禅院額字并牌字:南宋の名筆が今に伝える禅の風格

京都五山の一つ、東福寺の宝蔵に眠る国宝「禅院額字并牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)」は、13世紀の中国・南宋時代に制作された19幅の大字墨蹟です。禅宗の高僧・無準師範(ぶじゅんしばん)と、南宋を代表する能書家・張即之(ちょうそくし)という二人の巨匠が揮毫したこの作品群は、禅宗寺院に掲げる額字と牌字の原本として、書跡史上極めて貴重な存在です。中国から海を渡り、約800年にわたって守り伝えられてきたその壮大な伝来の物語とともに、国宝の魅力をご紹介します。

額字と牌字とは何か

禅宗寺院には、伽藍の各建物や施設の名前を記した「額字(がくじ)」と、法要や儀式の名称を記した「牌字(はいじ)」が掲げられます。額字は建物の入り口上部に掲げる大きな扁額のための書であり、牌字は法要や行事を告知する掲示板のための書です。

東福寺に伝わる本作品群は、額字14幅と牌字5幅の合計19幅から成ります。額字には「勅賜承天禅寺」「大円覚」「普門院」「方丈」「旃檀林(せんだんりん)」「解空室」「東西蔵」「首座(しゅそ)」「書記」「維那(いの)」「前後」「知客(しか)」「浴司」「三応」が含まれ、牌字には「上堂(じょうどう)」「小参(しょうさん)」「秉払(ひんぽつ)」「普説(ふせつ)」「説戒(せっかい)」が含まれます。これらは寺院の建物名から僧侶の役職名、法要の名称まで、禅宗寺院の組織と運営のあり方を網羅的に示しています。

二人の書の巨匠:無準師範と張即之

無準師範(1178〜1249年)は、南宋時代の禅僧として最も高名な人物の一人です。仏鑑禅師の号を持ち、名刹・径山寺(きんざんじ)の住持を務めました。南宋の理宗皇帝に招かれて禅の教えを説くほどの高僧であり、その書は禅の精神性をそのまま筆に宿したような力強さと自在さを兼ね備えています。

張即之(1186〜1266年)は、南宋時代最後の偉大な書家として知られる人物です。敬虔な仏教徒でもあり、写経を修行として数多く手がけました。大字の楷書に秀で、太く堂々とした筆致と鋭い気迫を兼ね備えた独自の書風は、南宋の国境を越えて金朝や日本にまでその名声が轟きました。とりわけ日本の禅僧たちの間で、張即之の書は深く愛好されました。

研究によれば、19幅のうち額字2幅と牌字5幅が無準師範の筆とされ、額字12幅は張即之の筆と考えられています。二人の巨匠の書がまとまって現存すること自体が大変稀なことであり、南宋禅林の大字墨蹟の代表的遺品として比類のない価値を有しています。

中国から日本へ:円爾と東福寺の物語

この墨蹟が日本に伝来した経緯は、東福寺の開山・円爾弁円(えんにべんえん、1202〜1280年、のちに聖一国師と諡号)の生涯と深く結びついています。円爾は1235年に渡宋し、径山寺で無準師範に師事して6年間修行を重ねました。1241年に帰国する際、無準師範はこれらの額字・牌字を円爾に贈りました。弟子が日本で禅寺を開く際の手本となるよう、禅院運営に必要な書のすべてを託したのです。

帰国した円爾はまず博多に承天寺を開き、そこにこれらの書を安置しました。しかし、承天寺が天台宗の衆徒との抗争に見舞われた際、円爾はこれらの書とともに京都へ移りました。京都では摂政・九条道家が1236年に発願した大寺院・東福寺の建立が進んでおり、円爾はその開山に迎えられます。以来約800年、これらの墨蹟は東福寺の至宝として大切に守り伝えられてきました。

なぜ国宝に指定されたのか

禅院額字并牌字は、1974年(昭和49年)6月8日に国宝に指定されました。その文化的価値は多岐にわたります。

第一に、禅宗寺院の額字・牌字がこれだけまとまって現存する例は世界的に見ても他になく、南宋禅林の寺院文化を具体的に示す唯一無二の資料群です。個別の墨蹟として優れているだけでなく、禅宗寺院の組織体系と儀礼の全体像を書という形で伝えている点が極めて重要です。

