二十七面をもつ千手観音
法性寺の本尊は、見慣れた千手観音とは姿が違う。一般的な千手観音は頭上に十一の小面を頂くが、この像はそれをはるかに上回る。正面と左右の面、さらに頭上に連なる小面を合わせて、二十七面ほどと数えられる。寺に伝わるところでは、これと同じ形式の像は清水寺奥の院の本尊(秘仏)のほかにほとんど例がないという。
像は桜の一木から彫り出され、像高はおよそ109.7センチ。制作は平安時代、延長年間(923~931年)頃と伝わり、藤原忠平の発願で春日仏師が手がけたとされる。ただし像そのものに年紀や作者の銘はなく、これらは寺伝として受け継がれてきたものである。国指定文化財等データベースも、員数を一躯、時代を平安とのみ記す。
法性寺は京都市東山区、東福寺からほど近い場所にある。いまは浄土宗西山禅林寺派の小さな尼寺で、気づかず通り過ぎてしまいそうな構えだが、その本堂に安置される千手観音は国宝である。
消えた巨刹のなごり
法性寺の名は、もとはるかに大きな寺院のものだった。延長2年(924年)、藤原忠平が藤原氏の氏寺として創建した旧法性寺は、平安時代を通じて発展した。藤原忠通の頃には現在の東福寺や泉涌寺の一帯にまで寺域が及び、金堂や五大堂、灌頂堂など百棟に及ぶ堂塔が建ち並んで、京洛二十一ヶ寺の一つに数えられた。忠通自身も寺の名にちなみ法性寺入道と呼ばれている。
その繁栄は長くは続かなかった。延応元年(1239年)には九条道家が寺域の一部を割いて東福寺を建て、応仁の乱を経て旧法性寺は荒廃する。堂宇は焼け、人は離れ、難を免れた仏像は小堂に納められたまま歳月を重ねた。現在の法性寺は、明治維新の後に旧名を継いで再建されたものである。本堂の千手観音は、その旧法性寺で灌頂の儀式を行う灌頂堂の本尊であったと伝わる。
国宝に指定された理由
この像は明治36年(1903年)に当時の基準で国の保護を受け、戦後の文化財保護法のもとで昭和27年(1952年)11月22日にあらためて国宝に指定された。
千手観音の千本の手は、観音菩薩があらゆる手段で苦しむ者すべてに救いを差し伸べるという誓いを表し、掌に開く眼は、その一人ひとりを見抜く智慧を示す。多くの作例では十一面と四十二臂でこれを表現し、合掌する二手を除く四十手がそれぞれ二十五の世界に対応するとされる。法性寺の像は、頭上に二十数面の小面を重ね、左右に菩薩面と憤怒面を加える特異な構成をとる。仏像の様式が大陸の手本から離れ、柔らかな和様へと移り変わる初期の作風として評価されている。
拝観で注目したい点
本尊は秘仏であり、普段は厨子に納められて公開されない。京都の非公開文化財の特別公開などにあわせて開帳されることがある程度で、初めて広く公開されたのも、造立から長い時を経てからのことだった。開帳の機会に出会えたなら、面と木肌をゆっくり見ておきたい。
まず頭上の小面に目をやると、表情が一様でないことに気づく。穏やかな面もあれば、眉を寄せた憤怒の面もある。慈悲が時に厳しい相をとることを、形のうえで示しているかのようである。次に像の表面を見たい。後世に主流となる寄木造とは異なり、この像は一本の桜材から彫り出された一木造である。桜は硬く木目が緻密で、細部の彫りを保ちやすく、割れにも強い。
この観音は「厄除観世音」の名でも知られる。藤原忠通が重い病にかかった際、この像の前で祈祷したところ数日で回復したという話に由来し、以来、災いを除く観音として信仰を集めてきた。
周辺の楽しみとアクセス
法性寺は洛陽三十三所観音霊場の第二十一番札所にあたる。本尊は秘仏のままだが、御朱印を求める巡礼者が今も静かに訪れる。境内は小さく、尼寺として営まれているため、参拝の際は静かに振る舞いたい。
周辺は半日ほどの散策に向く。徒歩数分の東福寺は京都を代表する禅刹で、通天橋から望む渓谷の紅葉で名高い。少し東には皇室の菩提寺である泉涌寺がある。市街地からは、JR奈良線または京阪本線で東福寺駅まで出れば、いずれの寺へも歩いて行ける。
Q&A
- 拝観すれば仏像を見られますか。
- 通常は見られません。秘仏のため、京都の非公開文化財特別公開などの機会に限って開帳されます。訪問前に特別公開の情報を確認しておくとよいでしょう。
- なぜこれほど多くの面をもつのですか。
- 千手観音としては珍しい多面の形式で、一般的な十一面ではなく、合わせて二十七面ほどと数えられます。寺伝では、同じ形式は清水寺奥の院の本尊にしか見られないとされます。
- いつ頃、誰が造ったものですか。
- 文化庁のデータベースは平安時代の作とのみ記します。寺伝では延長年間(923~931年)頃、春日仏師の作とされますが、年紀や作者の銘は像に残っていません。
- なぜ「厄除観世音」と呼ばれるのですか。
- 藤原忠通が重病を患った際、この像に祈ったところ数日で回復したという言い伝えに由来します。以来、災厄を除く観音として信仰されてきました。
- 法性寺へのアクセスは。
- JR奈良線または京阪本線で東福寺駅まで行き、徒歩数分です。東山区の東福寺の近くに位置します。
基本情報
| 名称 | 木造千手観音立像(もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市東山区 法性寺 |
| 指定区分 | 国宝(彫刻) |
| 重要文化財指定 | 明治36年(1903年)4月15日 |
| 国宝指定 | 昭和27年(1952年)11月22日 |
| 時代 | 平安時代 |
| 員数 | 1躯 |
| 像高 | 約109.7センチ(寺伝・関連資料による。国のデータベースには記載なし) |
| 品質・形状 | 桜材・一木造(寺伝) |
| 所有者 | 法性寺 |
| アクセス | 東福寺駅(JR奈良線・京阪本線)から徒歩数分 |
| 公開状況 | 秘仏。特別公開時のみ開帳 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/209
- 法性寺(京都市東山区) Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/法性寺_(京都市東山区)
- 洛陽三十三所観音霊場 法性寺
- https://rakuyo33.jp/hoseiji/
- 秘仏の千手観音菩薩立像「法性寺」@京都(ASAMI.W)
- https://www.asami-w.com/post/hoshoji
- 法性寺(京都)の御朱印(御朱印から学ぶ京都)
- https://gosyuin-kyoto.com/hoshoji/
最終更新日: 2026.06.08