象に乗る帝釈天、四つの顔をもつ梵天
京都市南区の東寺、その講堂に足を踏み入れると、須弥壇のいちばん外側に並ぶ二尊が目に入る。一方は象の背に横向きに腰かけた若々しい姿で、手には小さな金剛杵を持つ。もう一方は壇をはさんで向き合うように坐し、四つの顔と四本の腕をそなえ、四羽の鵞鳥が支える蓮華の上にある。前者が帝釈天、後者が梵天である。二尊はこの講堂で平安時代から守護の役をつとめてきた。
この二躯はあわせて一件の国宝に指定されている。正式な指定名称は「木造〈梵天 坐像/帝釈天半跏像〉(講堂安置)」。東寺講堂の立体曼荼羅を構成する二十一尊のうちの二尊で、日本の密教彫刻の出発点に位置する作例といってよい。
密教の姿に作り替えられた梵天と帝釈天
梵天と帝釈天は、もとは古代インドのブラフマンとインドラという神であった。仏教はこの二神を護法の神として取り込み、多くの場合は一対で、より重要な仏を左右から守る役として配される。密教が入る前の日本では、二尊とも中国の文官のような服装をした立像として表されることが多かった。東大寺法華堂や唐招提寺金堂の奈良時代の像が、その古い形をいまに残している。
東寺の二尊は、この古い様式から大きく踏み出している。空海が唐で学んだ密教の図像にもとづくため、インド的な性格が前面に出ているのである。梵天は多面多臂となって鵞鳥の座に乗り、帝釈天は象にまたがって金剛杵を執る。日本に入ったばかりの新しい造形が、ここに形をとった。
歩いてまわれる空海の曼荼羅
講堂は、真言宗の宗祖となった空海(774〜835、没後に弘法大師と称される)が東寺の中心として構想した堂である。絵に描かれた曼荼羅は密教の世界を平面に示すが、空海は信者がその中に身を置けるものを求めた。そこで、彫像の群れを壇上に配置して曼荼羅を表す羯磨曼荼羅を立てたのである。
壇上には二十一尊が並ぶ。中央に五智如来が坐し、その一方に金剛波羅蜜多菩薩を中心とする五大菩薩、もう一方に当時の日本ではほとんど知られていなかった不動明王を中心とする五大明王が置かれる。四方には四天王が立ち、いちばん外側の左右を梵天と帝釈天がかためて守護の輪を閉じる。堂が完成したのは承和6年(839年)。着工から十六年、空海の没後四年を経てのことであった。
文明18年(1486年)の火災で、講堂は中央の如来とともに焼け落ちた。堂は1491年までに再建され、中央の如来と一尊の菩薩はのちの世に造り直された。これらの後補像は重要文化財である。一方、二十一尊のうち十五尊は空海の発願当初の像で、より上位の国宝に指定されている。梵天と帝釈天は、この当初像の側に属する。
国宝とされる理由
二尊が国宝に指定されたのは昭和29年(1954年)で、その前年にまず重要文化財として登録されていた。価値は三つの点が重なって生まれている。日本の密教彫刻のなかでも最初期に位置する優れた作であること。空海が中国からもたらした新しい図像を木彫として残していること。そして、当初の構想に近い姿で残る唯一の立体曼荼羅の一部であること。
いずれも主に木で彫られ、もとは鮮やかな彩色がほどこされていた。その痕跡はいまも残る。長い信仰の歳月と1486年の火災は、焼け残った像にも跡を残した。梵天は正面の顔が当初のもので、側面の顔と頭頂部はのちの修理による。帝釈天は胴部が9世紀の当初像だが、頭部は鎌倉時代に彫り直されており、そのために表情が同じ当初期の他の像とは少し異なる気配をもつ。
像の前に立ったら見たいところ
梵天はゆっくり見るほど発見がある。顔は四つあり、正面の顔は額に第三の目をもち、高く結い上げた髻の上にさらに小さな顔がひとつ乗る。四本の腕は武器ではなく持物や印を示し、片肩を出した如来のような着衣に、控えめな腕輪や飾りが添えられる。脚を組んで蓮華に坐し、その蓮華の下では四羽の鵞鳥が翼を広げて像を支える。鳥の座は遠目には気づきにくいので、近づいて首やくちばしを探してみたい。
