昭和15年、統制下の京都に建った白生地商の家
山本家住宅主屋は、京都市上京区三丁町にある昭和15年(1940年)頃建築の木造2階建住宅で、平成19年(2007年)5月15日に国の登録有形文化財となった建物である。当主家が付けた「仁風庵(じんぷうあん)」の名で呼ばれることが多く、今も現役の住まいとして使われている。
文化庁の国指定文化財等データベースが記す規模は、桁行9間、梁間5間半。入母屋造、桟瓦葺、建築面積258平方メートル。数字だけを追えばそれだけの記録だが、建てられた年を考えると事情が見えてくる。
京都市の「京都を彩る建物や庭園」の認定理由によれば、施主は岐阜で白生地問屋を営んでいた山本仁三郎。大正9年(1920年)に京都へ拠点を移し、昭和11年(1936年)、この角地に建っていた町家を購入した。もとは実業無尽会社の社屋だったという。それを建て替えたのが現在の主屋にあたる。
着工から竣工にかけての昭和14年から15年は、物資の経済統制が急速に厳しくなった時期である。良材の入手も自由ではなかった。市の資料は、知人の木材業者を介して良材を手に入れることができたと伝わる、と記す。三代を経た家伝であるから確証はない。ただ、応接室や座敷に使われた材を見れば、統制下に間に合わせで集めた木ではないことは察しがつく。
「造形の規範」として登録された1棟
登録有形文化財と重要文化財は、しばしば混同される。両者は保護の枠組みが違う。指定制度は対象を絞り込み、現状変更に許可を求める強い規制をかける。これに対し平成8年(1996年)に始まった登録制度は、現状変更を届出で足りるものとし、規制を軽くした。かわりに対象は大きく広がり、明治・大正・昭和前期の建物が数多く救われることになった。人が住み続けている家を文化財として守る道筋は、この軽さがあってはじめて成り立つ。
登録には3つの基準がある。主屋が適用されたのは「造形の規範となっているもの」。同じ敷地内の土蔵、正門及び塀、勝手門及び塀の3件は、いずれも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で登録されている。この差は小さくない。主屋だけは、街並みの一部としてではなく、設計それ自体の水準を評価されたということになる。
京都市は本件を景観重要建造物に指定し、市民の推薦による「京都を彩る建物や庭園」にも認定している。認定理由は、洋室や茶室を有する上質で規模の大きい近代住宅として高く評価される、とまとめる。建築史でいう近代和風住宅、すなわち日本の間取りの骨格を保ったまま洋風の要素を取り込んだ住宅の系譜に属する1棟である。
登録番号は26-0238、第54回登録。
玄関の左右で分かれる、和と洋
玄関を入ると、右手が洋風応接室、左手が居間(旧老人室)と茶室。入った瞬間に性格が分かれる構成である。
年代を最もよく語る部屋は洋風応接室だ。京都市の記述は、天井照明や建具に装飾ガラスを用い、アール・デコ風の意匠も用いられる、とする。アール・デコが京都の商家に入ってきたのは遅く、しかも断片的だった。この家でもそれは応接室1室と、その上に載るテラス部分だけに限られている。外観は真壁造の和風で、柱と貫が漆喰の壁面に現れる。外から見て洋風だと分かるのは、南東隅の張り出しとテラスの部分に限られる。
庭に向く座敷
玄関の奥、北へ向かって中廊下が伸びる。その東側、主庭に面して和室が3室並び、うち1室は12畳半の座敷で、床柱に絞り丸太を用いている。丸太の表面に細かな凹凸を出すため、若木のうちから縄などで縛って育てる材である。西側には台所、風呂といった水廻りが配される。2階には客間と次の間、そして洋室。
文化庁データベースは、1階・2階ともに東側の庭に面して続き間座敷を設ける、と書き添えている。上下階で最も格の高い部屋を同じ方角に積み上げる。敷地に散らして配置するのではなく、一つの眺めに向けて重ねるこの手法は、町家で培われた作法である。
庭は2箇所ある。南側の庭は中立売通から塀越しに見え、応接室と茶室の正面にあたる露地風の庭。もう一つ、広間から眺める枯山水の庭のほうが規模が大きい。庭園メディアの訪問記によれば、この枯山水は13代仁三郎が自ら庭石を集めながら作庭したもので、鞍馬石や真黒石など京都で重んじられる銘石が据えられ、石臼を転用した飛び石が置かれているという。苗から育った桜は、いま2階の軒に届くほどに伸びている。
見学の可否と、周辺で入れる建物
山本家住宅は現役の個人住宅で、公開されていない。拝観時間も拝観料もなく、内部見学の予約窓口も存在しない。年に数回、市民講座や展覧会などの催しに合わせて開かれることがあり、京都の専門ガイド団体が特別拝観を組む例もあるが、いずれも個別告知で、日本語での実施が前提となっている。門前を訪ねて呼び鈴を押すような行為は控えたい。
