杉木立の谷間に、南国のシダが根を下ろす

室生寺の本堂裏手から奥之院へと続く参道を登っていくと、右手の東側に無明谷と呼ばれる小さな谷間が口を開けている。直射日光の届かない湿った斜面に、本来なら四国や九州の暖かな海辺に育つはずのシダ類がまとまって生えている。この場所が約一世紀前に保護されたのは、この取り合わせの珍しさゆえである。

室生山暖地性シダ群落は、奈良県宇陀市室生にある真言宗の寺院、室生寺の境内の一画に位置する。国の天然記念物に指定されたのは昭和3年(1928年)11月30日で、当時は「室生山暖地性羊歯群落」の名で登録された。指定の根拠となったのは、暖地性のシダ数種がここを自生の北限のひとつとしていた点である。

室生寺は古くから「女人高野」として知られる。長く女人禁制を敷いた高野山に対し、室生寺は女性の参詣を受け入れてきたため、この別称が定着した。寺の背後にそびえる山域は千年以上にわたって聖域として守られてきた。繊細なシダの群落が今日まで残ったのは、この長い保護の歴史と無縁ではない。

なぜ一画のシダ群落が守られたのか

注目されたのは暖地性のシダ植物である。イヨクジャク(Diplazium okudairae)、イワヤシダ(Diplaziopsis cavaleriana)、オオバノハチジョウシダ(Pteris excelsa)、キヨスミヒメワラビ(Ctenitis maximowicziana)はいずれも、四国・九州以南の温暖で湿潤な気候を好む種だ。昭和初期の植物学者たちは、この室生の谷をそうした種の自生分布の北限のひとつと位置づけ、植物の分散と限界を考えるうえで貴重な場所とみなした。

指定に先立つ現地調査を行ったのは、日本の近代植物学の礎を築いた一人、三好学である。三好を谷へ案内したのは、当時の奈良県史蹟名勝天然記念物調査委員だった岡本勇治で、岡本は室生山一帯の植生を事前に隅々まで歩き、どの暖地性シダがどこに育つかを把握したうえで報告していた。三好は昭和4年の『天然紀念物調査報告 植物之部 第9輯』のなかで、この類のシダの分布として室生は著しいと記し、無明谷の暖地性羊歯群落を天然記念物とするよう求めている。

指定地そのものは広くない。昭和37年に奈良県教育委員会がまとめた記録では、登録面積が4町6反余、実測ではおよそ6反弱とされ、平成7年刊行の資料では約59アール、6千平方メートル弱と記されている。適用された指定基準は、着生草木の著しく発生する岩石または樹木に関するものと、著しい植物分布の限界地に関するものの二つだった。

ここで一つ正確に触れておきたい。かつて室生を絶対的な北限とされたこれらのシダは、その後より北方でも自生が確認されている。一方で、いくつかの都道府県では同じ種が地域的な絶滅種や絶滅危惧種に分類されており、この群落の意義は分布の最前線から、長く守られてきた逃れの地へと移りつつある。

谷と山、そして700種を数える森

室生山は寺の真後ろに標高636メートルで立ち上がり、山頂は東の焼山、西の如意山という二つの峰に分かれる。山全体がスギ、ヒノキ、ツガの深い樹林に覆われ、約1500万年前の火山活動でつくられた尖峰群、室生火山群の一角をなす。この急峻で日陰がちな、水をよく含む地形こそが、南方系のシダを内陸の奥深くで生き延びさせてきた。

植物としての見どころはシダだけではない。昭和41年に植物学者の小清水卓二が行った調査では、室生山で確認された植物はおよそ156科710種にのぼり、うちシダ植物だけで18科113種を占めた。小清水は寺へ至る道筋を一大植物園の感があると評している。「室生」を冠する植物も二つある。ムロウマムシグサ(現在はキシダマムシグサと呼ばれることが多い。Arisaema kishidae)とムロウテンナンショウ(Arisaema yamatense)で、いずれも大正から昭和初めにこの地で初めて採集され、当代の植物学者によって命名された。

谷には、参道脇の小さな橋のたもとに天然記念物であることを示す石碑が立ち、木板の解説板が添えられている。シダそのものは日陰の斜面の下草に低く茂っているため、大きな眺めを求める場所ではない。むしろ立ち止まって近づき、一種ごとの葉の形のちがいを見比べたい。新緑から夏にかけて葉が開ききる頃が、観察に向く。

群落への行き方と周辺の見どころ

群落は室生寺の拝観の一部であり、本堂から奥之院へ登る途中、本堂のおよそ500メートル先にある。見学には通常どおり寺に入る。近鉄大阪線の室生口大野駅から奈良交通の室生寺行きバスに乗れば、終点まで約14分、そこから寺の門まで徒歩約5分。車では名阪国道の針インターチェンジで降り、25分ほどの道のりとなる。

境内に入ると、参道沿いには国宝の五重塔や金堂など、室生寺を代表する建築が並ぶ。寺は4月半ばのシャクナゲや秋の紅葉でも名高い。シダの谷は、こうした見どころをめぐる行程のなかの一つの立ち寄り先と考えるのがよい。群落は仏教寺院の参道上にあるため、道を外れない、植物を採らない・傷めないといった基本的な作法は守りたい。

Q&A

Qシダ群落を見るのに料金はかかりますか。
A群落は室生寺の境内にあるため、寺の通常の拝観料を納めて入山します。シダだけを見るための別料金はありません。
Q訪れるのに最適な時期はいつですか。
A葉が開ききる新緑から夏が見頃です。同じ季節には室生寺のシャクナゲも見られ、秋には参道沿いの紅葉も加わります。
Q実際には何が見られますか。
A杉木立の下の日陰の斜面に低くシダが茂る谷で、小さな橋のそばに石碑と解説板が立っています。広い眺望ではなく、静かに近くで観察する見どころです。
Qこれらのシダはなぜ貴重なのですか。
A四国や九州に多い暖地性の種だからです。昭和3年の指定当時、ここはその自生分布の北限のひとつとされ、植物分布の研究上の価値が認められました。
Q室生寺の歴史とどう関わりますか。
A女人高野として知られる室生寺は、背後の山を聖域として長く守ってきました。その長年の管理が、もろい植物群落を一か所に残す助けとなりました。

基本情報

名称室生山暖地性シダ群落(むろうざんだんちせいシダぐんらく)
所在地奈良県宇陀市室生78番地(室生寺境内)
指定区分国指定天然記念物
指定年月日昭和3年(1928年)11月30日
指定基準(九)着生草木の著しく発生する岩石又は樹木、(十)著しい植物分布の限界地
面積約59アール(約6,000平方メートル)
主な種イヨクジャク、イワヤシダ、オオバノハチジョウシダ、キヨスミヒメワラビほか暖地性シダ
アクセス近鉄大阪線・室生口大野駅から奈良交通バスで約14分、「室生寺」下車徒歩約5分。群落は本堂から約500m先
見学室生寺の拝観時間内(4/1〜11/30は8:30〜17:00、12/1〜3/31は9:00〜16:00)。拝観料が必要

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 室生山暖地性シダ群落
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1966
宇陀市公式ホームページ 室生山暖地性シダ群落(国指定)
https://www.city.uda.lg.jp/map/19065.html
女人高野 室生寺 拝観・交通案内
https://www.murouji.or.jp/guide/
女人高野 室生寺 公式サイト
https://www.murouji.or.jp

最終更新日: 2026.05.28