千一体の等身大観音が並ぶ
細長い堂の中央に大きな坐像が据えられ、その左右に階段状の壇が前後十列、五百体ずつの観音立像がびっしりと並ぶ。さらに中尊の背後にもう一体が立ち、合わせて千一体になる。一体ごとの像高はおよそ百六十六から百六十七センチ、ほぼ等身大である。寄木造の木肌に漆を施し金箔を押した姿が、薄暗い堂内に金色の列をつくる。これが蓮華王院本堂、通称三十三間堂に安置される木造千手観音立像である。
正式には十一面千手千眼観世音菩薩と呼ぶ。頭上には十一の小さな顔をいただき、あらゆる方角に目を向けてもれなく衆生を救うとされる。手は通形で、胸の前で合わせた二本のほかに左右へ四十本が広がる。一本の手がそれぞれ二十五の世界で救済の働きをするとされ、四十に二十五を掛けて千という数になる。実際に千本の手を彫り出しているわけではない。
列の中央に坐すのが中尊の千手観音坐像で、像高は三メートルを超える。運慶の長男である大仏師湛慶が一門を率いて鎌倉再興期に完成させた像であり、昭和二十六年(一九五一)に単独で国宝に指定されている。これを囲む千一体の立像が同じ位に並ぶまでには、さらに長い時間がかかった。
長寛二年の発願から平成の指定まで
はじまりは後白河上皇の発願による。長寛二年(一一六四)、上皇は法住寺殿の一画に観音堂を建てるため、平清盛に資材と労役の調達を命じた。やがて建長元年(一二四九)の建長の大火が堂を襲い、堂宇の大半が焼け落ちる。このとき僧たちは創建当初の立像百二十四体を火中から運び出した。平安期に造られたこれらの像は、創建の元号にちなんで長寛仏と呼ばれ、現在も列の中に立っている。
本堂は文永三年(一二六六)に再建され、失われた像はおよそ十六年をかけて補われた。現在の千一体のうち、平安期が百二十四体、鎌倉再興期が八百七十六体、室町期に加えられたものが一体である。鎌倉期の造像には当時を代表する慶派・院派・円派の三派が動員され、参加した仏師はおよそ百五十名にのぼる。約五百体には作者の銘が残り、足枘や台座には建長・弘長・文永の年紀とともに、湛慶・康円・隆円のほか院派の諸仏師の名が刻まれている。
千一体はまず昭和十年(一九三五)に重要文化財に指定された。本格的な修理事業は昭和四十八年(一九七三)に着手され、一体ずつ点検と洗浄、補修を重ねて約四十五年を費やした。その完了を受け、平成三十年(二〇一八)十月三十一日に千一体すべてが国宝へと格上げされた。注目すべきはその指定の幅広さである。傑作を数体選び出すのではなく、創建期の生き残りも再興期の補作も含めた群像そのものを、一つの国宝として認めた点に意味がある。
拝観のときに目をとめたい点
遠目には、よく似た像がひたすら繰り返される金色の塊に見える。しかし近づくと、その均質さがほどけていく。一体ごとに面差しが違い、寺はそれぞれに固有の名を与えている。丹念に探せば、もう一度会いたい亡き人の顔に出会えると古くから語られてきた。
細部に目を凝らすと、技法の違いに気づく。千一体のうち眼に水晶を嵌め込む玉眼を用いるのは七十八号・八十号・百二十号・百六十九号・四百五十九号の五体のみで、ほかはすべて木に直接彫り出した彫眼である。平安期の像は丸みのある穏やかな表情が多く、鎌倉期の像には彫りの締まった個性的な顔立ちが目立つ。一世紀あまりの時の隔たりが、造形の好みの移り変わりとして静かに残っている。
列の前には護法神が並ぶ。二十八部衆と、両端に立つ風神・雷神像で、いずれも国宝に指定され、現存最古級の作例として知られる。堂内はあえて薄暗く保たれているが、平成三十年の整備で導入されたLED照明は護法神を下方からも照らし、以前より迫力ある姿で見られるようになった。なお堂内は撮影が禁止されているため、これらの像は実際に足を運んで見るほかない。
