三五荘:軽井沢の森に佇む約200年前の茅葺き民家
日本を代表する避暑地・軽井沢の落葉松(からまつ)林の奥に、どっしりとした茅葺き屋根の大型民家が静かに佇んでいます。三五荘(さんごそう)、正式名称「中央工学校軽井沢山荘」は、東京の学校法人中央工学校が所有する国登録有形文化財です。古くからこの高原に建っていたかのように見えますが、実はもともと山梨県の豪農屋敷として江戸時代末期に建てられ、昭和初期に解体・移築されて現在の姿となりました。
一般的な観光地とは一味違う、じっくり本物の日本建築に触れたい方にとって、三五荘は江戸時代の上層農家の暮らしぶりをそのまま感じられる貴重な場所です。再建ではなく、当時の梁や柱、継手・仕口といった木組みをそのまま残した本物の建築がここにあります。
歴史的背景
三五荘の来歴は、軽井沢ではなく甲州にさかのぼります。建物は江戸時代末期、およそ1830年から1867年の間に、現在の山梨県甲州市・塩山の豪農の住宅として建てられました。この時代の甲州盆地東部では、裕福な農家は大家族を収容するとともに家格を示すため、大規模で風格のある茅葺き住宅を競って構えたといいます。
1934年(昭和9年)、この住宅は中央工学校の軽井沢研修所へと移築のため解体・搬送され、翌1935年(昭和10年)に現在地で竣工しました。「三五荘」という名は、この竣工年である昭和10年の「三」と「五」に由来するものです。日本における民家移築保存の先駆例のひとつとして、文化財保護の歴史の上でも重要な位置を占めています。
その後、1967年(昭和42年)には、当時の皇太子・皇太子妃両殿下(のちの平成の天皇・皇后、現在の上皇・上皇后両陛下)のご訪問を受け、学園にとって忘れがたい一幕となりました。そして2023年12月には、中央工学校が所有してから初めてとなる茅葺き屋根の全面ふき替えが完了し、黄金色に輝く新しい屋根が軽井沢の青空に映えています。
文化財指定の理由
三五荘は2007年(平成19年)7月31日に国登録有形文化財(建造物)に登録されました。その背景には、この建物が備えるいくつかの際立った価値があります。
第一に、甲州盆地東部の上層農家建築の特徴を色濃く残している点です。妻面には整然と重ねられた化粧貫(けしょうぬき)が並び、茅葺き屋根の中央部は高く突き出す独特の形状を見せます。これは、当地域の裕福な農家建築を象徴する意匠です。
第二に、規模の大きさが挙げられます。桁行11間・梁行7間という堂々たる構えは、現存する民家の中でも屈指のものであり、木造2階建て、茅葺き、建築面積約252平方メートル、地下室付きという構成です。1934年の移築に際しては、建物の下に鉄筋コンクリート造の半地下室を設け、本来の土間を板敷に改めるなど、軽井沢の冷涼な気候に配慮した適切な改修が加えられています。
第三に、民家建築を丁寧に解体・移築して保存した初期の事例として、文化財保護史上の価値が高く評価されています。
見どころ
訪れてまず目を奪われるのは、迫力ある茅葺き屋根です。棟から軒先まで葺き替えられたばかりの屋根は、中央部が高く持ち上がる甲州盆地特有の形状を示し、落葉松林の合間から差し込む朝夕の斜光を受けると、茅が黄金色に輝きます。写真を撮るには格好の時間帯です。
近づくと、妻面の化粧貫が等間隔で整然と並ぶ様子が目に入ります。構造材としての役割と装飾性を両立させた意匠で、角や仕口をよく見ると、当時の工法を忠実に踏襲した大工技術の確かさが伝わってきます。現代では入手困難な木材もふんだんに用いられており、伝統建築を学ぶ者にとっては、まさに生きた教材です。
内部に入ると、黒光りする太い柱が立ち並び、手斧や鑿の跡を残した梁が架け渡された空間が広がります。江戸時代の豪農の暮らしの息遣いが、そのまま伝わってくるかのようです。隣接する中央工学校南ヶ丘美術館・三五荘資料館では、解体から移築、再建に至る工程を示す模型や図面、古写真などを展示しており、建物そのものの見学と合わせて、より深い理解へと誘ってくれます。
同館のギャラリーには、東山魁夷、加山又造、梅原龍三郎、藤井勉、アンドリュー・ワイエスといった国内外の著名画家による絵画・彫刻、鎧兜、壷、屏風、民具類などが収蔵されています。建築と美術の両方を同時に楽しめる、知る人ぞ知る文化スポットです。
訪問情報
三五荘および併設の南ヶ丘美術館・三五荘資料館は、軽井沢の別荘地の一角にあり、軽井沢駅前エリアから車ですぐの立地です。一般公開は美術館・資料館の入館と併せて行われます。軽井沢は冬の積雪が深いため、おおむね11月中旬から4月20日ごろまで冬季休館となります。訪問前に公式の情報を確認されることをおすすめします。また、三五荘は中央工学校の現役の研修施設でもあるため、校内行事の都合で一部見学が制限される場合がある点もご留意ください。
