續麻・今井(兼平)神社兼平社:平家物語の英雄・今井四郎兼平を祀る、彫刻華やかな江戸後期の本殿

長野県松本市の南西、田畑と住宅が混在する上今井の集落の中心に、面積わずか4.4平方メートルながら、江戸後期の社殿彫刻の粋を凝縮した一棟の小さな社が静かにたたずんでいます。續麻・今井(兼平)神社兼平社は、平家物語に登場する忠臣・今井四郎兼平を祀るために天保4年(1833)に建てられた本殿です。令和4年(2022)10月31日に国の登録有形文化財に指定され、平安末期の武将伝承と、江戸後期の宮大工が腕を競った彫刻装飾の世界とを、ひとつの建造物のうちに結びつけています。松本城や上高地という著名な観光地を巡る旅程の途中で、もう一歩足を伸ばす価値のある、知る人ぞ知る文化財です。

地名の由来は、忠義の武将・今井四郎兼平

松本市今井という地名は、平安末期の名高い武将・今井四郎兼平に由来します。仁平2年(1152)に中原兼遠の四男として生まれた兼平は、本名を中原兼平といい、父・兼遠の妻が源義仲(木曽義仲)の乳母となった縁から、義仲と乳兄弟として木曽の地で共に育ちました。この幼少からの強い絆は、後年、日本の武家社会における「主従の理想像」として語り継がれることになります。

治承・寿永の乱(源平合戦)で義仲が挙兵すると、兼平は最後まで主君のかたわらに侍り、義仲四天王(木曽四天王)の筆頭として数々の戦に参加しました。樋口次郎兼光は兄、巴御前は妹にあたるとされ、一族そろって義仲を支えました。

戦場に赴く前、兼平は信濃国筑摩郡今井郷を所領としていました。これが現在の松本市今井地区にあたり、地名「今井」と姓「今井」の起こりとなりました。境内地はまさに兼平の館跡と伝えられ、近隣を流れる鎖川からの用水開発や、梓川から野尻への用水開発を行うなど、土地を治める開発領主としても活躍したと伝わります。

兼平の最期は、『平家物語』の「木曽の最期」の段において、日本文学史上もっとも哀切な場面のひとつとして描かれます。寿永3年(1184)正月、近江国粟津で源範頼・義経の追討軍に取り囲まれた義仲を、兼平は粟津の松原に逃すべく説得し、ただ一騎で五十騎の中に駆け入って八本の矢で八騎を射落としたのち、義仲の自害を見届けると、太刀の切先を口に含んで馬から飛び降り、壮絶な自害を遂げました。この最期は能楽の演目『兼平』の主題ともなり、松本市のほか長野市川中島の今井神社、滋賀県大津市の義仲寺周辺、群馬県渋川市の木曽三社神社などにも、兼平を祀る社が伝わっています。当地はそのうち、兼平が現実に治めた所領にあって、兼平信仰の中心地のひとつといえる重要な場所です。

三社合祀の歴史と境内構成

現在の境内には、三つの本殿が並んで建ち、その奥にさらに「兼平塚」と呼ばれる小さな石が祀られています。これは長い歴史のなかで近隣の三社が合祀されたことの帰結です。

今井(兼平)神社の創建は明らかではありませんが、応永年間(1394–1428)に今井兼平を祀ったことに始まると伝わります。元文5年(1740)には誉田別命(応神天皇)が合祀され、明治5年(1872)には村社に列せられました。

もとは別の場所に鎮座していた續麻神社(栲幡千々姫命を祀る)は、天明4年(1784)の火災で社記を失ったため詳しい沿革は不明ですが、本殿が現存し、昭和22年(1947)の合祀の際に、200メートルほど北にあった旧境内地から現在地へ移築されました。さらに、伊勢の神を祀る神明社は、もともと別の場所にあったものが大正4年(1915)に續麻神社へ合祀され、昭和22年に續麻・兼平の合祀にともなって再度こちらへ移されています。こうして、拝殿後方の結界の内に、正面向かって左に兼平社、右に續麻社、さらに左手前に神明社という、三本殿が並ぶ独特の境内構成が形作られました。

兼平社本殿:木彫の華やぎが詰まった小宇宙

登録有形文化財の指定は神楽殿を含む4棟にわたりますが、兼平社はそのなかでも特に意匠的に華やかな建造物です。建築様式と棟札の調査から、天保4年(1833)の建立であることが確認されています。形式は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)。日本の本殿建築のなかでも最も普及した類型のひとつで、正面の屋根が長く伸びて向拝(こうはい)を覆う、優美なシルエットを特徴とします。

