小布施の郊外に残る8棟の屋敷構

平松家住宅は、長野県上高井郡小布施町大字小布施にある江戸時代末期から大正5年(1916年)にかけて整えられた農家の屋敷で、主屋をはじめとする8棟が平成23年(2011年)10月28日に登録有形文化財となった。読みは「ひらまつけじゅうたく」。

8棟の内訳は、主屋、小座敷、北土蔵、南土蔵、車屋(旧水車小屋)、蚕室、納屋、そして外便所・炭小屋及び作業小屋である。住まいと接客の棟、蔵、農作業と養蚕のための棟が一つの敷地にそろっており、平松家住宅は信州の農家が明治から大正にかけて屋敷をどう広げていったかを、建物の数と配置で示している。

所有者は個人で、小布施町の文化財一覧も所有者を「個人」と記している。

建てられた順に見る平松家住宅

文化庁のデータベースが示す年代を並べると、平松家住宅は大きく三つの時期に分かれる。

最も古いのは江戸時代末期、西暦でいえば1830年から1868年の間とされる4棟である。敷地中央の主屋、その北の北土蔵、南の道路沿いに並ぶ南土蔵と車屋がこれに当たる。屋敷の骨格はこの時点でできていた。

次が明治期で、蚕室が明治後期(1898年から1912年)に建ち、大正期に増築された。納屋と、外便所・炭小屋及び作業小屋はともに明治40年(1907年)の建設である。養蚕と農作業のための棟が、敷地の東側と東南隅を埋めていった時期にあたる。

最後が大正5年(1916年)の小座敷で、主屋の南に渡廊下でつながる客のための小さな座敷である。

建物の年代が約80年にわたって散らばっているのに、登録は8棟が同じ日、登録番号も20-0405から20-0412までの連番で行われた。平松家住宅の屋敷構をまとめて評価した登録だったことが、この番号の並びから読み取れる。登録基準は8棟とも「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

敷地の中の配置

平松家住宅の主屋は敷地の中央に南を向いて建つ。その北側に北土蔵が東西に棟を通して建ち、南側には渡廊下の先に小座敷が置かれる。

敷地の南面は道路に接しており、西から車屋、南土蔵、蚕室の順に軒を連ねる。蚕室は敷地の東南隅を占める。東面には中央に納屋、その北に外便所・炭小屋及び作業小屋が並び、どちらも内側の中庭に向けて西面に出入口を開く。

主屋を中心に、南と東を付属の棟が L 字形に囲み、その内側が中庭になる構成である。道路から見えるのは南面の3棟が中心で、主屋はその奥に構える形になる。

見学の条件と行き方

平松家住宅は個人の住まいであり、一般公開はされていない。小布施町の文化財一覧にも、文化庁のデータベースにも、公開日や特別公開の案内は載っていない。敷地に入ることはできないものと考え、道路からの外観見学にとどめる必要がある。

道路からの撮影は、住人の暮らしの場を写し込まない範囲にとどめたい。門の内側や中庭にレンズを向けること、塀際に長く立ち止まることは避けたい。

最寄りは長野電鉄長野線の小布施駅である。平松家住宅は駅の北西にあり、直線距離はおよそ400メートル、歩いて10分ほどの見当になる。見学者向けの駐車場は用意されていないので、車の場合は町なかの駐車場を使って歩くほうがよい。

名称の読みと表記

平松家住宅の各棟は、「平松家住宅」に棟名を続けた形が正式な名称になる。車屋だけは「車屋(旧水車小屋)」と括弧書きが付き、かつての用途が名称に残されている。外便所・炭小屋及び作業小屋は一続きの1棟で、三つの用途が名称に並ぶ。

小布施町の文化財一覧では「平松家住宅 主屋他7件」とまとめて記載されている。

参考文献

国指定文化財等データベース 平松家住宅主屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009008
国指定文化財等データベース 平松家住宅蚕室(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009013
国指定文化財等データベース 平松家住宅外便所・炭小屋及び作業小屋(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00009015
町の文化財紹介(小布施町)
https://www.town.obuse.nagano.jp/docs/2739.html
文化遺産オンライン 平松家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/197148

最終更新日: 2026.09.25

基本情報

名称平松家住宅
所在地長野県上高井郡小布施町大字小布施1947
所有者個人
指定登録有形文化財 8件
座標36.70171, 138.30959