入館料は大人800円、子供600円で、無料駐車場(約30台)が用意されています。北陸新幹線と、しなの鉄道が発着する軽井沢駅からはタクシーで約5分と、東京方面からの日帰り観光にも組み込みやすい距離感です。
周辺の見どころ
三五荘の周辺には、軽井沢ならではの文化・自然スポットが点在しています。カフェやベーカリー、土産物店が軒を連ねる旧軽井沢銀座は徒歩圏内で、宣教師や文人たちに愛されてきた避暑地・軽井沢の風情を気軽に体感できます。近くには、軽井沢の国際的リゾートとしての出発点を象徴するショー記念礼拝堂や軽井沢ユニオン教会もあり、明治期からの歴史を感じさせます。
自然を楽しみたい方には、新緑や紅葉の季節に水面が鏡のように美しい雲場池、車で約20分の白糸の滝がおすすめです。また、同じ軽井沢町内の文化財建築として、旧朝吹山荘(睡鳩荘)や旧軽井沢ハウス(旧松方家別荘)なども見応えがあり、三五荘の和風建築と、明治以降の洋風別荘建築を対比しながら歩く一日も趣深いものとなるでしょう。
Q&A
- 三五荘はもともとどこに建っていた建物ですか。
- 現在の山梨県甲州市・塩山(旧・甲府の塩山)にあった豪農の住宅で、江戸時代末期(およそ1830〜1867年)に建てられたものです。建物は約160〜200年の歴史を持ち、1934〜1935年にかけて現在の軽井沢へ丁寧に解体・移築されました。
- 「三五荘」という名前の由来は何ですか。
- 移築再建が竣工した年である昭和10年(1935年)にちなみます。年号の「三」と「五」を取って「三五荘」と名付けられました。
- 一般の見学はできますか。
- はい、併設の中央工学校南ヶ丘美術館・三五荘資料館の入館と合わせて見学できます。ただし、中央工学校の研修施設でもあり、冬季は休館となるため、訪問日を決めたら事前に開館状況を確認されることをおすすめします。
- 建築的にどのような点が評価されているのですか。
- 桁行11間・梁行7間という大規模な民家であり、妻面の整然とした化粧貫や屋根中央部を高く突き出す意匠など、甲州盆地東部の上層農家建築の特徴を明瞭に備えている点が高く評価されています。加えて、日本における民家移築保存の初期の事例として、文化財保護史上も貴重です。
- 東京からのアクセス方法を教えてください。
- 東京駅から北陸新幹線で軽井沢駅まで約70〜80分、軽井沢駅からはタクシーで約5分です。お車の場合は上信越自動車道・碓氷軽井沢ICから約15分で、敷地内に無料駐車場(約30台)があります。
基本情報
| 名称 | 三五荘(中央工学校軽井沢山荘) |
|---|---|
| 指定区分 | 国登録有形文化財(建造物) |
| 登録年月日 | 2007年(平成19年)7月31日 |
| 建築年代 | 江戸時代末期(1830〜1867年)/1934年に軽井沢へ移築、1935年竣工 |
| 構造 | 木造2階建、茅葺、鉄筋コンクリート造の半地下室付 |
| 建築面積 | 約252平方メートル(桁行11間×梁行7間) |
| 棟数 | 1棟 |
| 所在地 | 〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢1052-73 |
| 所有者 | 学校法人中央工学校 |
| アクセス | JR・しなの鉄道「軽井沢駅」からタクシーで約5分/上信越自動車道・碓氷軽井沢ICから車で約15分 |
| 入館料(資料館) | 大人800円、子供600円(お問い合わせ:0267-42-4884) |
参考文献
- 三五荘(中央工学校軽井沢山荘) 文化遺産オンライン
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/142008
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006244
- 三五荘|校舎は生きた教材|中央工学校
- https://chuoko.ac.jp/special01/sangoso/
- 中央工学校南ヶ丘美術館・三五荘資料館|公益財団法人 八十二文化財団
- https://www.82bunka.or.jp/bunkashisetsu/detail.php?no=297
- 信濃毎日新聞デジタル「装い新たに『三五荘』、黄金の輝き 軽井沢の有形文化財、屋根の全面ふき替え」
- https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023121500105
最終更新日: 2026.04.20