一度も車を止めなかった橋

出島橋は、長崎県長崎市の江戸町と出島町のあいだで中島川に架かる明治23年(1890年)架設の鉄製道路橋で、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。橋名板には旧字体の「出嶋橋」が刻まれている。車両の通行を担い続けている道路橋としては、日本に現存する最古の橋である。

この橋は、はるかに大きな土木事業の副産物として生まれた。幕末から明治初期の混乱で長崎港の維持管理が滞り、流入する河川の河口には土砂が厚く堆積していた。内務省は明治18年(1885年)5月から直轄事業として長崎港の改修に着手し、翌19年から中島川の変流、出島突堤の築造、港内要部の浚渫を始め、明治26年(1893年)に一連の工事を終えている。事前の港湾調査にはオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケも加わっていた。

沿岸部の道路を近代化すれば、そこに架かる橋も架け替えねばならない。明治21年(1888年)から23年にかけて、海岸沿いの橋は日本式の木橋から近代的なトラス橋へと順次置き換えられた。その一連の最後にあたるのが、明治23年に中島川の河口に架けられた鉄製トラス橋「新川口橋」である。それが現在まで残る本体そのものだ。

長崎で発行されていた『鎮西日報』の明治23年6月21日付記事は、この工事を日本土木会社が七千円で落札したこと、米国に注文した鉄材がすでに到着して足場の組立に入っていること、同社の技師である岡氏が一両日中に来崎して鉄材の組立にかかること、そして橋の目論見が長二十間・巾三間であることを伝えている。

移され、名を変え、記録を伸ばし続ける

二十年後、橋は置き場所を誤っていた。明治42年(1909年)11月24日、長崎市会は、新川口橋が下流の玉江橋に近すぎて交通上の存置価値が乏しいとして撤去を決め、その材料を転用して、老朽化していた当時の出島橋を架け替えることを議決する。工事は明治43年(1910年)に実施された。構造体はいったん解体され、上流の出島東端へ運ばれて組み直され、旧橋の名をそのまま引き継いだ。右岸の橋名板に「明治四十三年架」とあるのはこのためで、架設年を明治23年と知る者を戸惑わせるこの表記は、市会の議事録が種明かしになっている。

令和3年の登録は、登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」により、第97回登録、登録番号42-0136として行われた。文化庁が記す構造は鉄製単桁橋、橋長36メートル、幅員4.9メートル。そして決め手となる特徴を明示している。トラスの格点がピン結合であり、引張材にアイバーを用いていることだ。これは同時代の米国系橋梁の作法であって、どんな文書よりも雄弁にこの橋の出自を示す。大きな部材は太いボルトで結合され、小さな部材はリベットで留められている。なお長崎市の橋梁台帳は橋長36.7メートル、全幅5.5メートルとやや異なる数値を記録しており、設計当初の規模は呎(フィート)表記で百拾呎・拾八呎であった。

昭和26年(1951年)に改修を受けているが、旧態はよく保たれた。昭和20年(1945年)8月9日の原子爆弾投下時には爆風を受ける距離にありながら残った。土木学会は平成15年(2003年)11月、供用中の鉄製橋梁として国内最古であることを理由に、選奨土木遺産に認定している。

開いている限り、記録は一日ずつ伸びる。

見に行く ― 無料、時間制限なし、両岸から

出島橋は市道であるから、券も門も閉門時刻もない。午前3時に渡りたければ渡れる。車両は一方通行だが、歩行者は両側の歩道を使える。最寄りは長崎電気軌道の「出島」電停で、そこから数十歩の距離にある。

まず橋名板を探すとよい。トラス両端の橋門構の高い位置にはめ込まれ、市内の崇福寺の装飾にも用いられる蝙蝠文様をかたどった輪郭で切り抜かれている。文字は右から左へ流れる。ローマ字表記は「DEJIMA」ではなく「DESHIMA」だが、これは誤記ではなく古い慣用が残ったものだ。鉄材は淡い青に塗られ、現代の橋と比べれば驚くほど華奢に見える。夜間はライトアップされ、長崎の人はこの橋をたいてい「鉄の橋」と呼ぶ。

歩く価値があるのは対岸からの眺めである。トラス越しに明治11年(1878年)建築の旧出島神学校が入る。日本に現存する最古のプロテスタント神学校建築で、橋と建物が並ぶこの一角は、明治中期の長崎の街並みがまとまって残る数少ない場所になっている。

訪れた人がしばしば取り違えるのが、平成29年(2017年)竣工の出島表門橋との違いだ。あちらは復元された表門へ渡る細身の歩行者専用橋で、本件とは別の構造物、別の役目である。国指定史跡「出島和蘭商館跡」の内部は有料で開場時間も定められているため、島内へ入る予定があれば出島の公式サイトで確認しておきたい。橋そのものは何も要求しない。路上および河岸からの撮影に制限はない。

Q&A

Q出島橋は渡ることができますか。見学に料金はかかりますか。
A渡れます。現役の市道で両側に歩道があり、時間の制限も料金もありません。車両は一方通行です。隣接する史跡出島の島内は別途有料ですが、橋を渡るだけなら入場券は不要です。
Q出島橋はなぜ「日本最古の道路橋」と呼ばれるのですか。
A架設以来、車両の通行を担い続けている鉄製道路橋として国内最古だからです。明治23年(1890年)に架設され、明治43年(1910年)に現在地へ移設されて以降も供用が途切れていません。日本にはより古い橋も残りますが、現役の鉄製道路橋としては本件が最古とされます。
Q出島橋の「アイバーを用いたピン結合トラス」とはどのような構造ですか。
Aプラットトラスは斜材が引張、鉛直材が圧縮を受け持つ形式です。出島橋ではその格点が剛結ではなくピンで留められ、引張材には両端に穴をあけた平鋼「アイバー」が使われています。この組み合わせは1880年代から90年代の米国橋梁の定型で、鉄材が輸入品であることを構造そのものが示しています。
Q出島橋は最初から今の場所に架かっていたのですか。
A違います。明治23年に中島川の河口へ「新川口橋」として架設され、明治43年に解体のうえ出島東端へ移設され、旧出島橋の名を引き継ぎました。右岸の橋名板が「明治四十三年架」と記すのはこの移設年を指しています。
Q長崎駅から出島橋へはどう行きますか。
A長崎駅前から路面電車の崇福寺行きに乗り「出島」電停で下車します。橋は史跡出島の東端、長崎県庁の裏門方向に架かっています。復元表門へ渡る出島表門橋(2017年竣工)とは別の橋なので注意してください。

基本情報

名称出島橋(でじまばし)
所在地長崎県長崎市江戸町〜出島町
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 42-0136
指定年令和3年(2021年)2月4日登録(第97回)
員数1基
寸法鉄製単桁橋、橋長36メートル、幅員4.9メートル(明治23年架設、明治43年移設、昭和26年改修)
所有者長崎市
公開状況市道として常時通行可・無料

参考文献

文化庁 — 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013670
文化遺産オンライン
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/595039
長崎県の文化財
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/786
土木学会 — 選奨土木遺産「出島橋の解説シート」
https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/295
長崎市 — 出島和蘭商館跡
https://www.city.nagasaki.lg.jp/page/1071.html

最終更新日: 2026.08.20