出羽仙台街道中山越——芭蕉が苦労した古道を歩く
元禄2年(1689)5月15日、新暦に直せば7月1日。松尾芭蕉と弟子の河合曽良は、平泉から引き返して尾花沢へ抜けるべく、鳴子温泉の北にある尿前の関にたどり着いた。手形を持たない二人は関守に長く詮議され、ようやく通行を許される。「奥の細道」の有名な一節は、その出来事を短く書きとめている——この道は旅人がほとんど通らないので、関守に怪しまれた、と。
その時の道筋は、今もそのまま残っている。宮城県側の尿前番所跡から山形県側の笹森番所跡までの約4.2キロが、平成2年(1990)2月22日に国の史跡「出羽仙台街道中山越」として指定された。奥羽山脈の最低部、標高350メートルほどの堺田峠を越える区間で、現在も江戸期の道幅と階段の意匠が復元されている。芭蕉が登った同じ坂を、現代の旅行者も歩くことができる。
古代から続く東西の道
この道筋の歴史は、平安時代の蝦夷征討までさかのぼる。江合川沿いの狭い低地は、多賀城に置かれた陸奥国府から出羽柵へ兵を送る最短ルートにあたっていた。奥羽山脈の山並みは1000メートル級が連なるが、堺田の鞍部だけが350メートルまで下がっており、馬や荷物を通すには他に選択肢がなかった。古代の正確な道筋は確定していないものの、地形の制約上、ほぼ同じ線をたどっていたと推定されている。
江戸期にはこの道が街道として整い、奥州街道の吉岡宿(黒川郡大和町)から分岐して、中新田、岩出山、鳴子を経て、堺田峠を越え、羽州舟形に至る一本の道として描かれるようになる。元禄12年(1699)の「仙台藩御領分絵図」には、この街道筋が明確に示されている。仙台藩にとっては脇街道で、参勤交代路ではなかった。橋の整備がほとんど行われず、小深沢・大深沢といった沢を越える地点には板の橋すら架けられず、旅人を悩ませた。
それでも交通量は徐々に増えていった。文化文政期になると、鳴子が湯治場として広く知られるようになり、近隣で銅山開発も進んだ。文化11年(1814)以降は出羽の紅花が江戸に出荷される経路の一つとなり、文化12年(1815)からは新庄藩がこの道を参勤交代に使い始める。秋田藩や庄内藩の家中も江戸への往復に利用した。およそ2世紀にわたって、荷駄と人馬の絶えない実用の街道だったわけである。
史跡指定の理由
国の史跡指定は、歴史上の重要性が高い場所に限定される。中山越の場合、指定基準は「六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」が適用された。指定にあたって評価されたのは大きく三点ある。
第一に、古代から近世まで継続的に使われ、文書にも記録が残る街道であること。脇街道としてこれだけ長い期間にわたって資料的裏付けのある道は多くない。第二に、近代の道路整備の影響を受けていない区間が残ったこと。国道47号線とJR陸羽東線は江合川沿いの低地に通され、山腹の旧道は廃道として放置されたため、結果的に拡幅や舗装を免れた。第三に、「奥の細道」という日本文学史上の古典の舞台として、近世以来俳人の巡礼地となってきた文化的背景である。
昭和52年度から現地調査と史料収集が始まり、昭和56年度に保存整備事業が完了した。道幅は資料に基づいて1間半(約2.7メートル)を標準とし、急勾配の箇所には石階段や松丸太の階段を設け、路面には川砂を敷いた。道標と説明板も適切な位置に整備された。指定はその9年後、平成2年(1990)2月22日のことである。
現在の道——歩いて見えるもの
東側の起点は尿前の関跡である。国道47号線から階段を下りた平場に、伊達藩が寛文10年(1670)に設置した境目番所の跡地が広がる。現在ある門は近年の復元であり、芭蕉の時代の建物そのものではない。場所そのものは当時のままだ。敷地内には説明板、芭蕉の句碑、ささやかな芭蕉像が置かれている。