多くの参拝者の記憶に残るのは帝釈天のほうだろう。顔も腕も一つずつで、人にも近い均整をもち、神であることを示すのは額の第三の目だけである。象の上にくつろいだ半跏踏下坐で坐し、片足を上げ、もう片足を下ろして、かつての戦いの神を思わせる金剛杵を執る。穏やかで若々しい面立ちは古くから人々に好まれ、日本でもっとも美しい仏像のひとつに挙げる人も多い。象に乗るため像のまわりをある程度まわれるので、いくつかの角度から眺めてみるとよい。
東寺の周辺
東寺は京都駅にきわめて近く、立ち寄りやすい。JR京都駅から徒歩約十五分、近鉄東寺駅からは約十分である。寺は延暦15年(796年)に新しい都を守る官寺として建てられ、弘仁14年(823年)に空海へ与えられて真言密教の根本道場となった。境内が当時の伽藍配置をいまも踏襲している点は、京都では珍しい。
五重塔は高さ約五十五メートルで木造の塔として国内で最も高く、それ自体が国宝である。近くの金堂も国宝で、堂内には大きな薬師如来が安置される。毎月二十一日には空海の命日にちなんだ弘法市が境内に立ち、骨董、古着、陶器、植木、食べ物などを商う露店が千軒ほど並ぶ。その日に合わせて訪れれば、寺はにぎやかな市の表情に変わる。
Q&A
- 梵天・帝釈天は特別公開のときだけしか見られませんか。
- いいえ。二尊とも講堂に常時安置されており、通常の拝観時間内であれば公開されています。像の保護のため堂内は照明をおさえてあり、すぐ近くまでは寄れませんが、拝観路から立体曼荼羅の全体を見ることができます。
- 帝釈天はなぜ象に乗っているのですか。
- 象は、古代インドの神インドラに由来する性格と、空海が中国で学んだ密教の図像から来ています。日本の古い帝釈天像は中国風の衣で地に立つ姿でしたから、ここでの象は東寺がもたらした新しい様式の印といえます。
- これらは9世紀当初の像そのものですか。
- おおむねそうです。二尊とも、中央の如来を焼いた1486年の火災を免れました。梵天は正面の顔が当初のもの、帝釈天は胴部が当初像で、頭部は鎌倉時代に彫り直されています。
- 講堂内での撮影はできますか。
- 京都の多くの拝観中の堂と同じく、講堂内の撮影は基本的にできません。特別展などで扱いが変わる場合もあるので、当日は入口の掲示を確かめるか、係の方にたずねてください。
- 拝観にはどのくらい時間を見ておけばよいですか。
- 寺は主要な堂で三十分から六十分ほどを目安にしています。春・秋に宝物館が公開される時期や、二十一日の弘法市に合わせて訪れる場合は、もう少し余裕をみておくとよいでしょう。
基本データ
| 指定名称 | 木造〈梵天 坐像/帝釈天半跏像〉(講堂安置) |
|---|---|
| 区分 | 彫刻/国宝 |
| 員数 | 2躯 |
| 時代 | 平安時代(講堂・諸像とも承和6年〔839年〕完成) |
| 指定年月日 | 重要文化財 昭和28年(1953年)3月31日/国宝 昭和29年(1954年)3月20日 |
| 所有者 | 宗教法人教王護国寺(東寺) |
| 所在地 | 京都府京都市南区九条町1番地 |
| アクセス | JR京都駅から徒歩約15分/近鉄東寺駅から徒歩約10分 |
| 拝観時間 | 金堂・講堂 8:00〜17:00(受付終了16:30)、開門は5:00から。拝観料や季節の公開状況は事前に公式情報でご確認ください。 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/247
- 東寺 公式サイト「立体曼荼羅」
- https://toji.or.jp/mandala/
- 東寺 公式サイト「天、菩薩、明王、如来」
- https://toji.or.jp/ten/
- そうだ 京都、行こう。「東寺〔教王護国寺〕」
- https://souda-kyoto.jp/guide/spot/toji.html
最終更新日: 2026.06.06