武重本家酒造の奥座敷

奥座敷は主屋の西に接続するが、いま隣り合う主屋よりも古い。現在の主屋が建てられる以前の主屋の座敷であり、江戸後期(およそ1751〜1829年)にさかのぼる約93平方メートルの建物である。

中山道沿いに建つ店(ミセ)西端の門に向き合う。北に六畳間を連ねた十畳間二列の構成で、南に縁を回し、主屋との接続部に八畳間と四畳間を矩折りに配する。

もと武田の遺臣が代々耕してきた茂田井の武重家は、明治元年(1868年)に十二代徳左衛門のもとで酒造をはじめ、以後同じ建物群で醸造を続けている。茂田井は中山道の望月宿と芦田宿の間にあり、宿と宿のあいだで旅人が足を休める間の宿として機能した。白壁の塀が二キロ近く続く。

登録の理由と価値

登録原簿はこれを、造形の規範となっているものという基準で挙げる。旧主屋から残された座敷として、裕福な在郷商家の格式ある部屋の間取りと比例を伝えており、家が建て替われば残りにくいものである。

新主屋の建設時に取り払わず残されたこと自体が語るところは大きい。武重家は古い座敷を残し、その周りに建て継いだのである。

登録基準「造形の規範となっているもの」により登録され、稀な現存例の一部をなす。ここには平成12年(2000年)9月26日に登録された約三十棟の登録有形文化財が並び、今も日々の醸造が続く稀な事例である。蓼科山の軟水を仕込み水とし、蔵の空気中の乳酸菌を酒母に取り込む生酛造りを基本とする。今もこの製法を続ける蔵は多くない。

いま訪ねて見るべきところ

この座敷の見どころは空間の連なりにある。縁へ開く十畳間と、接続部に折り込まれた小間。二十世紀を迎える前、商家がいかに客を迎えたかの記録として読める。

敷地正面の歌碑には、旅の歌人若山牧水の三首が刻まれる。牧水は「御園竹」を好んで詠み、その名を冠した「牧水」も今に受け継がれる。

醸造が通年続くため、登録建造物は普段は通りから眺めるにとどまる。内部に入れる定例の機会は、3月21日前後の酒蔵開放のときである。隣接する大澤酒造は小さな美術館を持ち通年で試飲もでき、茂田井の白壁の通りはゆっくり歩くほど味わいが増す。

Q&A

Q奥座敷とは何ですか。
A以前の主屋の格式ある座敷で、現在の主屋の建築時に残され、その西に接続されました。
Qどれくらい古いのですか。
A江戸後期、およそ1751〜1829年にさかのぼり、隣接する明治期の主屋より古い建物です。
Q見学できますか。
Aいいえ。私邸かつ稼働中の敷地の一部です。敷地は例年3月21日前後に開きます。
Qなぜ登録されたのですか。
A造形の規範として、建て替え以前の在郷商家の格式ある部屋の間取りを伝える点が評価されました。

基本情報

名称武重本家酒造及び武重家住宅奥座敷
所在地長野県佐久市茂田井字東町2179(旧中山道沿い)
指定区分登録有形文化財(平成12年〈2000年〉9月26日登録)
員数・構造1棟/木造平屋建、瓦葺、建築面積93㎡
年代江戸後期(1751-1829)
所有者武重家(武重本家酒造株式会社)
公開状況稼働中の私有酒蔵。内部は通常非公開。例年3月21日前後の酒蔵開放時に敷地を開放。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) — 武重本家酒造及び武重家住宅奥座敷
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001784
武重本家酒造株式会社 — 公式サイト
https://takeshige-honke.jp/
信州たてしな観光協会 — 武重本家酒造株式会社
https://shirakabakogen.jp/spot/takeshiga_honke_syuzo/

最終更新日: 2026.07.03