三メートルを超える、三つの目と八本の腕
広隆寺の不空羂索観音立像は、像高313.6センチメートルにおよぶ。頭部をわずかに前へ傾けた立ち姿は、見上げる者をまっすぐ見下ろしてくるかのようである。顔は一つ、目は三つ、そのうち一つは額に縦に開く。肩から左右へ広がる腕は八本を数える。一面三目八臂という、変化観音ならではの相好を備えた像である。
用材は一本の木から彫り出されている。一木造である。材についてはヒノキとする説とカヤとする説があり一定しないが、彫り出しの技法そのものは一致して伝えられており、像全体に量感のあるたたずまいを与えている。
所在は京都市右京区太秦、京都で最も古い寺院として知られる広隆寺。文化庁の指定情報では平安時代の作とされる。一方、研究者のあいだでは奈良時代末から平安時代初期、おおよそ8世紀末から9世紀前半にかけての制作と見る向きが多い。その根拠の一つが、広隆寺に伝わる『広隆寺資財交替実録帳』である。同帳には、弘仁9年(818年)の火災以前から金堂に安置されていた仏像として不空羂索菩薩の檀像が記されており、本像はこれに比定されている。八世紀の火災をくぐり抜けて残った像、という位置づけになる。
国宝指定の理由
本像は明治34年(1901年)に重要文化財(当時の国宝)として指定され、昭和27年(1952年)11月22日に文化財保護法のもとで国宝に指定された。評価の理由は大きく二つに分けられる。
第一に、古さと希少性である。この時期に造られた大型の不空羂索観音の立像は数が少ない。三メートルを超える一木造の像が十一世紀あまりを経て今に残る例となれば、なおさら稀である。八世紀の金堂安置仏まで遡る記録上の手がかりがあることで、本像の来歴は言い伝えにとどまらず、寺の文書のなかに確かな位置を占めている。
第二に、尊格そのものの意味である。不空羂索観音は、慈悲をつかさどる観音菩薩が姿を変えた一尊で、その名は手にする羂索(けんさく)、すなわち縄に由来する。狩猟具に由来するこの縄で、迷えるすべての衆生を一人残らずすくい取るとされ、「不空」の二字は、その縄が空しく戻ること、つまり救いそこなうことがないという誓いを示す。三つの目は一切を見通す智慧を、八本の腕はさまざまな苦しみに同時に手を差し伸べる働きを表す。天台系ではこの観音を六観音の一尊に数え、真言系では代わりに准胝観音を加える。複数の目と腕という像容にはインドの古い造形の名残もうかがえ、日本の仏師はそれを威厳と慈悲を兼ね備えた像へとまとめあげた。
拝観のときに注目したい点
指定名称は本像を講堂所在のものとして記録しているが、いま講堂に足を運んでも像には会えない。長らくこの像は、地元で赤堂と呼ばれる講堂の一隅に立っていた。昭和57年(1982年)に現在の霊宝殿が開館して以降は、そちらに移して公開されている。
霊宝殿は、寺の主要な仏像を一室に集めた、照明をおさえた静かな空間である。中心に据えられるのは、彫刻部門で国宝指定第一号となった宝冠弥勒の半跏像。その像のそばで振り返ると、三体の大きな像が並び立つのが目に入る。本像はそのうちの一体で、同じく平安時代初期の国宝である千手観音立像と並び、あいだに千手観音坐像をはさんで立っている。
腕の表情に注目したい。手に持っていたはずの持物の多くは失われているが、上方へ挙げた手、こちらへ開いた手といった構えは今もよく分かる。表面もまた見どころである。長い年月の手入れと補修のなかで彩色は部分的に残るのみとなり、かつてはっきり開いていた額の第三の目も、後世の補修によって見えにくくなっている。だが、それで像の力が損なわれるわけではない。木肌のあらわれた量感のある体つきには、塗り直された彩色ではかえって隠れてしまう重みがある。
時間に余裕をもって向き合ってほしい。館内は照明が控えめなので、目が慣れるまで数分を見込んでおくとよい。腰を下ろせる椅子も置かれており、像の顔をゆっくり眺めることができる。
広隆寺の周辺
この寺は交通の便がきわめてよい。嵐電(京福電気鉄道)嵐山本線の太秦広隆寺駅が山門の正面にあたり、ホームから境内までは歩いて一分とかからない。
太秦まで来れば、近くに立ち寄れる場所がいくつもある。時代劇の撮影所をそのまま開放した東映太秦映画村は徒歩圏内にある。嵐電を一駅戻れば、広隆寺と同じく渡来系の秦氏に深くかかわる木嶋坐天照御魂神社、通称蚕ノ社があり、三本の柱からなる珍しい三柱鳥居で知られる。嵐電を終点へ向かえば嵐山に至り、川辺や竹林、山あいの寺々をめぐることもできる。
境内では、講堂そのものにも目を向けたい。赤堂は平安時代後期の建築で、重要文化財に指定されており、かつてこの不空羂索観音立像を納めていた建物である。ほかの堂には、腹帯地蔵と呼ばれる地蔵菩薩坐像や、吉祥天のような女神の姿に造られた珍しい薬師如来像も安置されている。
Q&A
- 指定名称には講堂とありますが、実際にはどこで見られますか。
- 指定名称は、かつての安置場所である講堂を残しています。現在は昭和57年(1982年)に開館した霊宝殿に立っており、拝観者が目にするのもそちらです。
- 不空羂索観音とはどのような仏ですか。
- 慈悲をつかさどる観音菩薩が変化した一尊です。名は手にする羂索(縄)に由来し、その縄ですべての衆生をもらさず救うとされます。「不空」は、その救いが空しく終わらないことを示します。
- いつ頃の作ですか。
- 文化庁の指定では平安時代の作とされます。研究者のあいだでは8世紀末から9世紀初頭とする見方も多く、その背景には、818年の火災以前から不空羂索観音が安置されていたという寺の記録があります。
- 写真撮影はできますか。
- 霊宝殿の館内は撮影できません。間近で拝観できますが、撮影ではなくじっくり見ることを前提に訪ねてください。規則は変わることがあるため、現地の掲示で確認するのが確実です。
- 行き方と拝観時間を教えてください。
- 嵐電の太秦広隆寺駅が寺の正面です。拝観は毎日9時から、3月から11月は17時まで、12月から2月は16時30分までです。霊宝殿の拝観には料金がかかるため、最新の金額を出発前にご確認ください。
基本情報
| 名称 | 木造不空羂索観音立像(所在講堂) |
|---|---|
| ふりがな | もくぞうふくうけんさくかんのんりゅうぞう |
| 所在地 | 京都府京都市右京区太秦 広隆寺 |
| 指定区分 | 国宝(彫刻) |
| 指定年月日 | 国宝指定:昭和27年(1952年)11月22日(重要文化財指定:明治34年(1901年)8月2日) |
| 員数 | 1躯 |
| 像高 | 313.6センチメートル |
| 技法 | 一木造 |
| 時代 | 平安時代(文化庁指定情報による。研究者は奈良時代末〜平安時代初期とすることが多い) |
| 所有者 | 広隆寺 |
| 現在の安置 | 霊宝殿 |
| 拝観時間 | 9:00〜17:00(3〜11月)/9:00〜16:30(12〜2月) |
| アクセス | 嵐電(京福)嵐山本線 太秦広隆寺駅前 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/212
- 広隆寺(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/広隆寺
- 広隆寺(そうだ 京都、行こう。)
- https://souda-kyoto.jp/guide/spot/kouryuji.html
- 広隆寺(京都観光オフィシャルサイト)
- https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=284
最終更新日: 2026.06.09