三十三日間で刻まれた薬師如来

康和五年(1103)の春、都で名高い二人の仏師が、仁和寺の境内にある小さな堂へ毎日通った。父の円勢と、その子であり弟子でもある長円である。四月一日から五月四日までのおよそ一か月、二人が彫り上げたのは、手のひらに収まるほどの薬師如来坐像だった。像高はわずか十一センチほど。それでいて、平安後期の彫刻のなかでもとりわけ詳しく調べられてきた一軀である。

発願したのは、白河天皇の皇子で出家し、仁和寺第三世門跡を務めた覚行法親王。自らの本坊と定めた北院の本尊として、この像を造らせた。北院にはかつて、空海が唐から持ち帰ったとされる仏像が安置されていたが、長保三年(1001)の火災で焼失していた。円勢と長円の薬師如来は、その後を継ぐ本尊として迎えられている。

二人の名仏師、唯一の遺品

円勢と長円は、無名の職人ではない。都の仏師として父子二代にわたり第一線で活躍したことが、文献史料に記されている。円勢の弟子たちは後に名へ「円」の字を用いるようになり、円派と呼ばれる系統を成した。円勢はその祖と位置づけられる。これほど名の知られた二人でありながら、確かな作と認められる像は、この薬師如来のほかにない。作風と技量をうかがわせる手がかりは、この一軀に集約されている。

平成二年(1990)の国宝指定を支えたもう一つの理由は、保存状態の良さにある。平安後期の白檀像で、光背と台座まで当初のまま残る例は少ない。本像は切金の文様や彩色に至るまで損なわれておらず、研究者は像本体だけでなく、光背・台座を含めた全体から造り手の意図を読み取ることができる。

細部を見る

像高は約十一センチ、光背と台座を含めても二十四センチほどにすぎない。国の文化財データベースは、古い寺の記録にならって「六寸の如来坐像」と記す。単位はどうあれ、手のひらに載るほどの大きさのなかに、薬師如来の世界が一式そろえて収められている点に、まず驚かされる。

手に注目したい。左の掌には薬壺が載る。薬師如来を医薬の仏として示す持物である。右手は掌を前に向けて立てる施無畏印で、「畏れるな」という意を表す。衲衣は左肩を覆い、右肩にわずかにかかる。

視線を外へ移すと、円相の頭光には本体と同じ姿の薬師如来が七軀めぐらされている。密教でいう七仏薬師にちなむ表現である。方形の後屏の左右には、薬師如来に従う日光・月光の両菩薩が立つ。宣字形の台座には十二神将が各面に三軀ずつ配され、向きも装いも、持物に応じた所作も、一軀ごとに変えてある。白檀の地はおおむね素地のまま残し、表面には切金で七宝繋ぎや亀甲、斜格子、花唐草といった文様が細かく置かれている。

その細かさが、拝観のうえでの課題でもある。光背や台座の小像は数ミリの高さしかない。展示ケースの前では、小型の双眼鏡を持参した人のほうが、はるかに多くを見て取れるだろう。

仁和寺での拝観

本像は長く秘仏とされ、人目に触れることがなかった。その詳しい姿が明らかになったのは、昭和六十一年(1986)に京都国立博物館が行った調査においてである。現在は、本坊の北側に建つ霊明殿の本尊として祀られている。霊明殿は、仁和寺歴代門跡の位牌を安置する堂である。

拝観者がこの像と出会うのは、おもに霊宝館の名宝展においてである。霊宝館は春と秋に特別公開され、寺宝が入れ替わりで並ぶ。著名な宝物は回り持ちで出されるため、薬師如来が常に展示されるとは限らない。訪れる前に、開催中の展示内容を確かめておくとよい。仁和寺そのものも、ゆっくり時間をかけたい寺である。仁和四年(888)に宇多天皇が創建し、長く皇室出身者が門跡を務めた。境内には国宝の金堂や五重塔が建ち、四月中旬には背の低い御室桜が見頃を迎える。

寺は京都市の北西にある。嵐電北野線の御室仁和寺駅から歩いて数分、市バス・JRバスの「御室仁和寺」停留所はすぐ前にある。JR嵯峨野線の花園駅からは徒歩約十五分。境内は桜の時期を除いて無料で、霊宝館と御所庭園はそれぞれ別に拝観料がかかる。

Q&A

Q仁和寺を訪ねれば、いつでも拝観できますか。
Aいいえ。春・秋を中心とした霊宝館の特別公開でのみ展示され、その期間中も他の寺宝と入れ替わります。訪問前に、開催中の展示内容を確かめてください。
Q像の大きさはどのくらいですか。
A本体で約十一センチ、光背と台座を含めても約二十四センチです。周囲の小像は数ミリしかないため、小型の双眼鏡があると細部までよく見えます。
Q誰が造り、なぜそれほど重要なのですか。
A都の名仏師であった円勢と、その子の長円の作です。円勢は円派の祖とされ、本像は両仏師の確かな作と認められる唯一の遺品にあたります。
Q手に持つ壺は何ですか。
A左手に載る薬壺で、医薬の仏である薬師如来であることを示します。立てた右手は施無畏印といい、人々の畏れを除く意を表します。
Q仁和寺へのアクセスは。
A嵐電北野線の御室仁和寺駅から徒歩数分、または市バス・JRバスの「御室仁和寺」停留所から山門前すぐです。JR嵯峨野線の花園駅からは徒歩約十五分です。

基本情報

名称木造薬師如来坐像〈円勢、長円作/(北院旧本尊)〉
ふりがなもくぞうやくしにょらいざぞう
所有者仁和寺
所在地京都府京都市右京区御室
種別彫刻
指定区分国宝(平成二年〔1990〕六月二十九日指定/平成元年〔1989〕六月十二日に重要文化財指定)
時代・年代康和五年(1103)、平安時代
作者円勢、長円
材質白檀、おおむね一木造・素地仕上げ
寸法像高約11センチ、光背・台座を含め約24センチ
員数1躯
公開霊宝館の春季・秋季名宝展で随時公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/124
仁和寺 公式サイト 所蔵文化財一覧
https://ninnaji.jp/about_culturalassets/list/
仁和寺 公式サイト 拝観・交通案内
https://ninnaji.jp/visit/

最終更新日: 2026.06.09