今町一里塚——九州にただ一基残された国指定史跡の道標

宮崎県都城市の南部、国道269号の両脇にふたつの土塚が向かい合って残っている。西塚は底部径7.2メートル、高さ2.7メートル。東塚はそれよりやや小ぶりだ。江戸期に整備された一里塚で、九州地方で国指定史跡となっているのはこの今町一里塚ただ一基のみである。

指定は昭和10年(1935年)12月24日。戦後の国道改良工事によって指定地の輪郭が曖昧になったため、昭和48年(1973年)7月21日に追加指定が行われ、街道の両脇に残っていた並木敷の一部も保護対象に組み入れられた。

一里塚という制度

一里塚は徳川幕府が慶長9年(1604年)に整備を命じた制度である。江戸日本橋を起点として、東海道・東山道・北陸道など主要街道の沿線に、一里(約3.93キロメートル)ごとに道の両側に塚を築かせた。総監督は金山奉行の大久保長安。塚の上には榎や松が植えられ、夏場の旅人に木陰を提供するとともに、根を深く張ることで塚の崩壊を防ぐ役割も担った。

幕府の指令は当初五街道など主要街道に限られていたが、諸藩もやがて自領内の脇街道・脇往還にこの制度を取り入れた。今町一里塚もそうした藩内街道に築かれた一基である。

しかし明治9年(1876年)に出された「一里塚廃毀」の指令と、その後の道路拡幅工事や交通体系の変化により、全国の一里塚の多くは姿を消した。現在国指定史跡となっているのは全国で17ヶ所のみ。九州に残るのは、今町一里塚だけである。

都城と志布志をつなぐ街道

今町一里塚が築かれた街道は、五街道のような幕府直轄ルートではない。鹿児島藩(薩摩藩)領内の脇街道のひとつで、都城の城下から南東へ、現在の宮崎県と鹿児島県の境を越えて志布志港へ至る道、いわゆる今町街道(志布志街道)である。藩主の参勤交代ルートからは外れた、地域内の物資輸送や巡視のための道だった。

都城は鹿児島藩のなかでも最大規模の私領で、島津氏の分家である北郷氏(のちの都城島津氏)が約4万石を治めていた。今町一里塚は、その城下から東へちょうど一里、五十市方面に抜ける街道筋の集落「今町」と隣接する「梅北町」の境にあたる位置に築かれている。藩内の道にも幕府の街道規格を適用していたことが、この一基の存在から読み取れる。

古い記録は西塚の規模を「径四間、高さ九尺」と記している。一間は約1.818メートル、一尺は約0.303メートル。換算すると約7.3メートル・約2.7メートルとなり、現在計測される7.2メートル・2.7メートルとほぼ完全に一致する。築造後およそ400年、ほぼ原形のまま街道脇に残り続けてきた。

見どころ

派手な遺構ではない。塚は道路面とほぼ同じ高さの地面に築かれており、ぱっと見れば樹木の生えた小山程度に映る。だが、これが藩政期の旅人が見ていたのとほぼ変わらない風景である。江戸期の文書に「径四間、高さ九尺」と記された規模が、現代の計測結果と数値レベルで一致している事実を意識すると、印象は変わってくる。

西塚と東塚の大きさが違うことも、初期の指定書類に「東塚ハコレヨリモ稍小ナル」と書かれているとおりだ。両塚の対称が完全ではないこと自体が、近世日本の街道整備が儀礼ではなく実用本位だった事実を示している。塚の周囲、特に南側には、昭和48年の追加指定で対象となった並木敷の一部が今も残されている。

標識や受付施設はない。市が立てた解説板が一基あるのみで、見学は自由。撮影も特に制限されていない。

訪れる前に

所在地は都城市今町・梅北町の境界付近、国道269号の両脇。JR都城駅から車で約20分、都城ICからもほぼ同程度の距離である。専用駐車場はないため、周囲の交通状況に配慮した路肩駐車が現実的な対応となる。見学に要する時間は10〜15分ほど。周辺は田園地帯で、塚そのものを目当てに長時間を過ごす場所ではない。後述の都城市内の他の文化財や名勝とあわせて訪れるのが現実的だ。

周辺の見どころ

都城市街には、今町一里塚とあわせて訪れたい施設がある。早鈴町の都城島津邸は、明治12年(1879年)に都城島津家29代当主・島津久寛が建てた邸宅で、国の登録有形文化財。隣接する伝承館には都城島津家関連の資料約1万点が収蔵されており、670年にわたる一族の歩みと地域の近代史を見渡すことができる。

都嶋町の城山公園には都城島津氏の居城・都之城の跡があり、本丸跡に建つ都城歴史資料館で都城盆地一帯の通史を概観できる。

足をやや伸ばすなら関之尾滝。日本の滝百選に選定された幅40メートル・落差18メートルの大滝で、滝の上流には国の天然記念物「関之尾甌穴群」が約600メートルにわたって続く。今町一里塚から車で約25分の距離である。

Q&A

Qなぜ今町一里塚は国指定史跡になったのですか?
A江戸期の街道交通制度を示す遺構として、その価値が認められたためです。指定基準は「交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」。九州地方で国指定史跡となっている一里塚はここだけで、全国でも17ヶ所のみという希少な事例です。
Q塚に登ってもよいですか?
A国指定史跡のため、登ったり踏み入ったりはできません。路肩からの見学が原則です。
Q塚の上の樹木は当時のものですか?
A江戸期の慣習として一里塚の上には榎などの樹木が植えられました。今町一里塚にも塚上に樹木があり、街道時代の景観を今に残しています。なお昭和48年の追加指定では、街道沿いに残っていた並木敷の一部も保護対象に加えられました。
Q駐車場はありますか?
A専用駐車場はありません。国道269号沿いのため、安全に配慮した路肩駐車での対応となります。短時間の見学に留めるのが無難です。
Q何時に行っても見学できますか?
A屋外の遺構のため、いつでも見学可能で、料金もかかりません。ただし国道沿いのため、明るい日中の見学をおすすめします。

基本情報

名称今町一里塚(いままちいちりづか)
所在地宮崎県都城市今町・梅北町
指定区分国指定史跡
指定年月日昭和10年(1935年)12月24日
追加指定:昭和48年(1973年)7月21日
指定基準六.交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
規模西塚:底部径7.2m、高さ2.7m
東塚:西塚よりやや小
アクセスJR都城駅から車で約20分、国道269号沿い
料金無料(屋外見学・常時開放)
問合先都城市文化財課(電話:0986-23-9547)

参考文献

国指定文化財等データベース「今町一里塚」(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2925
今町一里塚(宮崎県都城市公式ホームページ)
https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/bunkazai/2691.html
今町一里塚(文化遺産オンライン)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/162658
鹿児島藩と都城(都城市公式ホームページ)
https://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/site/shimazu/9105.html

最終更新日: 2026.05.20