来日して帰らなかった元僧の筆、唯一の国宝

絹に大きな文字で書かれた二幅の書が、十四世紀から京都のある寺に残されている。筆者は竺仙梵僊(じくせんぼんせん)。元の禅僧でありながら、1329年に来日し、その後は二度と大陸へ戻らなかった人物である。この二幅は〈明叟斉哲開堂諸山疏〉の名で記録され、昭和27年(1952年)に国宝へ指定された。現存する竺仙の墨蹟は数点あるが、国宝の格に達したのはこの一件のみである。

所蔵するのは、京都・紫野の大徳寺塔頭、龍光院。臨済宗大徳寺派に属するこの小院は、曜変天目茶碗をはじめ四件の国宝を堂内に収めながら、その門を一般には開かない。本作はその四件の一つにあたる。儀礼の文書がなぜ国宝に位置づけられたのか。それを知るには、この書がどういう性格のものかを押さえておく必要がある。

二幅が記録するもの

禅林において、高僧の筆跡は墨蹟と呼ばれる。装飾的な能書としてではなく、書き手の心の動きと、途切れることのない法の系譜を直に映すものとして重んじられた。敬われた住持の一行は法脈の証しに近い意味を帯び、のちには茶席で最も尊ばれる掛物の形式となっていく。

この二幅の背後にあるのは開堂の儀である。開堂とは、禅僧が住持として初めて法座に登り、集まった大衆に向けて説法する公式の式である。法脈を定める公の場であり、そこには相応の文書が伴った。標題の「諸山」は、中世の五山制度における禅院の格付けを指す。頂点に五山、その下に十刹、さらにその下に諸山という広い層が置かれた。「疏」は、対句を連ねた格調高い文体で書かれる儀礼の文章である。

つまり標題は、明叟斉哲という僧の住持就任にかかわる一対の儀礼文書を、竺仙が自ら筆を執って書いたものであることを示している。文化庁の記録では、時代区分は元・南北朝、国は中国・日本とされ、書跡・典籍に分類される。料紙ではなく絹に仕立てられている点はこの種の文書としては珍しく、表面に独特の重みを与えている。

この筆が重んじられた理由

竺仙は浙江沿海の慶元府の出で、中国の古林清茂の法を継いだ。1329年、九州の守護大名大友貞宗の要請を受け、同じく渡来僧の明極楚俊に従って海を渡った。翌年には鎌倉に下り、足利尊氏・直義の帰依を受ける。やがて京都の南禅寺、鎌倉の建長寺など大寺の住持を歴任し、その学識は先に来日した一山一寧に次ぐと評された。

残した最大のものは文化の側にある。およそ二十年の在日のあいだに彼は多くの僧を養成し、五山文学の基礎づくりに加わった。五山文学とは、鎌倉末期から室町期にかけて京都・鎌倉の禅僧が手がけた漢詩文の総体である。この二幅の書は、中国の禅文化が日本の地で受け入れられ、つくり直されていく、その移し替えの時期に位置している。

二幅は竺仙の現存作のなかでも大きさで際立つ。文字は大きく、寸法もゆったりとして、闊達な運筆が見てとれる。大きな存在感をもつ僧が、儀礼の場で筆を存分に走らせたこの組み合わせが、彼の他の指定作を超えて、昭和27年に国宝へと位置づけられた根拠である。

見ること、その周りを歩くこと

訪れる者にとって難しいのはここからである。龍光院は門を開かない。特別公開も行わず、一般の拝観も受け付けないため、日本で最も目にしにくい国宝を抱える寺として知られてきた。書院に組み込まれた茶室「密庵」は、国宝に指定された三つの茶室の一つでありながら、その三つのうち唯一、通常は見ることのできない席である。

例外はまれにしかない。平成31年(2019年)、滋賀のMIHO MUSEUMが寺の什宝をまとめて世に出す展覧会を開き、曜変天目茶碗とともに竺仙の墨蹟も出陳された。この種の出陳を待つことが、一般の人がこの作品に出会う現実的な道である。

できるのは、この書が眠る場所を歩くことだ。大徳寺の伽藍は紫野の静かな一画に広がり、土塀と砂利の小径が続く。龍源院、大仙院、高桐院、瑞峯院など、ほかの塔頭のいくつかは通常拝観を受けている。閉ざされた龍光院の門はそれらの間に並んでおり、その前に立ち、門の内に守られているものを思い浮かべること。それもまた一つの参拝の形である。

Q&A

Qこの書を実際に見ることはできますか。
A寺では見られません。龍光院は一般非公開で特別公開もありません。美術館へ貸し出される稀な機会、たとえば2019年のMIHO MUSEUM展のようなときに限って出陳されます。美術館の展覧会情報を確認するのが現実的です。
Q竺仙梵僊とはどのような人物ですか。
A元から1329年に来日し、生涯を日本で過ごした禅僧です。足利将軍家の帰依を受け、南禅寺や建長寺などの住持を務め、約二十年の在日のあいだに五山文学の基礎づくりに加わりました。
Q「開堂諸山疏」とは何を指しますか。
A禅僧の住持就任式である開堂にかかわる儀礼文書を指します。「諸山」は五山制度における禅院の格の一層、「疏」は対句を用いた格調高い文章のことです。本作は明叟斉哲の開堂に関する文書です。
Q竺仙の他の墨蹟は重要文化財なのに、なぜこれは国宝なのですか。
A他の現存作の幾つかは重要文化財に指定されています。本作は文字が大きく寸法も大きいうえ、運筆の力強さから彼の書風を示す代表作とされ、その点で別格に扱われました。1952年に国宝へ指定されています。
Q大徳寺では何を拝観できますか。
A龍光院は閉じていますが、近隣の塔頭のうち大仙院、高桐院、龍源院、瑞峯院などは拝観を受け付けています。大徳寺の境内は歩くのに心地よく、市バス「大徳寺前」から徒歩約五分です。

基本情報

名称竺仙梵僊墨蹟〈明叟斉哲開堂諸山疏/(絹本)〉
ふりがなじくせんぼんせんぼくせき
種別書跡・典籍
指定区分国宝(指定番号 130)
指定年月日昭和27年(1952年)11月22日
員数2幅
品質絹本墨書
時代元・南北朝時代(14世紀)
所有者龍光院(大徳寺塔頭)
所在地京都府京都市北区紫野
アクセス市バス「大徳寺前」から徒歩約5分(寺は一般非公開)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/663
京都通百科事典 龍光院
https://www.kyototuu.jp/Temple/RyoukouInDaitokuji.html
ウィキペディア 龍光院 (京都市北区)
https://ja.wikipedia.org/wiki/龍光院_(京都市北区)
ウィキペディア 竺仙梵僊
https://ja.wikipedia.org/wiki/竺仙梵僊
美術手帖 大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(MIHO MUSEUM 2019年)
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/19335

最終更新日: 2026.06.06