関跡から先、道は杉・ブナ・ナラの混交林に入って一気に登り始める。最初の1キロのうちに小深沢、大深沢という二本の沢を渡る。江戸期にはここに橋がなく、旅人は水量に応じて沢を渡渉していたが、現在は素朴な板橋が架けられている。急な斜面には石を埋め込んだ階段が組まれていて、これは保存整備事業で復元された箇所として指定報告書にも記されている。実際に登ると、勾配が思いのほかきつく、芭蕉が「漸として関をこす」と書いた感覚が体感として迫ってくる。
中ほどに中山宿の跡がある。江戸後期に駅として設けられた集落の跡で、礎石が下草の中に見え隠れする。その先、道は緩やかに下って堺田の分水界に至る。ここは中央分水嶺が平坦な土地を通る、日本でも数少ない地点の一つだ。東に流れた水は江合川から北上川を経て太平洋へ、西に流れた水は小国川から最上川を経て日本海へ向かう。実際に小さな水路で二方向に分水される様子を、駅前広場で目視できる。
西の終点は山形県側の笹森番所跡。ここから少し下ったところに、もう一つの大きな見どころである封人の家がある。
封人の家——芭蕉が三日逗留した家
「奥の細道」に出てくる「封人の家」は、現在の山形県最上町堺田に建つ旧有路家住宅にあたると考えられている。最上町所有の茅葺き寄棟造り、広間型民家で、昭和44年(1969)12月18日に国の重要文化財に指定された。桁行24.755メートル、梁間9.999メートル、約81坪という大型の民家で、創建は江戸初期を下らないと見られている。昭和46年から48年にかけて解体復元修理が行われ、当初の姿で公開されている。
有路家は新庄藩上小国郷堺田村の代々の庄屋を務めた家で、村役場、問屋、街道筋の旅宿、そして仙台藩との国境を見張る役を兼ねていた。元禄2年(1689)7月1日の夕方、芭蕉と曽良は雨に降り込まれてこの家に宿を求めた。三日間、嵐が収まるのを待ちながら芭蕉が書きとめた一句が、よく知られている。
蚤虱馬の尿する枕もと
これは旅の不平というより、その場で見聞きしたものの記録に近い。最上町(当時の小国地方)は山形県でも有数の馬産地で、堺田には冬季にヤマセが吹き降ろす。寒さから馬を守るため、人家の内部に厩を組み込み、人と馬が同じ屋根の下で寝起きする住み方が一般的だった。土間を挟んで床の間と内厩が向かい合う有路家の構造は、当時の暮らし方をそのまま残している。芭蕉が泊まった座敷の数メートル先に、馬が立っていたわけだ。
現在も訪問者は同じ位置に立てる。文化財保護のため、ほぼ毎日囲炉裏に火が入れられている。茅葺き屋根を煙で燻して虫を除けるためで、結果として家全体に焚き木の匂いが染みていて、芭蕉の見た光景に近い空気感がある。
歩くための実用情報
史跡指定区間4.2キロに加え、笹森番所跡から封人の家まで歩いて約1キロ、合計5キロほどの行程となる。ゆっくり歩いて3〜4時間、封人の家の見学を含めれば5時間前後を見ておきたい。基本的に一方通行のコースなので、戻りは列車・代行バス・タクシーを利用することになる。
足元はしっかりした登山靴か運動靴がよい。整備されているとはいえ路面は土と石で、雨後は滑りやすい区間がある。途中に水場や売店はないので、水と簡単な行動食を持参すること。冬期(おおむね11月下旬から4月)は積雪のため通行止めとなる。
季節としては、新緑の5月から梅雨入り前、紅葉の10月下旬から11月上旬が人気である。ただし芭蕉が歩いたのは梅雨の最中で、その「人があまり通らない」雰囲気を味わうなら、雨の少ない6月や残暑が和らぐ9月もよい選択肢になる。歩道は無料。封人の家は別途観覧料(一般250円)。
周辺の見どころ
東側のトレイルヘッドである尿前の関跡から至近距離に鳴子温泉郷が広がる。鳴子温泉は国内の主要泉質11種類のうち9種類が湧くという、日本でも泉質の幅が広い温泉地で、湯治の伝統が今も残る。鳴子こけしの本場でもあり、日本こけし館では東北各地の伝統こけし11系統が一堂に展示されている。
尿前の関跡の西方1キロほどには、大谷川が刻んだ深さ約100メートルのV字峡谷、宮城県指定名勝の鳴子峡がある。峡谷沿いの大深沢遊歩道は約2.2キロの周回路で、冬期は閉鎖。紅葉の見頃は10月下旬から11月上旬で、この時期だけ運行される臨時バス「紅葉号」が鳴子温泉駅と中山平温泉駅から発着する。
