京都の寺に残る中国医学の原典

仁和寺が所蔵する2巻の巻物には、本国の中国ではほとんど失われた医書の冒頭部分が書き写されている。『黄帝内経明堂』、すなわち伝説の帝王・黄帝に仮託された中国医学の大典のうち、「明堂」と呼ばれる部分である。中国に残ったのは断片のみだった。読み通せる形で守られたのは、海を渡った日本の写本のほうだった。

1952年(昭和27年)に国宝へ指定されたこの2巻は、「黄帝内経明堂 巻第一」として一括で登録されている。鑑賞用の華やかな品ではない。紙は薄く、墨は所々で褪せ、画面を埋めるのは、鍼をどこに打つかを説く漢文の細かな列である。

テキストと編纂者・楊上善

『黄帝内経』は中国医学の根幹をなす古典である。黄帝が臣下に身体や病、そして両者を貫く理について問い、臣下が答えるという問答の形をとる。その一部にあたる理論篇『素問』と鍼灸篇『霊枢』は、今日もなお読み継がれている。

7世紀、唐の学者・楊上善はこの内容を整理し、注を付して二つの書物にまとめた。一つは理論にあたる章を集めた『太素』、もう一つが治療の実際、すなわち経穴の位置や刺鍼の決まりを扱う『明堂』である。仁和寺の巻物は、この『明堂』にあたる。

楊上善の手になるこれらの書は、中国では多く写されなかった。数百年のうちに『太素』も『明堂』も中国国内では流通から消え、事実上失われる。救ったのは距離だった。写本が日本へもたらされ、宮廷の医官たちが代々それを家職として書き継いだのである。

この巻物が貴重とされる理由

仁和寺本『明堂』の価値は、まず数の問題である。他の地域では断片からしか復元できない書物について、判読できる巻が一つ残っている。医学史を研究する者にとって、楊上善の注を含む一巻は、後世の刊本を何冊積み上げても代えがたい。

1952年11月22日の国宝指定は、この『明堂』を、仁和寺所蔵の23巻からなる『太素』とともに、一つの指定番号のもとに置いた。文化財の記録はいずれも「書跡・典籍」に分類している。装飾ではなく、内容と古さに重みのある写本のための区分である。

巻物が重んじられる理由はもう一つある。内容を理解できる者が丁寧に書き写したため、楊上善の本文だけでなく、その行間の注記までが書き留められた。この重層性によって、研究者は本来の字句と後代の加筆とを分けられる。中国で印刷された版本では曖昧になっていた区別である。

二つの巻物、約90年の隔たり

指定は2巻を数えるが、両者は同時に作られたものではない。一巻は鎌倉時代の永仁4年(1296年)に書かれた。もう一巻はそれを写した永徳3年(1383年)の本で、南北朝期にあたる。14世紀の写し手は、古い方の巻物を傍らに広げ、序文も含めて一行ずつ写していった。

ここは立ち止まって見ておきたい。2巻はいずれも『明堂』巻第一の同じ内容を収めるため、本文は一致する。異なるのは筆跡と紙であり、両者を隔てる約90年は、日本で中国医学が生き延びた習慣を記録している。写本がもろくなれば、傷む前にもう一度写す。その積み重ねである。

文化財の記載はこの一群を平安時代としているが、これは『明堂』よりむしろ古い『太素』の巻に合う年代である。『明堂』自体の奥書は、1296年と1383年という、より確かな年を示している。

巻物を見る、そして仁和寺を歩く

訪れる前に、見込みは正直に立てておきたい。『明堂』の巻物は常設展示ではない。仁和寺は典籍類を1927年(昭和2年)建設の霊宝館に収め、ここが公開されるのは春と秋、おおむね4〜5月と10〜11月に限られる。その期間でも展示品は入れ替わり、回によっては寺の医書群から別の品が出ていることもある。

春の公開は、京都のほかの桜より遅く咲く背の低い品種、御室桜の時期と重なる。秋の公開は紅葉の季節にあたる。どちらの時期でも、巻物そのものや、対をなす『太素』、あるいは『医心方』が展示中かどうかは、寺に尋ねるのがよい。

仁和寺は、巻物が出ていなくとも訪ねる価値がある。この寺は仁和4年(888年)に宇多天皇によって開かれた。天皇は後に出家してここに住み、そのため「御室御所」の名で呼ばれる。金堂は国宝で、17世紀に京都御所から移された旧儀式用の建物であり、その種の遺構としては現存最古である。

境内とその周辺

境内はゆっくり歩くほどに見どころがある。中ほどに立つ五重塔は寛永21年(1644年)の建立で、上層から下層まで屋根の幅がほとんど狭まらない独特の姿をしている。同じ年代に建てられた入口の二王門は、天皇開創の寺にふさわしい古風な王朝様式を保っている。

仁和寺は東山の寺々より静かな一角にあり、近隣の名所と組み合わせやすい。石庭で名高い龍安寺は東へ歩いてすぐ、金閣寺もそう遠くない。三か所を結べば、京都北西部をめぐる一日の行程ができあがる。

Q&A

Q仁和寺を訪ねれば『黄帝内経明堂』を見られますか。
A確実とはいえません。巻物は霊宝館に収められ、同館の公開は春と秋に限られるうえ、展示は回ごとに替わります。これを目当てにする場合は、事前に寺の展示目録を確認してください。
Q『明堂』と『太素』はどう違うのですか。
Aどちらも唐の楊上善が『黄帝内経』をもとに編んだ書です。『太素』は理論の章を集め、『明堂』は経穴と臨床の実際を扱います。仁和寺は両者を一件の国宝として所蔵しています。
Q中国の書物がなぜ日本の国宝なのですか。
A日本の写本が、今ではこのテキストの残る数少ない場所だからです。原書は中国でほぼ失われたため、手写しのこの巻物が、他では完全な形で得られない一次史料となっています。
Q巻物はどのくらい古いものですか。
A一巻は1296年、もう一巻は1383年に書かれ、後者は前者の写しです。書かれている内容ははるかに古く、楊上善が7世紀により古い資料をまとめたものにさかのぼります。
Q仁和寺を訪ねるのに適した時期はいつですか。
A遅咲きの御室桜と春の展示がある春か、紅葉と秋の展示がある秋です。いずれも霊宝館が公開される唯一の時期と重なります。

基本データ

名称黄帝内経明堂 巻第一(こうていないけいみょうどう まきだいいち)
区分国宝・書跡・典籍
指定年月日1952年(昭和27年)11月22日(指定番号139、黄帝内経太素と一括)
員数2巻(永仁4年・1296年、永徳3年・1383年書写)
所有者仁和寺
所在地京都府京都市右京区御室大内
公開状況常設展示なし。霊宝館の春・秋の公開時に随時展示

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/668
仁和寺 仁和寺の文化財
https://ninnaji.jp/about_culturalassets/
黄帝内経(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/黄帝内経
国宝を巡る旅 仁和寺 霊宝館
https://kokuho.tabibun.net/4/26/2623/s2/

最終更新日: 2026.06.05