この社殿を傑出した存在たらしめているのは、その小さな躯体のほぼ全面に施された精緻な彫刻装飾です。正面では、唐破風(からはふ)と千鳥破風(ちどりはふ)が重ねて配され、4.4平方メートルというごく小規模な社殿に、堂々たる正面性を与えています。向拝柱筋と菖蒲桁筋には、各々精緻な彫刻を施した手挟(たばさみ)が取り付き、虹梁欄間(こうりょうらんま)には龍の彫刻が躍動的に彫り出されています。母屋前面の引き戸の戸板は波状の透かし彫りで、近隣の社殿には類例の少ない独特な意匠と評されます。背面をふさぐ脇障子には、中国の故事「竹林の七賢」を題材とした彫刻が施されており、村落の鎮守としては珍しい高度な画題が選ばれていることがわかります。

内部は内陣と外陣に分かれ、周囲三方には腰組付きの縁が回り、擬宝珠付きの欄干が縁を引き締めます。向拝柱の正面には唐獅子、側面には象を象った木鼻が突き出し、柱上の組物は出三斗と連三斗を組み合わせた構成。屋根は現在銅板葺ですが、当初は柿葺(こけらぶき)であったと推定されています。一棟ごとに腕を競った江戸後期の宮大工・彫物師の技量を、間近に味わうことができる貴重な作例です。

なぜ登録有形文化財に指定されたのか

国の登録有形文化財は、地域の歴史的景観を形成するうえで重要な役割を担い、特に保存・活用が望ましいと認められる建造物に対して登録される制度です。兼平社が令和4年(2022)に登録された背景には、大きく三つの理由があります。

第一に、建築そのものの価値です。天保4年(1833)の建立年代が棟札によって確実に裏付けられており、当初の姿をよく残しています。前面の唐破風・千鳥破風の重ね、手挟みの彫刻、虹梁欄間の龍、脇障子の竹林七賢、戸板の透かし彫りなど、装飾の質と量はいずれも江戸後期社殿建築の好例として評価されました。

第二に、境内全体としての価値です。続麻社(安政6年・1859)、神明社(安永9年・1780推定)、神楽殿(嘉永6年・1853)と合わせた4棟が、それぞれの旧境内から移築・合祀されながらも保存され、信州の村社の歴史的構成を今に伝えていることが評価されました。

第三に、文化史的な価値です。当地は『平家物語』に名を残す今井四郎兼平の伝承地であり、館跡とも伝えられる場所に、兼平を祀る本殿が現に建ち続けている──この事実が、地域史を超えた日本史的な意味をこの建造物に与えています。神明社の隣には、近江粟津の墓所から土を持ち帰って祀ったと伝わる「兼平塚」の石もあり、文学と歴史と信仰が結びついた精神的な核として、境内の意味を深めています。

見どころと参拝の手引き

境内は地元の氏神を祀る生きた神社であり、日中は自由に参拝することができます。鳥居をくぐると、まず吹き放ちの神楽殿(嘉永6年・1853建立、本来茅葺だったものが昭和22年の移築時に瓦葺に変更されたと推定)が目に入り、その奥に拝殿、さらに結界の内に三本殿が並ぶ構成となっています。

兼平社本殿の前では、ぜひ少し距離をとってその彫刻装飾をじっくり眺めてみてください。正面の唐破風・千鳥破風の重なり、虹梁欄間の龍、向拝柱の唐獅子と象の木鼻、戸板の波の透かし、そして背面に回って脇障子の竹林七賢──これらを順に追っていくと、4.4平方メートルの小宇宙のなかに、江戸の宮大工がどれほどの工夫を凝らしたかが見えてきます。秋祭りには五つ灯篭をあげる伝統的な祭礼が今も執り行われており、地域の信仰が脈々と息づいています。

なお、本殿内部は非公開です。社殿は小規模で繊細な造りのため、近距離でのフラッシュ撮影や手で触れることは控え、礼を尽くした参拝を心がけてください。

あわせて訪れたい周辺の見どころ

今井地区には、兼平ゆかりの史跡が点在しています。徒歩圏内の平城山宝輪寺は、兼平が再興したと伝わる真言宗の寺で、本堂には兼平の位牌も祀られ、ボタンの名所としても知られています。また、境内には四国八十八カ所霊場の砂を加持した石仏霊場が設けられています。隣接する下今井諏訪神社(同じく国登録有形文化財)の北側「五行田」では、明治元年(1868)に「今井四郎兼平形見石」と呼ばれる石碑が発掘されたと伝わっています。

