私家集〈(唐紙)/素性、兼輔、宗于、遍照、高光、小町〉――唐紙に咲く、平安歌人六人の私の歌集
京都御所の北、同志社大学のキャンパスに包まれるようにして残る、現存唯一の公家屋敷――冷泉家。その奥深い御文庫(おぶんこ)と呼ばれる蔵に、まばゆいほど美しい六冊の歌集が伝えられています。雲母(きら)刷りの唐草文様を施した唐紙に書写された、素性・兼輔・宗于・遍照・高光・小町という平安時代を代表する六人の歌人の私家集(個人歌集)です。公益財団法人冷泉家時雨亭文庫の所蔵で、国の重要文化財に指定されているこの六帖(じょう)は、平安末期から鎌倉期にかけての装飾写本のなかでも特に名高い遺品といえます。
私家集とは――勅撰集と並ぶもう一つの和歌の伝統
平安時代の宮廷文化において、和歌は単なる文芸を超え、貴族たちの生き方そのものでした。天皇の勅命によって編まれる『古今和歌集』『新古今和歌集』などの「勅撰和歌集」のほかに、歌人個人や一家の歌を集めた歌集が編まれ、これを「私家集」(しかしゅう)または「家集」(かしゅう)と呼びます。
私家集は歌人の声を後世に伝える大切な器であり、家の文化的遺産として代々受け継がれていきました。藤原俊成、定家、為家と三代にわたって勅撰集の撰者を輩出した冷泉家には、こうした私家集が膨大に蓄積されており、なかでも本件の唐紙本六帖は、その装飾性において他に類を見ない名品として知られます。
六人の歌人――そのそれぞれの声
本書に収められているのは、九世紀から十世紀にかけて活躍した、和歌史を彩る六人の歌人の家集です。
素性(そせい、生年不詳~九一〇頃)
遍照を父とする僧侶歌人で、三十六歌仙の一人。仁和寺の屏風和歌などを詠み、宇多天皇の歌壇で活躍しました。本帖『素性集』は六〇首を収め、桜の散る情景や時の移ろいを情感豊かに詠む、流麗な調べが特徴です。
藤原兼輔(かねすけ、八七七~九三三)
「堤中納言」と称された貴族歌人。賀茂川の堤(つつみ)のほとりに邸宅を構えたことから、この呼び名が定着しました。『源氏物語』の作者、紫式部の曽祖父にあたります。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」という、親心を詠んだ一首は今も人々に愛唱されています。
源宗于(みなもとのむねゆき、生年不詳~九三九)
光孝天皇の孫として皇族に生まれながら源姓を賜って臣下となり、官位の昇進に恵まれぬまま生涯を終えた歌人。三十六歌仙の一人に数えられ、人気のない冬の山里の寂しさや、出世の遅れを嘆く独自の歌風は後世に影響を与えました。なお、本件の重要文化財名称表記では「宗干」とされていますが、現在の標準的な読みは「宗于(むねゆき)」です。
遍照(へんじょう、八一六~八九〇)
俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)、桓武天皇の孫にあたる人物です。仁明天皇に近侍し、天皇崩御後に出家して比叡山で受戒、後に元慶寺の座主となりました。紀貫之の『古今和歌集』仮名序において「六歌仙」の筆頭格として挙げられた、平安初期歌壇の重要人物です。
藤原高光(たかみつ、九三九頃~九九四)
右大臣藤原師輔の子として生まれた貴公子歌人。世俗の栄達を捨て、比叡山横川(よかわ)にて出家したことで知られます。彼の生涯は『多武峰少将物語』として物語化され、平安貴族の隠遁文学の原型を提供しました。本帖にはその静謐な心情を映す歌が収められています。
小野小町(おののこまち、生没年不詳・八二五頃~九〇〇頃)
古典和歌史を代表する女性歌人。「六歌仙」「三十六歌仙」の双方に名を連ねる稀有な存在で、恋と無常を情熱的かつ繊細に詠む歌風で知られます。「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は、誰もが一度は耳にする名歌です。後世には伝説的美女として様々な物語の主人公にもなりました。
「唐紙」――王朝美の極み
「唐紙(からかみ)」とは、もともと中国(唐)から渡来した装飾紙のことを指します。平安時代に貴族たちの間で珍重され、やがて日本でも雲母(きら)を用いて木版で文様を刷り出す技法が確立されました。淡く染められた地色の上に、白や黄の雲母が光を受けて柔らかく輝くさまは、王朝の美意識そのものといえます。
