桁行三十五間、村がつくった校舎の南棟

旧山本中学校杵原校舎管理教室棟(きゅうやまもとちゅうがっこうきねはらこうしゃかんりきょうしつとう)は、長野県飯田市竹佐にある昭和24年(1949年)建築の木造平屋校舎で、平成17年(2005年)12月26日に国の登録有形文化財となった建物である。地元では通称の杵原学校(きねはらがっこう)で呼ばれ、南北に並ぶ二棟のうち南側にあたるため南校舎とも呼ばれる。

文化庁の登録原簿は、敷地の北寄りに建つ東西棟、桁行35間、梁間5間余と記す。1間は柱と柱の間隔でおよそ1.82メートルだから、正面の長さは約64メートルに及ぶ。建築面積は609平方メートル。屋根は切妻造で、波形の桟瓦を葺く。南面の中央だけが寄棟造の玄関ポーチとして前へ張り出し、単調になりがちな長い外観に一点の変化を与えている。

外壁は下見板張。横板を下から順に重ねて張り上げ、窓の上に残る小壁を白漆喰で塗り分ける。板の茶と漆喰の白が水平に走る配色は、戦前から戦後にかけて地方の学校建築が繰り返し用いた形式で、この校舎はその標準的な姿を保っている。

内部に入ると、壁の上部は同じく白漆喰、腰の部分には竪羽目板を張る。天井は教室も廊下も竿縁天井で、細い竿縁が等間隔に走り、その上に板を渡す。住宅の座敷に用いる納まりをそのまま教室の規模へ引き伸ばした構成といえる。

指定ではなく登録という選択

この校舎に付いているのは「登録」であって「指定」ではない。国宝や重要文化財に代表される指定制度が、価値の高い建造物を厳格な現状変更規制のもとに置くのに対し、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた登録有形文化財制度は、築後およそ50年を経た建物を緩やかな規制で守り、使い続けることで保存する仕組みとして運用されてきた。杵原校舎の二棟はいずれも第48回登録で、南棟の登録番号が20-0234、北の教室棟が20-0235である。

登録基準として挙げられたのは、三つある基準のうち第一の「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。飯田市教育委員会は、この二棟が市街地の追手町小学校校舎とともに、義務教育の学校としては長野県内で初めて登録された事例だと記している。さらに地元報道は、新制中学校の校舎としては全国初の登録有形文化財だったと伝えている。

もっとも、登録の理由書に書かれない事実の方が、この建物では重い。

昭和22年の学制改革で六・三・三・四制が始まり、市町村には新制中学校を設ける義務が生じた。山本村村議会が校舎建設を議決したのは昭和23年。資材も資金も極度に不足していた時期である。敷地の大半は無償で提供され、村民はワラ・竹・縄を持ち寄り、労働力も出した。神社林や区有林の木を売って費用に充て、婦人会はウサギを飼って資金をつくり、生徒までが資材を運んだ。校舎が完成し使用が始まったのは昭和24年8月。体育館やプールはその後に整えられている。

玄関の内部で腰板を見ると、本来なら無垢の板を張る位置にベニヤ板が使われている。飯田市はこの一点を「当時の社会情勢がよく反映されている」箇所として挙げる。終戦から4年の村が、何を手に入れられて何を手に入れられなかったかが、そこに残っている。

訪ねる人へ

山本中学校は38年間で3,515名の卒業生を送り出し、昭和60年(1985年)に伊賀良中学校(現・旭ヶ丘中学校)と統合して閉校した。校舎は取り壊されずに残り、登録と同じ平成17年、思いを同じくする地区民60人が杵原学校応援団を結成して大掃除に着手し、地名をそのまま名とする「杵原学校」として開校し直した。管理と活用は現在もこの応援団が担う。

外観の見学は自由で、駐車場もある。計画が必要なのは内部の方で、校舎の特別開放は桜の開花からおおむね10日から15日ほどの期間と、応援団が年間を通じて行う各種事業に合わせて行われる。この時期を外すと見学は屋外に限られる。

