蚕のためにかたちを変えた家

原田家住宅主屋は、長野県松本市大字入山辺字南方582にある明治42年(1909年)頃建築の民家で、平成11年(1999年)10月14日に国の登録有形文化財に登録された。文化庁の国指定文化財等データベースは、木造2階建、瓦葺、建築面積151平方メートルと記録する。

入山辺は松本市街の東、薄川をさかのぼった谷筋にある。南方地区は川の左岸、急斜面に沿って開けた集落で、原田家はその斜面を削って造った平坦面に東を向いて建つ。松本市の解説によれば、この平坦面は谷で採れる「山辺石」を積んで支えられている。

形式は総二階建、切妻造、桟瓦葺。本屋のまわりには庇がめぐる。外壁は真壁造で、柱と貫を塗り込めずに見せ、その間を白漆喰で埋める。柱が格子のように外に現れる造りである。そして二階の階高が、この規模の農家としては明らかに高い。その高さこそが、この建物の理由である。

二階は蚕室だった。松本市は、当初は間仕切りのない大空間であったと考えられるとしている。蚕をまとまった数で飼うには容積と安定した温度、それに空気の流れが要る。その作業を引き受けた農家は上へ伸びる。階高を上げ、開口を大きく取り、屋根に抜けをつくる。ゆったりした住まいに見える外観は、住み心地の設計ではない。内側で進行していた産業工程が、そのまま外形を押し上げた結果である。

「造形の規範」という登録基準

日本の建造物保護は段階に分かれている。国宝と重要文化財は「指定」で、対象を絞り込み、強い法的義務を伴う。登録有形文化財はこれとは別系統の、より緩やかな制度で、平成8年(1996年)に始まった。おおむね築50年以上の建物を、失われる前に広く受け止めることを狙いとし、現状変更は許可ではなく届出で足りる。原田家住宅主屋は指定ではなく登録であり、登録番号20-0023、第20回登録、告示は平成11年10月28日に出された。

適用された登録基準は三つのうち第二、「造形の規範となっているもの」である。農村の住宅としては、やや意外な基準の選び方といえる。この基準は、ある類型をとりわけ明快に体現している建物に対して用いられることが多い。文化庁の解説は、蚕室を備えた成の高い二階と、柱と貫を見せた白漆喰塗りの外観を挙げ、この地域が養蚕業で栄えた時期の民家の姿をよく示すと評価している。

この評価の重みは、周囲で起きたことを知ると増す。松本市は、入山辺一帯にはかつて同様の蚕室造りの民家が数多くあり、現在ではほとんど見られなくなったと明記している。生糸は明治から大正にかけて日本の輸出経済を支えた基幹産業であり、その後は化学繊維と市場の変化のなかで縮小した。産業が終わるとき、まず消えるのは記念碑ではなく日常の建物である。どこにでもあるものを守ろうとは、誰も考えないからだ。平成11年の登録は、かろうじて間に合った側に属する。

明治42年頃という建築年代は、養蚕の勃興期ではなく最盛期に近い。試行錯誤の産物ではないということである。蚕室のある家がどうあるべきかを知り尽くした人々が建てた、成熟した類型だった。

近づき方について

まず確認しておきたい。ここは人の住まいである。松本市は所有者を個人と記載しており、見学の受入体制は一切なく、内部を見ることはできない。訪れる場合は公道から出ず、敷地境界からは十分に距離を取り、観光対象ではなく隣家として扱うべきである。道路からの外観撮影は差し支えないが、玄関に近づく、ドローンを飛ばす、窓に向けてレンズを構えるといった行為は避けなければならない。

そのうえで、道路から何が見えるか。ほとんどは輪郭だけだが、その輪郭はゆっくり見る価値がある。一階の高さと二階の高さを見比べてほしい。同時代の一般的な農家であれば、上階は天井の低い物置に近い。ここでは両者がほぼ拮抗し、一階の庇の上に立ち上がる壁は、屋根裏ではなく一個の部屋として読める高さを持つ。この比率ひとつが、建物の用途を語っている。