本件の六帖に用いられた唐紙は、唐草文様(からくさもん)を主とした絢爛な意匠で、白地白雲母亀甲繋文、白地黄雲母花唐草文、薄赤地白雲母唐草文、藍地白雲母花唐草文、白地白雲母鳳凰唐草文、藍地黄雲母瓜唐草文など、複数種類の文様が一帖のなかで使い分けられています。料紙そのものが芸術作品であり、そこに記された和歌と一体となって、王朝文化の精華を今に伝えています。
重要文化財に指定された理由
本書が国の重要文化財に指定された理由は、いくつもの観点から指摘できます。
第一に、本文の校訂学的な価値です。たとえば『素性集』は、所収六〇首のうち末尾の三首が他系統の伝本には見えず、本帖独自の伝本系統を形成しています。日本古典文学の本文研究において、欠くことのできない第一級の資料です。
第二に、藤原定家との関わりです。本書には各歌の頭に「古」「撰」などの集付(しゅうつけ:勅撰集に採られたことを示す書き入れ)が見られ、その多くは定家の手によるものと推測されています。つまり本書は、定家が勅撰集編纂の作業に用いた手沢本(しゅたくぼん:愛用書)であった可能性が高く、日本和歌史の中核をなす存在です。
第三に、料紙としての唐紙そのものが、平安末期から鎌倉期の装飾写本のなかでも傑出した美麗な遺品である点です。六人の有名歌人の家集を、統一感のある華麗な唐紙に書写したまとまった作例は他にほとんど例がなく、書跡史・工芸史の両面で非常に貴重なものとされています。
冷泉家八〇〇年の守り――典籍を未来へ伝える
冷泉家は、藤原俊成・定家を遠祖とする「和歌の家」です。定家の孫・為相(ためすけ、一二六三~一三二八)を初代として、現在に至るまで途切れることなく続いてきました。京都御所の北側にある冷泉家住宅は、寛政二年(一七九〇)に再建された、現存する唯一の完全な公家屋敷として重要文化財に指定されています。
俊成は『千載和歌集』、定家は『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』、為家は『続後撰和歌集』『続古今和歌集』と、三代にわたって勅撰集の撰者を出した家柄であり、その編纂活動を支えたのが、本件のような典籍類でした。屋敷の奥には「御文庫(おぶんこ)」と呼ばれる神聖な蔵があり、現在も当主と嫡男以外は立ち入りを許されないという厳格な伝統が守られています。
江戸時代の天明の大火(一七八八)で屋敷は焼失したものの、御文庫は奇跡的に類焼を免れ、貴重な典籍類が今に伝えられました。本件の唐紙本六帖もまた、八〇〇年の時を超えて生き延びた稀有な存在なのです。
見学情報――限られた機会に出会う宝
冷泉家住宅および所蔵典籍類は、通常は一般非公開です。特に本件の唐紙本六帖は御文庫内に厳重に保管されており、特別公開時にも展示されることはほとんどありません。ただし、冷泉家住宅自体は年に二回ほど一般公開される機会があります。
毎年春のゴールデンウィーク前後と、秋の十月下旬から十一月上旬にかけて、「京都非公開文化財特別公開」の一環として、冷泉家住宅の内部見学が可能です。公開期間中は重要文化財の住宅と庭園、御文庫の外観などを拝観することができます。一般的な拝観料は大人一〇〇〇円、中高生五〇〇円。敷地内での写真撮影は一切禁止されています。
また、冷泉家時雨亭文庫所蔵の典籍類は、京都国立博物館、東京国立博物館、出光美術館などで開催される特別展に出展されることもあります。展覧会のスケジュールを確認すれば、唐紙本のページを実際に目にする機会が得られるかもしれません。
周辺の見どころ
冷泉家住宅の周辺は、平安時代以来の公家町の名残をとどめる文化的なエリアです。すぐ南には京都御所を擁する広大な京都御苑が広がり、宮廷文化の舞台となった場所を散策できます。御所内の仙洞御所の優美な庭園も見学の価値があります。
冷泉家住宅の三方を囲むのは、明治時代に開校した同志社大学の今出川キャンパスです。赤レンガと石造りの近代建築群(重要文化財)は、和洋の文化が出会う京都ならではの景観をつくり出しています。
少し足を伸ばせば、世界遺産の下鴨神社(賀茂御祖神社)が徒歩圏内にあります。糺の森(ただすのもり)を抜けて参拝するルートは、京都市街の喧騒を忘れさせてくれます。さらに鴨川沿いを北上すれば、もう一つの世界遺産・上賀茂神社へと続きます。和歌と王朝文化に思いを馳せる旅の延長線上に、自然と信仰の景観が広がっています。
Q&A
- この唐紙本の六帖を実際に見ることはできますか?