拝観案内と周辺
三十三間堂は東山区にあり、京都駅から市バスですぐの距離にある。一〇〇・二〇六・二〇八系統が「博物館三十三間堂前」に停まり、堂はその目の前にある。京阪電車なら七条駅から徒歩約七分。拝観は堂の南端から入り、千一体の前を通り抜けてから裏手に回る順路で、中尊の背後にある扉から、そこに立つ一体の後ろ姿を見ることができる。
道路を挟んだ向かいには京都国立博物館があり、同じ半日で組み合わせやすい。本坊の妙法院や庭園で知られる智積院も近い。一月中旬には弓の競技「大的大会」が行われる。これは縁側で射た往時の通し矢の流れをくむもので、同じ日には楊枝のお加持が営まれ、その日の拝観は無料になる。初夏には東庭の夜間拝観が開かれることもある。堂内をひとめぐりするには四十五分から一時間ほどを見ておくとよい。静かに見たいなら朝の早い時間が向いている。
Q&A
- なぜ千体ではなく千一体なのですか。
- 中尊を挟んで左右に五百体ずつ立ち、合わせて千体になります。さらに中尊の背後に一体が立つため、立像の総数は千一体です。中央の大きな坐像(中尊)はこの千一体とは別に数えます。
- すべて同じ時代の像ですか。
- いいえ。建長元年(一二四九)の火災を免れた平安期の像が百二十四体、文永三年(一二六六)ごろの鎌倉再興期の像が八百七十六体、室町期に加えられた像が一体です。
- いつ国宝に指定されたのですか。
- 約四十五年の修理を経て、平成三十年(二〇一八)十月三十一日に千一体すべてが国宝に指定されました。それ以前は昭和十年(一九三五)以来の重要文化財で、中尊の坐像は昭和二十六年(一九五一)に国宝となっています。
- 堂内で写真を撮れますか。
- 堂内の仏像の撮影は禁止されています。境内の屋外撮影は可能で、夜間拝観などでは庭園の撮影が認められる場合があります。
- 拝観時間はどのくらい見ておけばよいですか。
- 堂を端まで歩いて裏手を回るのに四十五分から一時間ほどです。朝の早い時間が比較的静かです。開門は四月から十一月中旬が八時半、寒い時期は九時です。
基本情報
| 名称 | 木造千手観音立像(蓮華王院本堂安置) |
|---|---|
| 所在地 | 京都市東山区三十三間堂廻町六五七(三十三間堂/蓮華王院本堂) |
| 所有者 | 妙法院 |
| 区分 | 国宝・彫刻 |
| 指定 | 昭和十年(一九三五)四月三十日 重要文化財/平成三十年(二〇一八)十月三十一日 国宝 |
| 員数 | 千一躯(平安期百二十四躯、鎌倉期八百七十六躯、室町期一躯) |
| 形状 | 立像、像高約百六十六〜百六十七センチ、寄木造・漆箔。うち五躯が玉眼 |
| 安置建物 | 蓮華王院本堂(同じく国宝、文永三年再建) |
| 拝観時間 | 八時三十分〜十七時(四月一日〜十一月十五日)/九時〜十六時(十一月十六日〜三月三十一日)。受付終了は閉門三十分前 |
| 拝観料 | 一般六〇〇円、中高生四〇〇円、小学生三〇〇円 |
| アクセス | 市バス一〇〇・二〇六・二〇八系統「博物館三十三間堂前」下車すぐ。京阪七条駅から徒歩約七分 |
| 撮影 | 堂内は撮影禁止 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/3514
- 千体千手観音立像/蓮華王院 三十三間堂 公式サイト
- https://www.sanjusangendo.jp/statue/sentaisenju/
- 千手観音坐像/蓮華王院 三十三間堂 公式サイト
- https://www.sanjusangendo.jp/statue/senjukannon/
最終更新日: 2026.06.07