山形県側の堺田駅では、駅前広場そのものが中央分水嶺になっている。木製の水路で東西に水が分かれる様子を、列車待ちの数分で観察できる珍しい場所である。封人の家までは徒歩4分ほど。
Q&A
- 史跡指定区間を歩くのにどれくらいかかりますか
- 尿前番所跡から笹森番所跡までの4.2キロを、ゆっくり歩いて3〜4時間が目安です。封人の家まで足を延ばすと合計約5時間。途中に休憩施設はないので、時間に余裕をもって出発してください。
- 一人で歩いても大丈夫ですか
- 道標が整備されていて、歩く人も少なくないので、一般的な登山経験があれば単独歩行は可能です。携帯電話の電波は場所によって入りにくいことがあります。不安があれば、鳴子温泉観光協会を通じて地元ガイドを依頼するのが安心です。
- いつ閉鎖されますか
- 積雪のため、おおむね11月下旬から4月初旬まで通行止めとなります。封人の家も同様に冬期閉館(12月から3月)です。
- 芭蕉が「蚤虱馬の尿する枕もと」を詠んだのは本当にこの旧有路家住宅ですか
- 「奥の細道」の記述と地理的条件、家屋の構造(内厩がある)から、旧有路家住宅が「封人の家」にあたるとする見解が一般的です。決定的な物証があるわけではありませんが、研究者の間で有力な比定がほぼ定着しています。
- 公共交通機関でのアクセスを教えてください
- JR陸羽東線鳴子温泉駅から尿前の関跡まで徒歩約20分、または車で5分。なお陸羽東線の鳴子温泉駅以西は、2024年の豪雨災害以降代行バスでの運行となっており、列車での通り抜けはできません。最新の運行状況はJR東日本の案内を確認してください。
基本情報
| 名称 | 出羽仙台街道中山越(でわせんだいかいどうなかやまごえ) |
|---|---|
| 指定区分 | 国指定史跡(指定基準六:交通・通信施設等) |
| 指定年月日 | 平成2年(1990)2月22日 |
| 指定区間 | 約4.2キロメートル |
| 所在地 | 宮城県大崎市鳴子温泉、山形県最上郡最上町(堺田) |
| 主な利用時期 | 江戸時代(古代からの記録あり、新庄藩の参勤交代は文化12年〔1815〕以降) |
| 道幅 | 1間半(約2.7メートル)標準。整備事業は昭和52〜56年度 |
| 最寄り駅 | JR陸羽東線 鳴子温泉駅(尿前番所跡へ徒歩約20分)/堺田駅(封人の家へ徒歩約4分) |
| 開放期間 | 遊歩道:4月〜11月下旬(冬期積雪のため閉鎖)。歩行無料。封人の家:4月〜11月、一般観覧料250円 |
| 問い合わせ | 大崎市鳴子総合支所観光農政課 TEL 0229-82-2102/最上町役場教育文化課 TEL 0233-43-2350 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁):出羽仙台街道中山越
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3095
- 文化遺産オンライン:出羽仙台街道中山越
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/164311
- 宮城県公式ウェブサイト:おくのほそ道散策マップ〜出羽街道中山越 芭蕉の道を訪ねて〜
- https://www.pref.miyagi.jp/site/kouiki-osaki/okunohosomichi-nakayamadaira.html
- 最上町:旧有路家住宅(通称「封人の家」)
- https://town.mogami.lg.jp/culture/01rekishi-shiseki/45houjin-no-ie.php
- 鳴子温泉観光協会:鳴子峡案内図&バス時刻2025
- https://www.welcome-naruko.jp/information/鳴子峡案内図&バス時刻2025
最終更新日: 2026.05.18