庚申の夜に催された歌合を書き留めた一巻

治暦三年(1067年)九月九日と、翌治暦四年(1068年)十二月二十三日。いずれも庚申にあたる夜である。眠らずに夜を明かす庚申待の習わしのなか、宮廷の人々は歌合を催した。和歌を左右に番わせ、その優劣を競う遊宴である。この「類聚歌合巻第七残巻」には、そうした夜の催しを含むいくつかの歌合の記録が書き留められている。

現存するのは一巻。かつての第七巻のうち、いまに残った部分である。平安時代の作で、昭和十七年(1942年)六月二十六日に重要文化財に指定された。所在は京都府。記録された歌合の舞台であった旧都に、この一巻もまた置かれている。

この断簡の価値は、二つの面から測られる。ほかに記録の乏しい歌合の一次資料であると同時に、平安時代後期の貴族が用いた書の手本でもある。十一世紀から十二世紀にかけての文学と書、その双方にこれほど近づける品は多くない。

歌合とは何か、なぜ記録が集められたのか

歌合は、審判のつく勝負に似ている。歌人を左方・右方の二組に分け、定められた題に従って詠んだ和歌を一番ずつ番わせる。講師が歌を読み上げ、双方が難陳と呼ばれる議論で自陣の歌を弁護し相手の歌の欠点を指摘したのち、判者が勝・負・持(引き分け)の判定を下す。その理由を記した判詞は、それ自体が一つの歌論となった。現存最古の歌合は九世紀末にさかのぼり、平安後期から鎌倉初期にかけて、遊宴から歌人の力量を競う場へと性格を変えていった。

判定と歌がその場で書き留められたため、個々の歌合は後世の歌人や学者が参照したい文献を生んだ。十二世紀、宮廷ではこれらを集成する作業が始まる。先行する十巻本は四十六度ほどの歌合を集めたが、清書本の完成にはいたらなかった。これに続いて、より大規模に二百余度の歌合を二十巻に編んだのが「類聚歌合」、すなわち二十巻本歌合である。その編纂は元永から大治年間(おおよそ1118年から1131年)にかけて段階的に進められ、後半には藤原忠通が大きく関与したとされる。

この集成は、二十種を超える筆跡によって書写された。指定にあたって重視されたのもこの点である。現存する類聚歌合の各巻は、平安後期の多彩な書風が見渡せる作例として尊ばれてきた。同じ時代は、装飾を凝らした名高い古写本を数多く生んだ時代でもある。巻第七残巻は、散逸したその全体の一片であり、収録歌合の本文と、名を残さない書写者の筆とを併せもっている。

この一巻で注目したいところ

この巻に記される歌合は、二つの場に集まる。一つは内親王家、すなわち皇女の御所で催されたもの。もう一つは「院」と記される、退位した尊貴な人物の場で開かれたものである。年紀のある記事は治暦の年間(1065年から1069年)を指し示し、うち二度は1067年と1068年の庚申の夜と明記される。五月五日にあたる一度は、端午の節句にちなんだ催しと見られる。

この集まり方は、宮廷で歌がどのように営まれたかをささやかに示す。歌合はつねに荘重な公の儀式であったわけではない。皇女や院が、眠らずに過ごす夜を保たせるための催しとして開くこともあった。香が燃え尽きるまでのあいだ、人々は題に向かって歌を詠んだ。詞書を読み解けば、ある一つの歌壇が二、三年のうちにたどった歌の暦が浮かび上がる。

ここにしか、あるいはごく限られた文献にしか残らない歌合にとって、この巻の代えがたさは大きい。番に負けて勅撰集に入らなかった歌も、勝者と敗者をひとしく書写したこのような集成のなかで生き延びることがある。研究者がこの種の記録を読むのは、名歌を求めてというより、現に動いていた歌の文化の手ざわりのためである。出された題、議論の組み立て方、ほかでは記録から消えてしまう人々の名が、そこに残されている。

見どころは筆にもある。平安後期の書写者は、染め紙や雲母を散らした料紙に、連綿と続く流麗な仮名を運んだ。線の運び、字配り、墨の濃淡には、鍛えられた手が表れる。全体が多くの手によって書かれているため、ある部分とほかの部分を見くらべること自体が一つの観察となる。

類聚歌合とその世界に触れる

この断簡は京都の個人の手にあり、常時公開はされていない。類聚歌合に出会いたい旅行者は、その仲間にあたる品を頼りに計画を立てるとよい。東京国立博物館は、同じ二十巻本の別の部分をいくつか所蔵しており、なかには国宝に挙げられるものもある。これらは前近代の書を入れ替える展示のなかで折にふれて公開され、多くは同館のデジタルアーカイブでも公開されている。書の運びを一面ずつ確かめることができる。

京都であれば、平安・鎌倉の書と宮廷文化に厚い京都国立博物館が、背景を知るのにふさわしい。歌合を生きた営みとして知りたい人は、いまに続く披講の儀礼に目を向けるのもよい。毎年一月の宮中歌会始では、歌合を生んだ宮廷の伝統につらなる詠み方が今も用いられている。

訪れる前に、名高い歌合の現代語訳を一つ読んでおくと理解が深まる。一番がどのように争われ、どう判定されたかを知れば、こうした巻の密な行も、ただの草書の塊ではなく、実在の歌をめぐる実在の議論の記録として立ち上がってくる。

Q&A

Q類聚歌合巻第七残巻とは、具体的にどのようなものですか。
A十二世紀に二百余度の平安時代の歌合を二十巻に集成した「類聚歌合」のうち、第七巻の一部として残った一巻の写本です。1067年・1068年の年紀をもつものを含め、複数の歌合の記録を収めています。
Qなぜ重要文化財に指定されたのですか。
A本文と書、二つの面に価値があるためです。文献としては記録の乏しい歌合を残し、書としては平安後期の宮廷の筆跡を今に残しています。指定は1942年6月です。
Q実物を見ることはできますか。
Aこの断簡は京都の個人蔵で、常時の公開はされていません。同じ類聚歌合の別の部分は、国宝を含めて東京国立博物館が所蔵し、折にふれて展示され、デジタルアーカイブでも公開されています。
Q庚申の夜とは何ですか。なぜその夜に歌合を催したのですか。
A庚申待は、特定の日に一晩中眠らずに過ごし、災いを避けようとした習わしです。貴族の家ではその長い夜を遊びや催しで埋めました。歌合は、眠らぬ夜を雅やかに過ごす一つの方法でした。
Q歌合の勝敗はどのように決めたのですか。
A左方と右方に分かれ、歌を一番ずつ番わせます。各番の歌を読み上げ、双方が議論したのち、判者が勝・負・持を判定し、その理由を判詞として書き記しました。

基本情報

名称類聚歌合巻第七残巻(るいじゅううたあわせまきだいななざんかん)
種別書跡・典籍
指定区分重要文化財(1942年6月26日指定)
指定番号01208
時代平安時代
員数1巻(巻子装)
所在地京都府(個人蔵・常時公開なし)
収録内容複数の歌合の記録。治暦年間(1067年・1068年)の庚申夜の催しを含む

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「類聚歌合巻第七残巻」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8023
類聚歌合(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/類聚歌合
e国宝(国立文化財機構)「類聚歌合」
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100370
歌合(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/歌合
歌合の用語解説(やまとうた)
https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/utaawase/utaawase.html

最終更新日: 2026.06.13