玄関ポーチの前に立つと、南に高鳥屋山(1398メートル)の稜線が視界を閉じる。庭に立つ大枝垂れ桜は、多くの来訪者の目的でもある。樹齢は80年ほどとも約100年とも紹介され、名木としては若い部類に入るが、枝は上へ伸びるより横へ張り出し、淡い紅の花が軒の高さで広がる。

撮影地としても知られる。山田洋次監督は映画『母べえ』(平成20年/2008年公開)をこの教室で撮り、平成27年(2015年)には『母と暮せば』でも杵原学校を使った。いずれも吉永小百合が主演している。ロケ当時のまま保存された教室があり、黒板には12月8日という日付と唱歌の歌詞が書かれたまま残されていると紹介されている。古い建物が地元の手で生かされている姿に感銘を受けた山田監督は、杵原学校の名誉校長を務めている。

外観の撮影に制限はなく、4月上旬の桜まつりでは夜間に校舎が開放され、桜がライトアップされる。木枠の引違い窓越しに桜を収める構図は、この時期だけのものになる。内部での撮影は現地の案内に従いたい。

公共交通では、信南交通の広域バス駒場線「山本自治振興センター前」下車、徒歩約10分。

Q&A

Q旧山本中学校杵原校舎管理教室棟は見学できますか。内部にも入れますか。
A外観の見学は自由で、駐車場も用意されています。内部は常時公開ではなく、桜の開花からおおむね10日から15日間の特別開放と、杵原学校応援団が実施する各種事業の際に入ることができます。教室を見たい場合は事前に応援団の公式サイトで開放日を確認してください。
Q旧山本中学校杵原校舎管理教室棟はなぜ登録有形文化財になったのですか。
A平成17年(2005年)12月26日、登録基準の第一「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当するとして登録されました。飯田市教育委員会は、義務教育の学校としては追手町小学校校舎とともに長野県内で初めての登録だったと記しています。
Q旧山本中学校杵原校舎管理教室棟と教室棟はどう違うのですか。
A南北に並ぶ二棟で、東西両端の渡り廊下で接続されています。管理教室棟は南側にあたり、寄棟造の玄関ポーチをもつ正面棟で建築面積は609平方メートル。北側の教室棟は7室の教室が並ぶ棟で768平方メートルです。登録番号もそれぞれ20-0234、20-0235と別に付されています。
Q旧山本中学校杵原校舎管理教室棟は映画のロケ地になったのですか。
A山田洋次監督の『母べえ』(2008年公開)と『母と暮せば』(2015年公開)の撮影に使われました。ロケ当時の状態を残した教室が保存されており、山田監督は杵原学校の名誉校長を務めています。
Q旧山本中学校杵原校舎管理教室棟へはどう行けばよいですか。
A信南交通の広域バス駒場線に乗り「山本自治振興センター前」で下車、徒歩約10分です。車の場合は駐車場があります。飯田市へは名古屋・新宿からの高速バス、またはJR飯田線が利用できます。

基本情報

名称旧山本中学校杵原校舎管理教室棟(きゅうやまもとちゅうがっこうきねはらこうしゃかんりきょうしつとう)
所在地長野県飯田市竹佐377-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 20-0234
指定年平成17年(2005年)12月26日登録(告示は12月27日)/第48回登録
員数1棟
寸法木造平屋建、切妻造、桟瓦葺。桁行35間、梁間5間余、建築面積609平方メートル。昭和24年(1949年)建築
所有者飯田市
公開状況外観の見学は自由、駐車場あり。内部は桜の時期の特別開放および杵原学校応援団の事業時に公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「旧山本中学校杵原校舎管理教室棟」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005166
文化遺産オンライン「旧山本中学校杵原校舎管理教室棟」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/181386
飯田市教育委員会「旧山本中学校杵原校舎管理教室棟」
https://www.city.iida.lg.jp/site/bunkazai/kineharakanri.html
杵原学校応援団 公式サイト
https://kinehara.com/

最終更新日: 2026.08.20