一本の木から立ち上がる仏

神護寺金堂の中央、厨子のなかに立つ薬師如来立像は、参拝者を穏やかに迎える種類の仏ではない。像高は約170.6センチ。肉づきの厚い体躯に、細められた目、固く結ばれた口元が組み合わさり、近づく者に張りつめた緊張を返してくる。両手の先を除けば、像はカヤの巨木をほぼ丸ごと刻み出したもので、まだ木であった時間の重さがそのまま立っているかのようだ。

薬師如来であることは手の形からわかる。向かって左の右手は手のひらを正面に向ける施無畏印を結び、向かって右の左手は薬壺を持つ。その左手が胸の高さ近くまで高く掲げられている点は、各地に伝わる多くの薬師像のなかでも珍しい。

高雄の山中に建つ寺

神護寺は京都市街の北西、高雄山の中腹にある。麓の高雄橋から本堂域まで、約四百段の石段を登る。寺の起こりは、平安京造営を推し進めた和気清麻呂にさかのぼる。清麻呂はこの地に山岳寺院を開き、別に河内の地へ神願寺を建てた。天長元年(824年)、この二寺が合併して、のちに神護寺と呼ばれる寺となった。

後世の名声は、真言密教を開いた空海と結びつく。空海は大同四年(809年)に入山し、以後十四年ほどこの地にとどまって、教えの基礎を築いた。現在は高野山真言宗の遺迹本山に位置づけられている。

薬師像の歴史は、こうした寺の歩みよりさらに古い。広く知られる説のひとつは、本像を清麻呂の神願寺の本尊とみるもので、これに従えば造立は八世紀後半にさかのぼる。文化庁のデータベースは年代を「平安」とのみ記し、踏み込んだ年代を示さない。研究者の多くは、奈良時代末から平安時代初め、八世紀後半から九世紀初頭の作と考えている。

国宝に指定された理由

本像は明治35年(1902年)に保護の対象とされ、戦後の文化財保護法のもとで昭和26年(1951年)に国宝へと格上げされた。その価値は、日本の彫刻に新しい好みが根づいていく様子を、はっきりと示している点にある。

像は檀像としてつくられた。香木の白檀は乏しかったため、彫り手はカヤなどの国産材で、その蜜のような木肌と素地の仕上げを写し取った。表面は素木に近く、唇に朱を差し、眉と瞳に墨を入れるほかは彩色を加えない。衣に色を置かず、全身を金箔で覆うこともなく、木目そのものを見せている。

衣の彫りには、研究者が翻波式と呼ぶ形式が現れる。幅の広い丸い隆起と、鋭く細い隆起とが交互に並び、布の上を波がうねるように走る。両脚のあいだでは襞が縦長のY字を描いて落ち、その左右に平らな面を残すことで、太腿の量感を際立たせている。この重く深い彫り口は、貞観様式とも呼ばれる平安初期の好みに連なるもので、先立つ時代の滑らかで軽やかな彫刻からの、意図的な転換だった。

用材は内刳りを施さずに刻まれており、像はその大きさに対して実際に密で重い。この重量感もまた、像の効果の一部である。仏は迎えるのではなく、対峙してくる。

金堂で目を留めたいところ

薬師像が立つ金堂は、昭和9年(1934年)に実業家・山口玄洞の寄進で建てられた、比較的新しい建築である。中世以来の堂宇は度重なる火災と兵火で失われ、現在の堂は新しい。そのなかに、寺で最も古い部類の仏が安置されている。

中尊の左右には、日光・月光の両菩薩立像が控える。いずれも重要文化財で、本尊とほぼ同じころの作とみられる。その周囲には十二神将像や四天王像も並ぶ。厨子の扉の奥に秘される像とは違い、これらは間近で拝観できる。広い頬、高く盛り上がった肉髻、粒の大きな螺髪、そして険しいとも威圧的とも評される表情を、時間をかけて見たい。

石段と渓谷、そしてかわらけ投げ

寺へ至る道のりそのものが、参拝の一部である。高雄橋から参道は急な勾配で登り、秋には石段沿いの楓が早くに色づく。見頃は例年十一月の中旬から下旬。高雄は京都市内でもいち早く紅葉が始まる地として知られ、それが神護寺の参道がよく語られる理由のひとつになっている。

境内の西の端、塔頭の地蔵院のそばには、錦雲渓とその下を流れる清滝川を見下ろす開けた展望台がある。ここは厄除けの素焼きの小皿を渓谷へ投げる「かわらけ投げ」の発祥地とされる。参拝者は一組のかわらけを求め、渓谷へ向けて飛ばす。上昇気流に乗せて遠くまで送ることができれば、災いも一緒に去っていくという。

神護寺は、西明寺・高山寺とともに高雄(三尾)の寺のひとつに数えられ、古くから三寺をあわせて訪ねる人が多い。山の古寺の静けさと、京都でも早い紅葉とを、一日のうちに合わせて味わえる場所である。

Q&A

Q薬師像は実際に拝観できますか。秘仏ではありませんか。
A金堂に常時安置され、拝観時間内であれば、左右の菩薩像や守護尊とともに間近で拝観できます。ただし12月29日から31日は迎春準備のため金堂の拝観はできません。
Qこの像はいつ頃の作ですか。
A文化庁は「平安時代」と分類しています。研究者の多くは八世紀後半から九世紀初頭とみており、八世紀後半に創建された寺の本尊とする説もあるため、正確な制作年は今も議論があります。
Qなぜこれほど厳しい表情をしているのですか。
A細められた目、引き結んだ口、量感ある体躯は、力強く威厳のある像を求めた平安初期の好みを映しています。穏やかさを重んじた奈良時代の彫刻とは対照的です。
Q拝観時間と拝観料を教えてください。
A金堂の拝観はおおむね9時から16時で、楼門は17時に閉まります。拝観料は大人1,000円、子ども500円です。料金や時間は変わることがあるため、訪問前にご確認ください。
Q訪れるのに良い時期はいつですか。
A紅葉が代表的な季節で、楓の見頃は例年十一月の中旬から下旬と、京都市中心部より早めです。新緑の春や、人の少ない時期もおすすめできます。

基本データ

名称木造薬師如来立像(本堂安置)
所在地京都府京都市右京区高雄 神護寺
指定区分国宝(彫刻) 明治35年(1902年)保護、昭和26年(1951年)国宝指定
時代平安時代(多くの見解で八世紀後半~九世紀初頭)
員数1躯
像高約170.6センチ
品質・技法カヤ材の一木造、檀像風の素地仕上げ、内刳りなし
所有者神護寺
公開状況金堂に常時安置

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/164
文化遺産オンライン(国立情報学研究所/文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/149751
神護寺(西国四十九薬師霊場会)
https://yakushi49.jp/44jingoji/
高雄保勝会
https://www.kyo-takao.com/spot/
神護寺(京都府観光連盟)
https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/304

最終更新日: 2026.06.06