄と谷あいの寺
越知山大谷寺は天台宗の寺院で、山号を越知山という。寺伝では持統天皇六年(六九二)、福井市麻生津に生まれた泰澄が開いたとされる。『泰澄和尚伝記』によれば、泰澄は白山を開く前にこのあたりで修行し、天平宝字二年(七五八)に帰山、神護景雲元年に大谷の地で結跏趺坐し、定印を結んだまま八十六歳で遷化したという。
この地はもともと、神社と寺が別々にあったのではなく、山岳信仰の一つの拠点だった。越知山三所大権現を祀る別当寺として営まれ、白山を中心とする白山信仰の体系のなかで、勝山の平泉寺などと結ばれていた。神仏が分かちがたく結びつくこの形は、明治元年(一八六八)の神仏分離によって越知神社と大谷寺の二つに分かれる。以来、両者は隣り合って今に至る。
寺の宝物館には、三所大権現の本地仏にあたる木造の坐像三躯が伝わる。平安時代末から鎌倉時代初めにかけての作で、万灯会の折などに公開される。
この塔が貴重とされる理由
これだけの高さと古さをもつ石造の塔は、北陸地方には多く残らない。大谷寺の九重塔は、この地域を代表する古い石造物の一つとして評価されてきた。昭和十五年(一九四〇)に重要美術品となり、昭和三十二年(一九五七)二月十九日に重要文化財に指定された。
越前の他の多層塔と異なるのは、基礎の意匠である。塔身を載せる基礎は、二段に彫り出した複弁の反花座をもち、この形式の基礎を備えた多層塔は越前地域に他に例がない。反花の背面は無紋のままで、鬼門除けの意図ではなく彫りを省いたものとみられる。同じような省略は、越前の別の石塔にもわずかに認められる。
年号を刻む点も価値を高めている。施主と石工の双方を名に挙げる石塔はこの時代にそう多くなく、本塔には願主の金資、行現、そして大工の平末光の名が記される。研究者のなかには、この平末光を大阪に伝わる永仁四年(一二九六)銘の石灯籠の石工末光と同一人物とみて、畿内の石工が出張して造ったとする説を唱えた人もいる。ただし彫りの様式は別の見方を示す。梵字が越前式荘厳と呼ばれる地元特有の枠のなかに収められていることから、越前の石工の手によるとみるほうが自然だろう。
見どころ
まず基礎を見たい。正面に刻まれた六行の銘が、塔の年代を確かめる手がかりになる。摩耗してはいるが、光の具合が良ければ読み取れる。
視線を上げて初層の軸部へ。三つの面に、それぞれ一字の梵字が彫られている。仏を表す種子と呼ばれる文字で、正面が阿弥陀如来、右面が聖観世音菩薩、左面が勢至菩薩を表す。阿弥陀とその脇侍にあたる二菩薩の組み合わせである。いずれの種子も、蓮華座に載る月輪のなかに収められ、越前の石工が好んだ越前式荘厳の形をとる。
続いて屋根を数える。九つの屋根のうち八つは、垂木を彫り出し軒先をゆるやかに反らせている。最上層の九層目だけは反りがなく、上に載る相輪の露盤と一体に作られている。石の色も質感も下の層とは違う。じつはこの九層目の屋根と相輪は後補で、原形が失われたあと、寛永年間より後に補われたものである。
相輪そのものは高さおよそ九十五センチ。伏鉢、請花、九輪、水煙、竜車、宝珠と、塔の先端をかたちづくる各部が積み上がる。水煙は四枚のうち二枚が残る。
この塔は、はじめから今の場所に立っていたわけではない。昭和二十三年(一九四八)六月の福井震災で倒れ、その年のうちに復旧された。平成二年から三年にかけて解体修理が行われた際には、基壇の下が発掘され、礫を詰めた一四二×一三〇センチ・深さ三十センチの方形の穴が見つかっている。石の柵や正面の石灯籠を備えた現在の御廟所のたたずまいは、幕末の元治・慶応のころ、泰澄の廟所として整えられたものらしい。
大谷寺の周辺
寺は越前町南部の山すそにあり、境内は無料で参拝できる。歩いてすぐの円山と呼ばれる塚の上には、もう一基の石造物が立つ。観応三年(一三五二)銘の円山宝塔で、同じ笏谷石製、現在は越前町の指定文化財である。納骨のための施設とみられ、塚の下には石室か埋甕が眠る可能性が指摘されている。
西には標高六一二・八メートルの越知山がそびえる。越前五山の一つで越前加賀海岸国定公園の一部にあたり、泰澄が歩いたと伝わる行者道が通る。今は登山道が整えられ、山頂近くの越知神社まで道が続く。一帯は日本有数の古窯の流れをくむ越前焼の産地でもあり、西へ車を走らせれば越前海岸の断崖と漁村に出る。
Q&A
- 塔を間近で見られますか。
- 見られます。塔は境内の谷あいに屋外で立ち、境内は通年で自由に参拝できます。大長院の右奥、谷の少し入ったところにあります。
- 塔はどのくらい古く、全体が当初のものですか。
- 銘文から造立は元亨三年(一三二三)とわかります。大部分は当初のものですが、最上層の屋根とその上の相輪は後補で、寛永年間より後に補われています。
- 笏谷石とは何ですか。
- 福井市周辺で切り出される青みを帯びた火山礫凝灰岩です。加工しやすく屋外でも長く保つため、北陸では石造物や石仏、建築部材の素材として長く使われてきました。
- 泰澄とはどのような人物ですか。
- 奈良時代に福井の地で活動した修験の僧で、白山を開き、北陸に多くの寺を開いたと伝えられます。大谷寺では、若き日にこの地で修行し、神護景雲元年(七六七)にここで没したと伝わります。
- 近くに他の見どころはありますか。
- 集落の北東の塚に観応三年(一三五二)銘の円山宝塔があります。山頂に越知神社をいただく越知山は人気の登山先で、越前海岸や越前焼の窯元へも車で出かけられます。
基本データ
| 名称 | 大谷寺九重塔(おおたにじくじゅうのとう) |
|---|---|
| 所在地 | 福井県丹生郡越前町大谷寺 |
| 所有者 | 大谷寺 |
| 指定区分 | 重要文化財(昭和三十二年〈一九五七〉二月十九日指定/昭和十五年に重要美術品認定) |
| 種別 | 近世以前/その他(石造物) |
| 年代 | 元亨三年(一三二三)、鎌倉後期 |
| 員数 | 一基 |
| 材質 | 笏谷石(火山礫凝灰岩) |
| 総高 | 約四・五メートル(四四七・五センチ) |
| 公開状況 | 境内は通年自由参拝・無料/大谷寺バス停すぐ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):大谷寺九重塔
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/836
- 文化遺産オンライン(文化庁):大谷寺九重塔
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/184986
- 越前町 織田文化歴史館 デジタル博物館:石造物
- https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/24.html
- 越前町 織田文化歴史館 デジタル博物館:大谷寺
- https://www.town.echizen.fukui.jp/otabunreki/panel/18.html
最終更新日: 2026.06.04