第二に、無準師範と張即之という南宋を代表する二人の書の巨匠の作品が一つの伝来品としてまとまっている点は、書跡史上きわめて貴重です。南宋禅林の大字墨蹟の代表として、書道研究においても第一級の資料価値を持ちます。

第三に、これらの書は日本に渡った後、東福寺のみならず全国の禅宗寺院で模写され、額字・牌字の手本として広く用いられました。日本の禅宗寺院の視覚文化を形作った「原典」としての歴史的意義は計り知れません。

なお、附(つけたり)指定として、正和5年(1316年)の「無準師範染筆額字目録」1幅、「西堂塔主連署注文案」1巻、「大円覚額字伝来証文類」(8通)1巻も国宝に含まれており、伝来の経緯を裏付ける貴重な文書群となっています。

見どころと鑑賞のポイント

張即之の手になる額字、たとえば「方丈」や「旃檀林」は、太く力強い筆致で堂々たる風格を湛えています。文字の構成は厳格でありながら、筆の運びには動的なエネルギーが満ち、鋭い気魄が画面全体からにじみ出ています。「威風堂々」という表現がまさにふさわしい書です。

一方、無準師範の牌字「上堂」「普説」などは、禅僧ならではの自在な筆致が特徴です。一画一画に禅的な精神性が宿り、形式にとらわれない奔放さと深い精神的権威が共存しています。機能的な掲示のための書でありながら、それ自体が禅の境地を表現する芸術作品となっています。

また、19幅を通覧することで、南宋時代の禅宗寺院がどのような施設を備え、どのような役職が置かれ、どのような法要が営まれていたのかを、書という視覚的・体感的な形で理解することができます。単なる美術品にとどまらない、禅宗文化の生きた証としての魅力がここにあります。

拝観の機会

国宝の書跡作品は保存上の理由から常時公開されることはなく、本作品も東福寺の光明宝殿に収蔵されています。光明宝殿は通常非公開のため、普段の参拝で直接目にすることはできません。

しかし、京都国立博物館や東京国立博物館をはじめとする主要博物館の特別展で、一部の幅が展示される機会があります。2023年に東京国立博物館と京都国立博物館で開催された特別展「東福寺」では、会期中の展示替えにより複数の幅が公開されました。展覧会情報や東福寺の公式サイトをこまめにチェックされることをお勧めします。

なお、東福寺では「東福寺の至宝巡り」という特別拝観プログラム(要予約、1名5,000円)も通年で実施されており、通常非公開の文化財を解説付きで鑑賞できる機会が設けられています。

東福寺:禅文化の宝庫を歩く

墨蹟の公開がない時期でも、東福寺は訪れる価値に満ちた禅の大伽藍です。1236年に九条道家が発願し、円爾を開山として創建された東福寺は、京都五山の第四位に列する臨済宗東福寺派の大本山です。寺名は奈良の東大寺と興福寺から一字ずつ取って名付けられました。

室町時代に建てられた三門(国宝)は、日本最古の禅宗様式の山門として知られます。本坊を囲む四つの庭園(国指定名勝)は昭和の名作庭家・重森三玲の代表作で、とりわけ北庭の苔の市松模様は現代的な美意識で世界中の訪問者を魅了しています。塔頭・龍吟庵の方丈(国宝)は日本最古の方丈建築です。そして通天橋から見渡す洗玉澗の紅葉は、京都随一の秋の絶景として知られています。

境内を歩くとき、ぜひ各建物の入り口に掲げられた扁額にも目を向けてください。それらの多くは、まさにこの禅院額字并牌字を手本として書かれたものです。国宝の書は美術品として収蔵庫に眠るだけでなく、東福寺という生きた禅の空間の中に、その精神を今なお息づかせているのです。