少し足を伸ばせば、信州まつもと空港を含む広大な信州スカイパーク(松本平広域公園)が広がります。さらに松本市街地まで戻れば、国宝・松本城、同じく国宝の旧開智学校(明治期の洋風校舎)など、松本観光の中核となる文化財群を一日で組み合わせて巡ることも十分に可能です。

  • 平城山宝輪寺:兼平再興と伝わる真言宗の寺。ボタンの名所
  • 下今井諏訪神社:国登録有形文化財。「今井四郎兼平形見石」発掘地
  • 信州スカイパーク:松本空港を擁する広大な公園
  • 国宝・松本城:松本観光の中心
  • 国宝・旧開智学校:明治期の擬洋風校舎建築

Q&A

Q今井四郎兼平とはどのような人物で、なぜここに祀られているのですか。
A今井四郎兼平(1152–1184)は、平安末期の武将で、木曽義仲(源義仲)の乳兄弟にして筆頭家臣、義仲四天王の筆頭です。当地・信濃国今井郷を所領としたことから「今井」を名乗り、館もここにあったと伝わります。『平家物語』に描かれた粟津での主君に殉じた壮絶な最期によって、忠臣の鑑として後世に語り継がれ、応永年間(1394–1428)に地元の住人が氏神として祀ったのがこの神社の起こりとされています。
Q「heritage ID 24080」は具体的に何を指しているのですか。
Aheritage ID 24080は、續麻・今井(兼平)神社の境内に建つ本殿のひとつ、「兼平社」を指します。天保4年(1833)の建立で、令和4年(2022)10月31日に国の登録有形文化財に登録されました。同日付で、續麻社・神明社・神楽殿の3棟も合わせて登録されており、合計4棟が一体の歴史的景観として保護されています。
Q本殿の中に入ることはできますか。
A本殿内部は非公開です。ただし、境内は日中自由に参拝でき、本殿の周囲を間近に見て回ることができます。兼平社の最大の見どころである外部の精緻な彫刻装飾は、外からでも十分に堪能できます。
Qどのくらいの時間で見学できますか。
A境内のみであれば、ゆっくり巡って30~45分ほどです。徒歩圏の宝輪寺や下今井諏訪神社も併せて訪ねるなら、半日の余裕をみておくとよいでしょう。
Q松本駅からのアクセスはどうなっていますか。
AJR松本駅から南西へおよそ8キロメートルの場所にあります。最も実用的なのはタクシー(約20分)またはレンタカーです。今井地区を通る路線バス(松電バス空港今井線)は近年運行が縮小されているため、公共交通機関を利用される場合は、事前に松本市の観光案内所等で最新の時刻をご確認ください。

基本情報

名称 續麻・今井(兼平)神社兼平社(つうそ・いまい(かねひら)じんじゃかねひらしゃ)
指定区分 登録有形文化財(建造物)
登録年月日 令和4年(2022)10月31日
建立年代 江戸時代/天保4年(1833)
形式・規模 一間社流造、銅板葺、木造平屋建、建築面積4.4㎡、正面に唐破風・千鳥破風を重ねる
祭神 今井四郎兼平、誉田別命(元文5年(1740)合祀)
所有者 宗教法人 續麻神社兼平神社
所在地 〒390-1131 長野県松本市大字今井1077番地
アクセス JR松本駅から南西へ約8km、タクシーで約20分
参拝時間 境内は日中自由に参拝可、参拝料無料

参考文献

續麻・今井(兼平)神社〔4棟〕 - 松本市ホームページ
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/134/95090.html
續麻・今井(兼平)神社兼平社 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/590273
【松本市】今井神社(績麻神社・兼平神社) - 甲信寺社宝鑑
https://www.hineriman.work/entry/2023/03/04/063000
今井四郎兼平の故郷 信濃国筑摩郡今井郷 - 諏訪形誌
https://suwagata.ueda-common.net/data/dat/imai/imai.html
今井 (松本市) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/今井_(松本市)
Noh Plays DataBase : Kanehira : Synopsis and Highlight
https://www.the-noh.com/en/plays/data/program_128.html

最終更新日: 2026.05.14