もう一つの弥勒、泣いている弥勒

広隆寺の霊宝殿に入ると、正面中央に細身の半跏像が座している。昭和26年(1951年)に国宝彫刻第1号として指定された宝冠弥勒である。その右隣に、ひとまわり小さい弥勒菩薩半跏像がもう1躯置かれている。眉を寄せ、人差し指と中指の二本を頬の近くにあげた姿が泣いているように見えることから、古くから「泣き弥勒」と呼ばれてきた。国指定文化財等データベースに「木造弥勒菩薩半跏像」(指定番号50)として登録される、こちらも国宝である。

弥勒菩薩は、釈迦の入滅から長い時を経てこの世に現れ、人々を救うとされる未来の仏である。片足を組み、もう一方の足首を膝に乗せ、わずかに首をかしげて手を頬に寄せる半跏思惟の姿は、その救済の手立てを思案する一瞬をかたどっている。多くの半跏像では穏やかに映るその表情が、この像では悲しみを帯びて見える。

飛鳥の木、異なる素性

泣き弥勒は飛鳥時代、7世紀の作とされる。隣の宝冠弥勒と同じ時代の像であり、二躯はしばしば一緒に語られ、同じくらいしばしば取り違えられる。中央の宝冠弥勒は、日本の彫刻には珍しいアカマツの一木から彫り出されており、それを根拠に朝鮮半島で造られて将来されたとする見方が有力である。一方の泣き弥勒は、飛鳥期の日本の仏師が好んで用いたクスノキ(樟)から彫られている。このため、多くの研究者はこれを日本で造られた像、すなわち大陸の像にならった国内の作と見ている。

保護の歴史は長い。本像は明治30年(1897年)12月、社寺の宝物を近代的に守りはじめた古い法のもとで重要文化財に指定された。国宝となったのは昭和27年(1952年)11月2日、宝冠弥勒が戦後最初の指定の筆頭に挙げられた翌年である。体躯はクスノキの一木造で、表面は漆を塗り金箔をおいた漆箔仕上げだが、いまはその痕跡をとどめる程度しか残らない。ほかの古像とはっきり異なる点が一つある。両脇に垂れる天衣と右足にかかる裳裾の一部は、木から彫り出すのではなく、革に漆を塗って形づくられている。

像の前に立つ

霊宝殿の内部は照明が控えめで、像とのあいだにガラスは入っていない。暗さに目が慣れるまで、少し時間を見ておきたい。泣き弥勒は小さく、台座の上端まで約90センチ、像高はおよそ66センチほどなので、近づいて見るとよい。

まず頭部に目をやる。隣の像のような透かし彫りの高い宝冠ではなく、この像は髪を高く結い上げた髻(もとどり)を戴く。「宝髻弥勒」というもう一つの呼び名はここに由来する。次に顔。口元は下がり、目は伏し、隣で微笑む宝冠弥勒にはない重さをまとう。頬に近づくのは指先二本で、押し当てるのではなく、わずかに浮かせている。彫った者が悲しみを意図したのか、それとも千数百年の摩耗が結果として悲しげな表情を生んだのかは定かでなく、像を見るあいだ頭の片隅に置いておきたい問いである。

地元には、聖徳太子の追慕のために造らせ、うつむいた顔は理想がなかばで途絶えた嘆きを表すという言い伝えがある。ただしこれは早い時期の記録に裏づけられたものではなく、寺に伝わる話として受け取るのがよい。確かなのは、日本の古い仏像でこうした表情をまとう例がきわめて少ないことで、隣の名高い像へ素通りせず、この像の前で時間を使う理由はそこにある。

霊宝殿のまわり

広隆寺は京都最古の寺院で、推古天皇11年(603年)、渡来系豪族・秦氏の長であった秦河勝が、聖徳太子から賜った仏像を安置するために建てたと伝わる。霊宝殿は飛鳥から鎌倉にかけての名品を一堂に集めており、二躯の弥勒はその入り口にすぎない。同じ堂内には国宝の不空羂索観音立像が立ち、平安・鎌倉期の像が長く並ぶ。堂内には椅子も置かれていて、低い光のなかで部屋が像の形を結ぶのを待つのが、通う人の流儀である。

寺は嵐電(京福電鉄)嵐山本線の太秦広隆寺駅を出てすぐの場所にある。同じ路線は西の嵐山にも通じているので、嵐山の庭や竹林を巡る一日に組み込みやすい。境内の朱塗りの講堂は平安後期の重要文化財で、参道の途中に立ち寄る価値がある。

Q&A

Qこれが有名な「国宝第1号」の像ですか。
Aいいえ。国宝第1号は堂の中央に座す宝冠弥勒で、昭和26年(1951年)の指定です。泣き弥勒はここにあるもう一躯の国宝弥勒で、昭和27年(1952年)に別個に指定されました。両者は公式名称が同じ「木造弥勒菩薩半跏像」のため、しばしば混同されます。
Qなぜ「泣き弥勒」と呼ばれるのですか。
A口元が下がり、目は伏せ、二本の指を頬に近づけた顔が、日本の古い仏像には珍しく悲しげに見えることに由来します。「宝髻弥勒」という別名は、冠ではなく髻(もとどり)を結い上げた頭にちなみます。
Qどこにあり、いつでも見られますか。
A霊宝殿に常設で安置され、宝冠弥勒の右隣にあります。拝観時間内であればガラス越しでなく直接見ることができます。堂内はあえて照明を落としているため、目が慣れるまでの時間を見込んでおくとよいでしょう。
Q宝冠弥勒とは、表情のほかにどこが違いますか。
A材がアカマツではなくクスノキで、このため多くの研究者は日本で造られた像と見ます。一方、アカマツの宝冠弥勒は朝鮮半島からの将来とする説が有力です。頭は冠ではなく髻を結い、衣の一部は革に漆を塗って成形されています。
Q写真撮影はできますか。
A霊宝殿の内部は撮影できません。レンズ越しではなく、像と直接向き合うつもりで訪ねてください。状況が変わる場合もあるため、参拝前に寺の最新の案内を確認することをおすすめします。

基本データ

名称木造弥勒菩薩半跏像(宝髻弥勒、通称「泣き弥勒」)
所在地京都市右京区太秦蜂岡町32 広隆寺 霊宝殿
指定区分国宝(彫刻)/指定番号50
指定年月日重要文化財 明治30年(1897年)12月28日/国宝 昭和27年(1952年)11月2日
時代飛鳥時代(7世紀)
員数・寸法1躯/全高約90センチ、像高約66.3センチ
品質・技法クスノキの一木造、漆箔。天衣・裳裾の一部は革に漆を塗って成形
所有者広隆寺
拝観・アクセス霊宝殿 9:00~17:00(3~11月)、9:00~16:30(12~2月)。拝観料は大人1,000円(2025年時点、変更の可能性あり)。嵐電嵐山本線 太秦広隆寺駅すぐ。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):木造弥勒菩薩半跏像 201/211
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/211
京都府観光連盟公式サイト:広隆寺霊宝殿
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/3688
そうだ 京都、行こう。(JR東海):広隆寺
https://souda-kyoto.jp/guide/spot/kouryuji.html

最終更新日: 2026.06.06