周辺情報

東福寺は京都市南東部に位置し、周辺には見応えのある名所が集まっています。

  • 伏見稲荷大社 — 千本鳥居で世界的に知られる名社。東福寺駅からJRで一駅の稲荷駅が最寄り。
  • 泉涌寺 — 歴代天皇の菩提寺として「御寺(みてら)」と称される皇室ゆかりの寺院。東福寺から東へ徒歩圏内。
  • 京都国立博物館 — 日本美術の名品を収蔵する国立博物館。東福寺から北へ徒歩約15分。禅院額字并牌字が展示される可能性のある場所でもあります。
  • 三十三間堂 — 1,001体の千手観音像で知られる名刹。京都国立博物館からすぐ。

Q&A

Q禅院額字并牌字は東福寺で見ることができますか?
A原品は保存上の理由から常時公開されていません。光明宝殿に収蔵されており、通常の拝観では観覧できません。ただし、京都国立博物館や東京国立博物館の特別展で一部が公開される機会があります。展覧会情報をこまめにチェックされることをお勧めします。また、東福寺境内の各建物に掲げられた扁額には、本作品の書風が反映されています。
Qこの作品を書いたのは誰ですか?
A南宋時代の中国で活動した二人の巨匠の作品です。禅僧・無準師範(1178〜1249年)が額字2幅と牌字5幅を、能書家・張即之(1186〜1266年)が額字12幅を書いたとされています。いずれも南宋時代を代表する書の名手です。
Q東福寺へのアクセスは?
A京都駅からJR奈良線で東福寺駅まで約3分、駅から徒歩約10分です。京阪電車の東福寺駅も利用できます。市バスでは202系統・207系統・208系統が便利です。京都駅からわずか15分ほどの好アクセスです。
Q拝観料と拝観時間は?
A通天橋・開山堂エリアは大人600円(秋期は1,000円)、本坊庭園(方丈)は大人500円です。拝観時間は4月〜10月が9:00〜16:00、11月〜12月初旬は8:30〜16:00、12月〜3月は9:00〜15:30です。境内の一部は無料で散策できます。
Qおすすめの訪問時期はいつですか?
A東福寺は四季折々に魅力がありますが、最も有名なのは11月中旬〜12月初旬の紅葉シーズンです。約2,000本の紅葉が渓谷を彩る絶景は京都随一と称されます。ただし、この時期は大変混雑するため、早朝拝観や新緑の美しい初夏の訪問もお勧めです。書道や禅文化への関心が深い方は、博物館での特別展情報もあわせてご確認ください。

基本情報

正式名称 禅院額字并牌字(ぜんいんがくじならびにはいじ)
指定区分 国宝(1974年〈昭和49年〉6月8日指定)
種別 書跡・典籍
員数 19幅(額字14幅・牌字5幅)
筆者 無準師範(仏鑑禅師、1178〜1249年)、張即之(1186〜1266年)
時代 中国・南宋時代(13世紀)
材質・技法 紙本墨書
所有 東福寺
所在地 京都府京都市東山区本町15丁目778番地
アクセス JR奈良線・京阪電車「東福寺」駅下車、徒歩約10分
拝観時間 4月〜10月:9:00〜16:00/11月〜12月初旬:8:30〜16:00/12月〜3月:9:00〜15:30
拝観料 通天橋・開山堂:大人600円(秋期1,000円)/本坊庭園:大人500円
公式サイト https://tofukuji.jp/

参考文献

国宝『禅院額字并牌字』無準師範・張即之筆 — WANDER 国宝
https://wanderkokuho.com/201-00771/
禅院額字并牌字 — 名品紹介 — 京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/shoseki/item07/
禅院額字并牌字 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/125964
東福寺 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E7%A6%8F%E5%AF%BA
拝観案内 — 臨済宗大本山 東福寺
https://tofukuji.jp/guide/
特別展「東福寺」レビュー — artexhibition.jp
https://artexhibition.jp/topics/news/20230401-AEJ1302867/
Zhang Jizhi, Excerpt from "Song of Leyou Park" — The Metropolitan Museum of Art
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/39534

最終更新日: 2026.03.14