四国・九州にごく稀に分布する希少なカシの自生林
大分県佐伯市長谷、稲田に囲まれた標高五十数メートルの小高い丘の上に、常緑の樹冠がぽつんと盛り上がっている。地元で「城八幡」とも呼ばれる堅田郷八幡社の社叢である。周囲約1,500メートル、面積にして約4ヘクタールほどのこの神社林に育つのは、日本のカシ類のなかでもとりわけ稀少な一種、ハナガガシ(葉長樫、学名 Quercus hondae)。国内でハナガガシ林として国の天然記念物に指定されているのは、現在のところこの一カ所のみとされる。
指定は昭和53年(1978年)3月11日。平成元年(1989年)8月14日に追加指定が行われ、現在は文化庁による国指定基準「(一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢」に該当する天然記念物として保護されている。
ハナガガシという木
「ハナガガシ」は「ハナ・ガ・ガシ」ではなく「ハ・ナガ・ガシ」。葉が長い樫、という意味の名である。ブナ科コナラ属アカガシ亜属に分類される常緑高木で、別名サツマガシ。葉の長さ7〜15センチ、幅1.5〜3センチほどと、日本に自生するカシ類のなかでもっとも細長い葉をもち、上半分にだけ鋭い鋸歯が並ぶ。幹はほぼ真っ直ぐ上に伸び、樹高は20〜30メートルに達する。
分布は四国南部と九州中南部に限られ、宮崎県・鹿児島県・大分県・高知県・愛媛県にごく稀に産する。熊本県にも自生記録があるが、すでに絶滅したと考えられている。環境省レッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類(VU)。県別の評価ではさらに厳しく、愛媛県・高知県は絶滅危惧ⅠA類(CR)、大分県は絶滅危惧ⅠB類(EN)に位置づけられている。
個体数の減少には、人為的な要因も大きい。隣接するスギ人工林の伐採作業の邪魔になるという理由で伐られた例も県内で報告されており、認知度の低さもあって、社叢の外で単木で生育するハナガガシは消失の危険が高い状態にある。最近の遺伝解析では、四国集団と九州集団がそれぞれ遺伝的に分化し、集団同士の交流が乏しくなっていることも明らかになっている。
そうしたなかで、堅田郷八幡社のハナガガシ林は別格の意味をもつ。社叢全体が皆伐を経験することなく今日まで残されてきたとされ、ハナガガシのほかスダジイ(イタジイ)、コジイ(ツブラジイ)が混生する。胸高での幹周は最大でハナガガシ約2.7メートル、コジイ約2.8メートル、スダジイ約3メートルに達し、樹高25メートル・直径1メートル近い個体もあるという。
森を守り抜いた神社の歴史
堅田郷八幡社は、地元では「城八幡」「堅田八幡宮」とも呼ばれる。社伝によれば創建は平安時代の弘仁7年(816年)8月15日。御祭神は誉田別命・足仲彦命・息長足媛命の八幡三神である。もとは丘の頂上付近に鎮座していたが、江戸時代中期の享保6年(1721年)に現在地に遷座し、堅田郷の宗社として崇敬を集めるようになった。旧地には小さな石祠が残り、中央に八幡宮奥の宮、左右に大山祇神と大神朝臣が彫られている。佐伯氏との結びつきがうかがえる立地である。
現在の本殿は江戸時代後期の天保2年(1831年)の建造で、武蔵国狛江出身の宮大工・野々下竜兵衛の手による。佐伯地方の神社建築のなかでも完成度の高い作例とされ、享保6年銘の大鳥居扁額、明治31年(1898年)奉納の狛犬、明治40年の奉燈玉垣など、近世から近代にかけての奉納物も伝わる。
周辺の山々は時代ごとにスギ・ヒノキの人工林として伐採と植林を繰り返してきたが、八幡社が鎮座する丘そのものは聖域として手付かずに残された。その結果として保たれてきたのが、西南日本の低地暖帯林の本来の姿に近い、貴重な常緑広葉樹林である。
石段を登りながら見えるもの
南西を向いて一直線に伸びる長い石段が参道。石段はそのまま社叢のなかを登っていくため、林の中を歩く感覚に近い。午後の光が斜めに差し込むと、樹高20メートルを超えるハナガガシの真っ直ぐな幹と、灰色がかった樹皮のひび割れがはっきりと浮かび上がる。ハナガガシは頂上付近と西側斜面に多く、コジイとスダジイは東側に集中して分布する。
亜高木・低木層に目を移すと、コバンモチ、ヤマビワ、タイミンタチバナ、ミサオノキ、サツマルリミノキ、クロキといった照葉樹林の構成種が揃って育っている。草本層ではオオカグマ、ベニシダ、ツルコウジが多く、コハシゴシダ、キジノオシダ、コヤブラン、シシガシラなどのシダ類のほか、葉緑素をもたず菌類に依存して生きる腐生ラン・ムヨウランが自生する。ムヨウランや希少なナギランの存在は、土壌と菌根がここで長期にわたり破壊されてこなかった証として、植物学者の注目を集めてきた。
県指定天然記念物「城八幡社の自然林」として登録されている範囲を含めると、社叢全体では229種の植物が確認されている。一見すれば常緑の濃い森にすぎないが、踏み込むほどに多層的で湿度のある独特の空気に気付かされる。
春の例祭と佐伯神楽
例祭は4月3日に近い日曜日に行われる神幸祭。神輿が地区内を巡行し、社殿では佐伯神楽が奉納される。佐伯神楽は大分県の無形民俗文化財に指定されており、堅田郷八幡社のほか、青山地区や鶴見町大鳥の神社などで、春・夏・秋に奉納されてきた。同地区には下城杖踊りという民俗芸能も伝わる。
