富士を映す小さな茶碗

サンリツ服部美術館(長野県諏訪市)が国内外に知られるのは、高さ8.5センチほどの一口の茶碗による。胴の上半分は乳白色、下半分は黒みを帯びた灰色に焦げ、二つの色が出会う境目は雪をいただく山の稜線を思わせる。この景色を富士の姿に見立て、作者みずから「不二山」と名づけた。

作者は本阿弥光悦(1558〜1637)。刀剣の鑑定と研磨を家業とする本阿弥家に生まれたが、その名声は刀ではなく書・漆芸・陶芸で築かれた。書では寛永の三筆の一人に数えられ、画家の俵屋宗達とともに琳派の祖の一人にも位置づけられる。作陶を手がけたのは晩年に近く、元和元年(1615年)に徳川家康から京都・鷹ヶ峰の地を与えられて以後のことと考えられている。

不二山は楽焼の茶碗である。楽焼はろくろを使わず手で成形し、比較的低い温度で焼く技法で、千利休の好みのもとに京で生まれた。代々これを家職とした楽家に対し、光悦の作陶はあくまで一個人の手すさびであった。職人の規範に縛られない自由さが、やや不揃いで彫塑的な造形に表れている。

国宝に指定された理由

本茶碗は昭和27年(1952年)3月29日に重要文化財、同年11月22日に国宝へと指定された。「不二山」という名には二つの意味が重なる。一つは雪の富士に似た姿。もう一つは「二つと無い」という含意で、上下で色の変わる片身変の景色は窯の中で偶然に生じたものであり、同じものを二度と作り得ないことを指す。光悦自身がこの名を選んだとされる。

現存する光悦の茶碗の中で、不二山だけが備える特徴がある。内箱の蓋表に「不二山 大虚菴」と光悦自筆の箱書があり、その印が捺されている点である。大虚菴は光悦の号の一つ。作者みずから箱書を残した光悦茶碗はこれのみで、作り手が自らの作に箱書を施した最初の例ともいわれる。この箱蓋と、茶碗に伴う袖裂一枚は、国宝の附(つけたり)として同時に指定されている。

不二山は、光悦の代表作を選んだ「光悦五種」「七種」「十種」のいずれにも筆頭格として挙げられてきた。日本の陶工が焼いた和物の茶碗の中でも随一の名碗とする評価は、古くから定着している。

見どころ

器の形は腰をくっきりとつけた半筒形で、側面はほぼ直線に削ぎ落とされている。口縁は水平ではない。光悦は縁を不揃いに削り、低い尾根のような高低の変化をつけた。これを「山道(やまみち)」と呼ぶ。ぐるりと見ていくと、縁の高さがわずかずつ移ろっていく。

白釉は透明感の乏しい厚手の釉で、高台に向かって薄くなるあたりから黒く焦げた素地がのぞく。白と灰の境は胴をめぐって不規則にうねる。底は平らで、手で削り出した低く幅広の高台がつく。左右対称をことごとく避けたこの造りは、茶席で客が手のなかに器を回しながら眺めるとき、角度ごとに違う表情を見せる。

不二山には「振袖茶碗」という別名もある。光悦の娘が嫁ぐ際、この茶碗を振袖の裂に包んで婚家へ持参したと伝えられることによる。金糸で刺繡された当時の裂の一片が、いまも茶碗とともに守り継がれている。

訪ねる前に一つ確かめておきたいことがある。不二山は常設展示ではない。公開はおおむね年に一度ほどの限られた機会にとどまるため、これを目当てに足を運ぶなら、事前に開催中の展覧会を確認しておくとよい。

周辺とアクセス

サンリツ服部美術館は諏訪湖の東岸に位置し、JR上諏訪駅から徒歩約15分。服部時計店(セイコー)にかかわる服部家のコレクションをもとに、1995年に開館した。光悦の茶碗のほか、楽焼の祖・長次郎の黒楽茶碗、佐竹本三十六歌仙絵の断簡(重要文化財)、ルノワールらの西洋近代絵画も収める。

二階の喫茶室からは諏訪湖が見渡せ、展示を見たあとの一息によい。隣にはガレのガラスで知られる北澤美術館が建ち、湖畔には間欠泉センターや温泉もある。中央自動車道や東京からの特急を使えば、諏訪は日帰りでも十分にまわれる。

Q&A

Qなぜ「不二山」と呼ばれるのですか。
A白い上部と黒い下部が雪をいただく富士に似ること、また「二つと無い」を意味する字を当て、偶然生じた景色を二度と再現できないことに由来します。
Qいつ訪ねても見られますか。
A常設展示ではなく、年に一度ほどの限られた展覧会でのみ公開されます。事前に開催中の展示をご確認ください。
Qほかの光悦茶碗との違いは何ですか。
A作者自身が箱書と印を施した内箱を伴う、現存唯一の光悦茶碗である点です。このため光悦茶碗の筆頭格とされています。
Q本阿弥光悦とはどのような人物ですか。
A刀剣鑑定を家業とする家に生まれた江戸初期の芸術家で、書や漆芸に秀で、琳派の祖の一人に数えられます。作陶は職人ではなく一個人としての営みでした。
Qどのように行けますか。
AJR上諏訪駅から徒歩約15分、中央自動車道・諏訪インターチェンジから車で約15分です。

基本情報

名称楽焼白片身変茶碗〈銘不二山/光悦作〉
所在地サンリツ服部美術館(長野県諏訪市湖岸通り2-1-1)
指定区分国宝(工芸品)/重要文化財指定 昭和27年(1952年)3月29日、国宝指定 同年11月22日
員数1口
寸法高さ8.5cm 口径11.5cm
作者・時代本阿弥光悦/江戸時代初期
所有者公益財団法人サンリツ服部美術館
附(つけたり)共箱蓋 一枚、袖裂 一枚
公開状況常設展示ではなく、特定の展覧会でのみ公開
開館時間9:30〜16:30(休館日: 祝日を除く月曜、年末年始、展示替え期間など)
入館料大人1,100円、小中学生400円(特別展は別途)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「楽焼白片身変茶碗〈銘不二山/光悦作〉」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/362
公益財団法人サンリツ服部美術館 公式サイト
https://sunritz-hattori-museum.or.jp/
サンリツ服部美術館 ご利用案内
https://sunritz-hattori-museum.or.jp/pages/28/

最終更新日: 2026.06.09