次に格子を見る。垂直の柱、水平の貫、その間を埋める白漆喰の面。日本の多くの地域では、同等の農家の壁は軸組ごと塗り込められ、木は隠れる。見せたまま残すのは松本盆地の好みであり、松本市はこの構成を地域の建築的特徴として説明している。

周囲の環境も見どころの半分を占める。斜面、石積み、下を流れる薄川、東へ美ヶ原方面へと谷を閉じる山。入山辺は松本駅から東へおよそ8.5キロメートル、道は薄川に沿って緩やかに登り続ける。

同じ谷をさらに遡った入山辺4526には、曹洞宗の徳運寺がある。元弘元年(1331年)創建と伝わり、嘉永4年(1851年)の火災の後、安政元年(1854年)に再建された。本堂、庫裏、山門及び高塀は平成26年(2014年)10月に登録有形文化財となっている。原田家と違って徳運寺は参拝者を受け入れており、5月下旬の藤で知られる。入山辺まで足を延ばすなら、目的地は徳運寺とし、原田家住宅主屋は道すがら目に留めるものと位置づけるのが妥当だろう。

Q&A

Q原田家住宅主屋は見学できますか。内部に入れますか。
Aできません。松本市は所有者を個人と記載しており、拝観時間・料金・受付といった見学の仕組みは設けられていません。公道から通りすがりに外観を眺めるにとどめてください。登録有形文化財であることは公開の義務を伴いません。この建物は資料館ではなく住まいです。
Q原田家住宅主屋はどこにあり、周辺へはどう行きますか。
A登録上の所在地は松本市大字入山辺字南方582、松本市街の東、薄川左岸です。入山辺は松本駅から東へおよそ8.5キロメートルの範囲に広がり、実際には車かタクシーが現実的な手段になります。谷筋の路線バスは本数が限られるため、利用する場合は事前に時刻表を確認してください。
Q原田家住宅主屋の二階はなぜ高いのですか。
A蚕室として造られたためです。同時代の一般的な農家の屋根裏に比べて階高がはるかに高く、松本市は当初間仕切りのない大空間だったとしています。蚕をまとまった数で飼うには容積と均一な温度、通風が必要で、上階は住人ではなく蚕の都合に合わせて寸法が決められました。
Q原田家住宅主屋は重要文化財ですか。
A違います。登録有形文化財で、登録番号20-0023、平成11年10月14日登録・同月28日告示です。登録は、国宝や重要文化財の「指定」とは別系統の、より緩やかな制度です。なお静岡県焼津市にも同名の登録有形文化財「原田家住宅主屋」があり、検索では別物件が出てくることがあるのでご注意ください。
Q原田家住宅主屋の近くで実際に立ち入れる文化財はありますか。
Aあります。同じ谷を遡った入山辺4526の徳運寺は曹洞宗の寺院で、本堂・庫裏・山門及び高塀が平成26年10月に登録有形文化財となりました。参拝を受け入れており、5月下旬の藤が地元で知られています。谷を下れば松本城や旧開智学校のある市街地です。

基本情報

名称原田家住宅主屋(はらだけじゅうたくしゅおく)
所在地長野県松本市大字入山辺字南方582
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 20-0023
指定年平成11年(1999年)10月14日登録、同年10月28日告示(第20回登録)
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積151平方メートル/明治42年(1909年)頃建築
所有者個人(松本市による)。文化庁データベースには所有者名の公表なし
公開状況非公開の個人住宅。公道からの外観のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 原田家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001350
文化遺産オンライン ― 原田家住宅主屋(長野県)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/186080
松本市 ― 原田家住宅主屋
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3783.html
松本市 ― 国登録文化財
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/51915.html
松本市 ― 徳運寺〔3棟〕
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/3800.html

最終更新日: 2026.08.21