亀岡に残る明治の本邸

京都府亀岡市の中心、JR亀岡駅から徒歩で10分ほど北へ歩いた閑静な一画に、楽々荘と呼ばれる邸宅がある。明治31年(1898年)頃、亀岡出身の実業家・田中源太郎が自らの生家を改築して建てた本宅で、煉瓦造の洋館と書院造の和館、その両者をつなぐ式台付きの玄関棟、そして約650坪の池泉回遊式庭園からなる。3棟の建物は明治の上流邸宅としてまとまった姿をよくとどめ、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録された。

このうち楽々荘日本館は、洋館の奥に長く伸びる木造平屋の和館部分である。一見すると平屋の落ち着いた書院造だが、近づいて細部を見るほどに、設計と仕事の周到さが浮かび上がる。

田中源太郎と楽々荘の建築

田中源太郎は嘉永6年(1853年)、亀岡藩の商家に生まれた。明治維新後の明治17年(1884年)、亀岡銀行(現在の京都銀行の源流の一つ)を設立。その後、関西の政財界に進出して30を超える企業の経営に関わったとされ、衆議院議員、貴族院議員も務めた。

事業の中でも田中が情熱を注いだのが京都鉄道株式会社による山陰線敷設である。京都と丹波を直接結ぶ路線として、難工事の末に明治26年(1893年)、嵯峨〜亀岡間が開通した。楽々荘の煉瓦造洋館に使われた煉瓦は、この山陰線のトンネルや鉄橋に用いられたものと同じだと伝わる。鉄道事業の集大成として、迎賓と居住を兼ねた本邸を構えた——というのが楽々荘成立の背景である。設計施工は清水組(現・清水建設の前身)。

大正11年(1922年)、田中は自らが敷いた山陰線の清滝鉄橋で列車脱線事故に巻き込まれ、69歳で生涯を閉じた。屋敷は昭和23年(1948年)頃に田中家を離れ、料亭、ホテル、レストランと用途を変えながら今日まで建物を守り続けている。2018年(平成30年)から、がんこフードサービス株式会社が「がんこ京都亀岡楽々荘」として営業している。

登録有形文化財としての価値

楽々荘日本館は1997年(平成9年)6月12日、登録番号26-0004で国の登録有形文化財(建造物)に登録された。同じ日に楽々荘洋館と楽々荘玄関も登録され、田中源太郎邸として一体的に整備された3棟が文化財として残ることとなった。

登録基準には「再現することが容易でないもの」が用いられている。現代では同等のものを作ろうとしても困難であるほどに、当時の素材と職人技がつぎ込まれていることを示す基準で、和館の場合は特に、室内意匠と仕上げに込められた仕事ぶりに着目した評価といえる。

見どころ——主人室と夫人室の意匠

建物は木造平屋建、瓦葺、建築面積235平方メートル。文化庁の解説によれば、和館部は当初、主人室と夫人室として使われていたと伝わる。書院造の中で、二室の意匠を変えて仕上げた点が特徴である。床の間と床脇の構成、棚の段組み、用いる銘木の種別や柾目の取り方まで、二室で異なる解が選ばれている。同じ書院の様式の中で、注文主と職人がどこまで遊び心と格式の両立を追求できたか——その答えがこの二室に凝縮されている。

外観の見どころは屋根である。平屋でありながら、軒の下にもう一段の庇屋根を回し、二重屋根のように見せている。これは平屋でありがちな単調さを避け、二階建てに匹敵する重量感を建物に与える工夫だ。屋根瓦と木組みの取り合い、軒先の納まりの精度は、近づくほどに分かる。

建物の前には、明治を代表する庭師・七代目小川治兵衛(植治)による池泉回遊式庭園が広がる。2010年(平成22年)には京都府登録文化財(名勝)に登録された。亀山城から移されたと伝わる安土桃山時代の石燈籠と鉄製の井筒、樹齢三百六十年を超えるとされる老松、鶴亀になぞらえた中島の松——明治の権力者の庭にしては抑制が利き、書院から望むためにつくられた構図であることがよく分かる。