公道から自由に見られるのは外構である。これが決して物足りないものではない。登録された正門及び塀は敷地南面に、勝手門及び塀は西面に建つので、角を曲がって一周すれば登録4件のうち2件を余すところなく見られる。公道からの撮影に制限はない。塀の上や門の内側にレンズを向けるのは、住人のいる家である以上、避けるべきである。
最寄りは地下鉄烏丸線今出川駅で徒歩約10分、市バス「烏丸一条」からは徒歩約5分。京都御苑からであれば、西側の中立売御門を出て徒歩5分ほどの距離にあたる。
同じ時代の建物の内部を見たいのであれば、南へ徒歩10分ほどの下立売通新町西入に重要文化財の京都府庁旧本館が建つ。明治37年(1904年)竣工の煉瓦造で、平成16年(2004年)12月10日に重要文化財に指定された。創建時の姿を保つ現役の官公庁建物としては日本最古とされ、正庁、旧知事室、旧議場などが火曜から金曜と第1・3・5土曜の10時から17時まで無料で公開されている。洋風の外殻に和の技術を注ぎ込んだ建物であり、仁風庵とはちょうど逆向きの折衷を見せてくれる。
Q&A
- 山本家住宅主屋は見学できますか。拝観時間と拝観料は?
- 見学できません。現役の個人住宅で、定期公開はなく拝観時間も拝観料も設定されていません。年に数回、講座や展覧会などの催しに合わせて開かれることがありますが、その都度の個別告知です。門・塀を含む外観は公道からいつでも見られます。
- 山本家住宅主屋はいつ建てられ、いつ登録されたのですか?
- 昭和15年(1940年)頃です。同じ敷地の土蔵に残る墨書から同年の上棟が確認されており、主屋もこれと同時期の建築と考えられています。登録有形文化財となったのは平成19年(2007年)5月15日、登録番号26-0238です。
- 山本家住宅主屋の「登録有形文化財」は重要文化財とどう違うのですか?
- 登録有形文化財は平成8年(1996年)に設けられた枠組みで、現状変更は許可ではなく届出で足ります。住み続けながら守れる制度設計であるため、近代の住宅に適しています。重要文化財は対象が限られ、規制もはるかに強くかかります。
- 山本家住宅主屋の見どころはどこにありますか?
- 南東隅の洋風応接室とその上のテラスが洋風意匠で、それ以外は真壁造の和風という構成です。応接室にはアール・デコ風の装飾ガラスが用いられ、東側には主庭に面した12畳半の座敷が絞り丸太の床柱とともに設けられています。ただし内部は非公開のため、確認できるのは外構と屋根まわりに限られます。
- 山本家住宅主屋へのアクセスと、近くで内部を見られる文化財を教えてください。
- 地下鉄烏丸線今出川駅から徒歩約10分、市バス「烏丸一条」から徒歩約5分です。内部公開のある近隣の文化財としては、南へ徒歩10分ほどの京都府庁旧本館(重要文化財、明治37年)が無料で見学でき、東へ徒歩5分の京都御苑も通年で入れます。
基本データ
| 名称 | 山本家住宅主屋(やまもとけじゅうたくしゅおく)/通称「仁風庵」 |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市上京区中立売通西洞院東入三丁町446他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号26-0238、第54回登録。京都市景観重要建造物 |
| 指定年 | 平成19年(2007年)5月15日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積258平方メートル。桁行9間、梁間5間半、入母屋造、桟瓦葺 |
| 所有者 | 文化庁データベースに所有者名の記載なし。山本家が現在も居住 |
| 公開状況 | 非公開(現役の個人住宅)。年数回の催時のみ公開される場合あり。外観は公道から見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「山本家住宅主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006209
- 文化遺産オンライン「山本家住宅主屋」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186113
- 京都市文化市民局「京都を彩る建物や庭園」山本家(仁風庵)
- https://kyoto-irodoru.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/yamamotoke_jinpuan.html
- 京都府「重要文化財 京都府庁旧本館」
- https://www.pref.kyoto.jp/qhonkan/
- おにわさん「山本家 仁風庵」
- https://oniwa.garden/yamamoto-residence-jinpukan-kyoto/
最終更新日: 2026.07.30