- 原則として一般公開はされていません。冷泉家の御文庫に厳重に保管されています。ただし、京都国立博物館などで開催される特別展に出陳されることがありますので、展覧会情報を確認するのが良いでしょう。
- 「唐紙」とはどのような紙ですか?
- 中国から渡来した装飾紙を起源とし、日本でも雲母(きら)を用いて木版で文様を刷り出した美麗な紙です。柔らかい地色に光る雲母の文様は、平安王朝の美意識を象徴します。現在でも京唐紙の技は伝承されています。
- 藤原定家とこの本との関係は?
- 本書の各歌頭にある「古」「撰」などの集付(書き入れ)は、その多くが定家の手になるものと推測されています。定家が勅撰集編纂に用いた手沢本である可能性が高く、和歌史研究の中核となる資料です。
- 小野小町はどのような歌人ですか?
- 平安初期を代表する女性歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人に数えられます。恋や無常を情熱的に詠む歌風で知られ、「花の色は移りにけりな」の歌などで広く愛唱されています。後世には伝説的美女としても名高い存在です。
- 冷泉家住宅はいつ見学できますか?
- 毎年春のゴールデンウィーク前後と、秋の十月下旬から十一月上旬にかけての「京都非公開文化財特別公開」の期間中、数日間に限り一般公開されます。詳しい日程は京都古文化保存協会のサイトでご確認ください。
基本情報
| 名称 | 私家集〈(唐紙)/素性、兼輔、宗于、遍照、高光、小町〉 |
|---|---|
| 区分 | 重要文化財(書跡・典籍) |
| 時代 | 平安時代末期~鎌倉時代(十二~十三世紀) |
| 形状 | 唐紙(雲母刷りの唐草文様)に書写された六帖 |
| 指定日 | 素性集(唐紙)は平成三年(一九九一)六月二十一日指定、私家集の一括指定は平成十四年(二〇〇二)六月二十六日 |
| 所有者 | 公益財団法人冷泉家時雨亭文庫 |
| 所在地 | 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入玄武町五九九番地 |
| 最寄り駅 | 地下鉄烏丸線「今出川駅」徒歩すぐ |
| 公開状況 | 通常非公開。冷泉家住宅は年二回(春・秋の数日)、京都非公開文化財特別公開にて拝観可能。ただし典籍類そのものは展示されない。 |
参考文献
- 私家集 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/188082
- 素性集(唐紙) - 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186512
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8951
- 公益財団法人 冷泉家時雨亭文庫 公式サイト
- https://reizeike.jp/
- 冷泉家時雨亭文庫 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/冷泉家時雨亭文庫
- 京唐紙 - 京都通百科事典
- https://www.kyototuu.jp/Tradition/KougeiKyoKarakami.html
- 京都市上京区役所:上京区の史蹟百選/冷泉家住宅
- https://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000012308.html
最終更新日: 2026.05.14