現在の楽々荘とアクセス

2018年(平成30年)から、楽々荘の3棟は「がんこ京都亀岡楽々荘」というレストランとして使われている。庭園は無料開放されており、受付に声をかければ食事をしなくても散策できる。日本館・洋館の内部は食事客が利用するため、予約時に「登録文化財の和室で食事をしたい」旨を伝えておくと案内されやすい。当日の予約状況によっては利用中で見られない場合もあるため、事前確認が確実である。

JR山陰本線(嵯峨野線)亀岡駅から徒歩約10分。京都駅から快速で約20分、普通で約30分と、京都市内からのアクセスは良い。京都縦貫自動車道亀岡ICから車で約5分。

亀岡周辺の見どころ

亀岡は京都の奥座敷として古くから知られる。最も人気のある楽しみ方は水路で、保津川下りは亀岡から嵐山・渡月橋まで約16キロを舟で下る。帰路には嵯峨野トロッコ列車——田中源太郎が敷いた旧山陰線をそのまま観光鉄道として再生したもの——に乗って、保津峡の渓谷美を逆方向からたどることもできる。

市内には亀山城跡(明智光秀ゆかりの城跡)、亀岡盆地東部の出雲大神宮(本殿は国の重要文化財、足利尊氏が修造したと伝わる三間社流造の檜皮葺き)などもあり、半日では足りない密度がある。秋の朝霧、春の保津川沿いの桜、夏の鵜飼など、季節ごとに違う景色を見せる町である。

Q&A

Q日本館の内部は見学できますか?
A建物内部はレストラン「がんこ京都亀岡楽々荘」の食事利用が条件です。登録有形文化財の和室は予約状況によって入室できる日とできない日があるため、予約時に和室での食事を希望する旨を伝えるのが確実です。
Q庭園だけ見ることはできますか?
Aはい。庭園は無料開放されており、レストラン営業時間中に受付に声をかければ、食事をしない方も散策できます。七代目小川治兵衛作庭の名園を気軽に楽しめる機会です。
Q田中源太郎とはどんな人物ですか?
A幕末の亀岡藩商家に生まれ、明治から大正にかけて関西の政財界で活躍した実業家・政治家です。京都鉄道(現JR山陰本線)を敷設した中心人物で、亀岡銀行(現京都銀行の源流)など30を超える企業に関わりました。大正11年(1922年)、自ら敷いた山陰線の清滝鉄橋脱線事故で69歳で亡くなっています。
Q日本館と洋館はどう違いますか?
Aどちらも明治31年頃に清水組が同時に建てた田中邸の構成要素ですが、性格は対照的です。洋館は煉瓦造一部木造の2階建で、東と南にベランダを持つ明治の洋風建築。日本館は木造平屋・書院造で、田中夫妻の私的な居室として整えられた和の空間でした。両者は玄関棟を介して内部でつながっており、洋と和を行き来する明治の上流邸宅の典型例といえます。
Q京都市内からの行き方は?
AJR京都駅から山陰本線(嵯峨野線)の快速で約20分、普通で約30分です。亀岡駅から北へ徒歩約10分。嵯峨嵐山駅からも乗り換えなしで来られるので、嵐山観光と組み合わせやすい立地です。

基本情報

名称楽々荘日本館(らくらくそうにほんかん)
所在地京都府亀岡市北町44
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 26-0004
登録年月日1997年(平成9年)6月12日
登録基準再現することが容易でないもの
建築年代明治31年(1898年)頃
構造及び形式木造平屋建、瓦葺、建築面積235平方メートル
員数1棟
設計施工清水組(現・清水建設の前身)
原所有者田中源太郎(1853-1922)
現所有者光明文化芸術株式会社
現用途2018年(平成30年)よりレストラン「がんこ京都亀岡楽々荘」の一部
アクセスJR山陰本線(嵯峨野線)亀岡駅から徒歩約10分。京都縦貫自動車道亀岡ICから車で約5分
庭園七代目小川治兵衛(植治)作庭の池泉回遊式庭園。2010年(平成22年)京都府登録文化財(名勝)

参考文献

楽々荘日本館 — 文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/191219
国指定文化財等データベース 楽々荘日本館
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00000219
田中源太郎翁旧邸 — 亀岡市観光協会
https://www.kameoka.info/seeing/gentarou.php
お屋敷・京都 亀岡 楽々荘 — がんこフードサービス
https://www.gankofood.co.jp/shop/detail/ya-kameoka/

最終更新日: 2026.05.17