祭日は誰でも見学できる地域行事として開かれているが、観光化された催しではなく、あくまで集落の祭祀である。長い石段を神輿が登っていく光景は、この社叢がなぜ「博物館の標本」ではなく「神の住まう森」として守られてきたのかを、頭ではなく感覚で理解させてくれる。
周辺の見どころ
佐伯市は大分県の南東端、九州本土としては最大級の面積をもつ市で、リアス式の海岸線と内陸の山地、河川流域を併せもつ。長谷地区は内陸側にあり、海から番匠川を遡ったところに位置する。
車で30〜40分圏内には、市街地を見下ろす城山の佐伯城跡(続日本100名城)、武家屋敷の残る城下町・八幡町、漁港の米水津、番匠川や久留須川の渓谷などが点在する。佐伯の沿岸部は日豊海岸国定公園に含まれ、豊後水道の島々を望む景観が広がる。植物に関心のある旅行者には、同じ佐伯市内の弥生地区にある八坂神社のハナガガシ林(大分県指定天然記念物)も訪ねやすい。こちらは林内には入れないが、ハナガガシが樹林全体の約7割を占め、幼木も確認されている貴重な自生地である。
Q&A
- 林の中まで自由に入れますか?
- 参道の石段が社叢の中を登っていく構造になっているため、林の雰囲気そのものは石段を歩くだけで十分に味わえます。指定地内に踏み込んで観察するのは、土壌と根系の保全のため控えてください。神社境内としての参拝マナーに沿った形での見学が基本になります。
- 訪れるのに適した季節はいつですか?
- ハナガガシは常緑樹なので一年を通じて樹冠の様子は変わりませんが、晩秋から初冬にかけては空気が澄み、暗い森と周囲の田畑とのコントラストが際立ちます。4月3日に近い日曜日には例祭と佐伯神楽の奉納があり、社叢の文化的側面に触れたい場合はこの時期が候補になります。
- ハナガガシは現地で見分けられますか?
- 細長く先の尖った葉と、上半分にだけある鋭い鋸歯が目印です。葉は枝先にまとまって付き、樹冠が高いため遠目には気付きにくいのですが、参道に落ちている葉でかなり判別できます。樹皮は暗灰色で「く」の字状の浅いひび割れが規則的に並びます。
- 駐車場や入場料はどうなっていますか?
- 入場料は不要です。観光施設ではなく現役の村社のため、社務所や受付は常設されていません。石段下に数台分のスペースがありますが、農作業車の通行を妨げないよう配慮してください。
- なぜここだけが国指定なのですか?
- 他の自生地はハナガガシが単木で点在するか、小規模な群落にとどまる事例が中心です。堅田郷八幡社の場合、ある程度まとまった面積(約4ヘクタール)、ハナガガシが主構成種となる原生に近い植生、そして社叢として千年以上皆伐を免れてきた歴史、この三条件が揃った場所が他に確認されていない、というのが背景にあります。
基本情報
| 名称 | 堅田郷八幡社のハナガガシ林(かたたごうはちまんしゃのはなががしりん) |
|---|---|
| 所在地 | 大分県佐伯市長谷(堅田郷八幡社/別称・城八幡宮 境内) |
| 指定区分 | 国指定天然記念物 |
| 指定年月日 | 昭和53年(1978年)3月11日/追加指定 平成元年(1989年)8月14日 |
| 指定基準 | (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢 |
| 面積 | 約4ヘクタール(標高30〜50メートルの丘陵地に広がる神社林) |
| 主な樹種 | ハナガガシ(葉長樫/Quercus hondae)、スダジイ、コジイ |
| ハナガガシの保全状況 | 環境省レッドリスト:絶滅危惧Ⅱ類(VU)/大分県:絶滅危惧ⅠB類(EN) |
| 関連指定 | 「城八幡社の自然林」(大分県指定天然記念物)が周辺の社叢を含めて指定。神社で奉納される佐伯神楽は大分県指定無形民俗文化財。 |
| アクセス | JR日豊本線 田淵駅から徒歩圏/上岡駅から車で約10分。国道217号から長谷地区へ。観光案内施設はなし。 |
| 例祭 | 4月3日に近い日曜日(神幸祭・佐伯神楽の奉納) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「堅田郷八幡社のハナガガシ林」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2891
- 文化遺産オンライン「堅田郷八幡社のハナガガシ林」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/162628
- 大分県レッドデータブック「ハナガガシ」
- https://www.pref.oita.jp/10550/reddata2011/02/ss266.html
- おおいた文化財ずかん「堅田郷八幡社のハナガガシ林」
- https://oita-digitalzukan.jp/cultural_property/堅田郷八幡社のハナガガシ林/
- 森林総合研究所 九州支所「ハナガガシ」
- https://www.ffpri.go.jp/kys/business/jumokuen/jumoku/zukan/hanagagasi.html
最終更新日: 2026.05.27