学校農場に建つ円い建物

長野県南安曇農業高等学校第二農場日輪舎は、長野県安曇野市堀金烏川1773-2にある昭和20年(1945年)竣工の木造総二階建で、平成21年(2009年)4月28日に国の登録有形文化財となった。直径およそ13メートルのほぼ円形平面に円錐形の屋根をかけ、所有者は長野県である。

日本の在来建築で円形の建物は珍しい。そしてこの建物が円いのは、意匠上の好みからではなく、はっきりした歴史的な理由による。

原型は日輪兵舎である。昭和13年(1938年)から茨城県内原(現在の水戸市)の満蒙開拓青少年義勇軍訓練所に建てられた円形の宿舎で、設計は建築家の古賀弘人。おおむね15歳から19歳の少年たちが、満洲国への入植に向けてここで訓練を受けた。標準型は直径36尺、およそ11メートルで、一棟に60人ほどが起居した。訓練生自身が建てられることを前提に部材を単純化してあり、一棟が一日で建ったとも伝わる。終戦時、内原には347棟が並んでいたとされる。

円形には経済性のほかに意味も担わされた。日輪は太陽を指し、天皇崇拝や国策としての開拓思想との結びつきが当時明示的に語られている。モンゴルの包を思わせる形であることも、大陸を向いた訓練の性格に合っていた。

「兵舎」ではなく「日輪舎」と呼ばれる理由

この形は広まった。作り方が雑誌に載り、ニュース映画で扱われ、小説の題材にもなり、各地の農業学校や訓練農場に同じ形の建物が建った。軍の兵舎ではない場合、名から一字が落ちる。日輪兵舎ではなく日輪舎、と。

当時の南安曇農学校は大正9年(1920年)の創立で、農業科と蚕業科を置いていた。日輪舎は同校の生徒のための宿泊学習所として計画されたものである。地元に伝わる話では、旧有明村の篤志家から寄付があり、豊科の宮大工が工事にあたり、生徒たちが河原から石を運んだという。昭和18年(1943年)に起工したものの資材不足で工事は進まず、竣工は昭和20年5月、終戦の三か月前だった。

ここでこの建物の登録の意味を考えておきたい。長野県は満蒙開拓への送出者数が全国で最も多く、3万人を超えた。うち十代の満蒙開拓青少年義勇軍は6千人余にのぼる。募集は学校を通じて行われ、県は教員団体である信濃教育会に割当の確保を強く求めた。犠牲は大きく、戦後には中国残留婦人・残留孤児の問題が長く続いた。下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館は、この歴史を専門に扱う日本で唯一の施設として平成25年(2013年)に開館している。

文化庁が適用した登録基準は「造形の規範となっているもの」であり、その解説文が触れるのは建築のことだけである。円形平面、円錐形の屋根、全国的にも残存例が少ないこと。周囲の歴史は登録の文言には入っていない。だが、この建物がこの形をしている理由はそこにある。

残っているもの、見に行くときの注意

外壁は下見板張で、円筒の周囲を水平に巡る。軒天井は板張、入口には庇をかけ、持送りは彫刻のない簡素なものを付ける。壁面の全方向に幅広の窓をとってあり、背面も正面もない建物が採光をどう解決するかという問いに、これが答えになっている。屋根は現在、鉄板葺。建築面積は二層あわせて139平方メートルである。

他地域の同種の建物では、中央の土間をぐるりと囲んで板敷が二層に巡る構成をとった例が知られている。大人数が一室で寝起きし学ぶための工夫である。安曇野の日輪舎が同じ平面を保っているかどうかは文化庁の記録に記載がなく、そう決めてかかるべきではない。

訪問には配慮が要る。日輪舎は現に授業と実習が行われている県立高校の第二農場の中に建っている。敷地の一部には立入禁止の表示があり、自由に見学できる施設ではない。道路には日輪舎を示す案内板が出ており、農場内の道から外観を見た訪問記録もあるが、それ以上に踏み込むなら事前に学校へ問い合わせるのが筋である。南安曇農業高校の本校は安曇野市豊科4537で、農場とは離れている。農場は豊科駅から徒歩50分ほどの距離があり、実際には車かタクシーが現実的だろう。国営アルプスあづみの公園の堀金地区が近い。建物の背景にある歴史を知るには、南へ大きく離れるが阿智村の満蒙開拓平和記念館が適している。

Q&A

Q南安曇農業高等学校第二農場日輪舎は見学できますか。
A自由に見学できる施設ではありません。現に使われている県立高校の第二農場の中にあり、敷地の一部には立入禁止の表示があります。道路には案内板が出ており農場内の道から外観を見た例もありますが、訪問を予定するなら無断で立ち入らず、事前に学校へお問い合わせください。
Q日輪舎はなぜ円形なのですか。
A茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇軍訓練所に建てられた日輪兵舎を模したためです。設計は建築家の古賀弘人。円形は素人の手でも安く建てられ、方向を持たず、当時は太陽(日輪)になぞらえて皇国思想と結びつけて語られました。作り方が公表されたことで各地の学校に広まりました。
Q日輪舎はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A昭和18年(1943年)に起工しましたが資材不足で工事が遅れ、昭和20年(1945年)5月に完成しました。文化庁の記録は年代を昭和20年としています。登録有形文化財となったのは平成21年(2009年)4月28日、告示は同年5月14日、登録番号は20-0351です。
Q日輪舎の大きさと構造を教えてください。
A直径およそ13メートルの木造総二階建で、建築面積は139平方メートルです。外壁は下見板張、軒天井は板張、円錐形の屋根は鉄板で葺かれています。壁面の全方向に幅広の窓をとって採光を確保しています。
Q日輪舎の背景にある満蒙開拓の歴史はどこで学べますか。
A下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館が、この歴史を専門に扱う日本で唯一の施設です。平成25年に開館しました。長野県は送出者数が全国で最も多かったため、県内ではこの主題が特別な重みを持ちます。安曇野からはかなり距離があり、別の行程として計画する必要があります。

基本情報

名称長野県南安曇農業高等学校第二農場日輪舎(ながのけんみなみあづみのうぎょうこうとうがっこうだいにのうじょうにちりんしゃ)
所在地長野県安曇野市堀金烏川1773-2
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 20-0351
指定年平成21年(2009年)4月28日登録、同年5月14日告示
員数1棟
寸法木造2階建、鉄板葺、直径約13メートル、建築面積139平方メートル
所有者長野県
公開状況稼働中の学校農場内。一般公開施設ではなく、訪問は事前に学校へ確認が必要

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 長野県南安曇農業高等学校第二農場日輪舎
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007634
文化遺産オンライン ― 長野県南安曇農業高等学校第二農場日輪舎
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183846
長野県南安曇農業高等学校
https://www.nagano-c.ed.jp/nanno-hs/
安曇野市 ― 文化財一覧
https://www.city.azumino.nagano.jp/site/kyoiku/10156.html
満蒙開拓平和記念館
https://www.manmoukinenkan.com/

最終更新日: 2026.08.21