鎌倉時代に書写された詩経の断簡
毛詩小雅残巻は、中国最古の詩集である詩経の一部を、日本において鎌倉時代に書き写した巻物である。残されているのは詩経のうち「小雅」と呼ばれる一群で、巻末に置かれた「残巻」の語が示すとおり、もとはより長かった巻物の一部分が今日まで残ったものと考えられている。
詩経は風・雅・頌の三部からなり、雅はさらに大雅と小雅に分かれる。小雅は宴饗や儀礼の場、あるいは時世への憂いを詠んだ詩を多く含む部分として知られる。本巻はその小雅の本文を書写したものであり、漢籍そのものではなく、日本で筆写された写本である点に特色がある。
「毛詩」という名のいわれ
題名の冒頭に置かれた「毛詩」は、この詩集がどの系統で受け継がれてきたかを示している。漢代には詩経をめぐっていくつかの伝授の系統が並び立ったが、後世に広く行われたのは毛氏に帰せられる本文で、これに毛伝と呼ばれる古い注、さらに鄭玄の箋が添えられて受け継がれた。日本に渡来し、学ばれたのもこの毛詩の系統である。単に「詩経」と呼ばずに「毛詩」と称するのは、この学統に連なる本文であることを明示するためである。
漢籍の受容と訓点の学問
詩経は五経の一つに数えられ、律令制下の大学寮では、明経道の学生が必ず学ぶべき書物とされた。清原家をはじめとする明経道の博士の家は、こうした経書の読解と講説を家学として受け継ぎ、平安から鎌倉にかけて、その学問を支え続けた。
漢文を日本で読むには、本文の傍らに細かな符号を書き加える独自の方法が発達した。語順を入れ替えて読む返り点、和語をあてる訓、声調を示す声点などがそれである。経書の写本は、本文そのものに加えて、こうした加点が遺されている場合には、その点からも重んじられる。漢籍を日本人がどのように声に出して読んだのか、その実態を一行ごとに記録した資料となるからである。
日本で書写された経書の写本が貴重とされる理由の一つはここにある。海を渡ってきた古典が、いかにして書き写され、講じられ、日本の学問のなかに根を下ろしていったか。その過程を示す証跡として、断簡もまた研究の対象となる。
重要文化財としての価値
本巻は昭和18年(1943年)6月9日に重要文化財に指定された(指定番号1222)。鎌倉時代に書写された経書の写本は現存例が多くなく、まして完本はまれで、今日伝わるものの大半は、長巻から切り離されたり、後世の改装の過程で残されたりした断簡である。小雅の本文がまとまって残り、整った書風で記された一巻は、書跡としても、また本文の伝来を示す典籍資料としても価値が高い。指定は、大陸の学問が日本に根づいていった、その書物の歴史の一端を評価したものといえる。
見どころと鑑賞の手がかり
学術的な写本は、絵画や彫刻とは異なる種類の注意を見る者に求める。見どころは筆致と、手で作られた書物が帯びる細部にある。整然と引かれた界線。長い料紙の上を一定の字粒で運ばれていく筆の呼吸。紙を継いで巻物に仕立てた継ぎ目。もし加点が遺されていれば、本文の漢字のあいだに、別の淡い筆で記された点や鉤や線として現れる。間近に見れば、一枚の紙が、本文を写すという行為と、それを読み解こうとする営みという、二つの仕事の記録になっていることに気づく。
実際に見たいと考える人には、一つ留意したい点がある。傷みやすい紙の写本は展示の機会が限られ、期間も短い。一巻の断簡が常時公開されることはなく、観覧を期する場合は、特別な展示の折を待つものと考え、事前に開催中の展覧会の情報を確かめておくのがよい。
京都国立博物館とその周辺
本巻を収蔵するのは、京都市東山区にある京都国立博物館である。同館の収蔵品は絵画・書跡・陶磁・染織・仏教彫刻と多岐にわたり、中世の写本や古筆の展示は、この種の文化財を理解する手がかりとなる。本巻が出陳されていない時期であっても、関連する書跡の展示に接することはできる。
周辺は、半日をかけて歩く価値のある一帯である。博物館の向かいには、千一体の観音像で知られる三十三間堂が建つ。坂を上れば、障壁画と庭園で名高い智積院があり、清水寺へと続く南東山の道筋も近い。京都駅からはバスで十分ほど、京阪電車の七条駅からは徒歩数分の距離にある。
Q&A
- 毛詩小雅残巻は中国の作品ですか、日本の作品ですか。
- 本文は中国の古典である詩経の一部ですが、この巻物自体は鎌倉時代の日本で手書きされた写本です。中国の古典が日本でどのように書写され、読まれたかを示す点に大きな意味があります。
- 「小雅」とはどのような部分ですか。
- 詩経を構成する区分の一つで、宴饗や儀礼、時世への思いを詠んだ詩を多く含むとされる一群です。本巻は、この小雅の本文の一部を書写したものです。
- 京都国立博物館でいつでも見られますか。
- 常時の公開はありません。光に弱い紙の写本は限られた期間のみ展示されるため、開催中の展覧会の予定を確かめてから訪ねることをおすすめします。
- なぜ断簡が重要視されるのですか。
- 鎌倉時代の経書の写本は現存例が少なく、その多くは断簡です。不完全な一巻であっても、本文と、それがどう読まれたかを示す貴重な手がかりを残しており、そのために重要文化財に指定されています。
- 東京にある大雅の残巻とは別のものですか。
- 別個の文化財です。東京の巻は大雅の一部を写したより古い写本で、本巻は小雅を書写し、鎌倉時代の日本で記されたものです。
基本情報
| 名称 | 毛詩小雅残巻(もうししょうがざんかん) |
|---|---|
| 区分 | 重要文化財(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和18年(1943年)6月9日 |
| 指定番号 | 1222 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 員数 | 1巻 |
| 保管施設 | 京都国立博物館(京都市東山区茶屋町527) |
| 公開状況 | 常設展示なし。特別展などで随時公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8033
- 京都国立博物館 公式サイト
- https://www.kyohaku.go.jp/
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/
- 詩経(背景資料)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/詩経
最終更新日: 2026.06.13