雲仙観光ホテル ― 日本初の国立公園に佇むスイス・シャレー様式の名建築

長崎県・島原半島の標高約700メートル、雲仙の山あいに、まるでスイス・アルプスから舞い降りたような赤い屋根の洋館が静かに佇んでいます。雲仙観光ホテルは、昭和10年(1935)10月10日午前10時に開業した、日本でも屈指のクラシックホテルです。平成15年(2003)には国の登録有形文化財に登録され、九州で唯一の「日本クラシックホテルの会」加盟ホテルとして、今も創業当時の面影を色濃く残しながら国内外の旅人を迎え続けています。

外壁は1階が地元の溶岩石、2階が校倉風の半丸太、3階がハーフティンバー ― 三層それぞれに異なる素材と表情を持つこの建築は、文化財でありながら現役のホテルとして使い続けられている、まさに「生きた遺産」と呼ぶにふさわしい存在です。

歴史的背景 ― 国策ホテルとして誕生

雲仙観光ホテルの物語は、昭和7年(1932)の国家事業に始まります。当時の鉄道省観光局は、外国人観光客の誘致による外貨獲得を目的に、日本各地に15の洋式ホテルを建設する計画を立ち上げました。政府の低金利融資を受けて建設されたこれらのホテルは、後に「国策ホテル」と呼ばれるようになります。

雲仙が選定地のひとつとなった背景には、明治期からの長い歴史がありました。日本郵船の上海航路を通じて多くの外国人が訪れていた雲仙は、すでに国際的な避暑地として知られており、1934年(昭和9)には日本初の国立公園のひとつに指定されたばかりでした。良質な硫黄泉、涼やかな高原の気候、そして雄大な火山景観を備えたこの地に、本格的な洋風ホテルを建てることは、まさに国策にかなう選択でした。

建設と運営は、長崎県選出の代議士であり、大阪・堂島ビルヂング社長として堂ビルホテル経営の実績を持っていた橋本喜造に託されます。昭和9年10月、株式会社雲仙観光ホテルが設立され、同年12月に竹中工務店の設計・施工により着工。設計を担当したのは、藤井厚二と同期入社で当時の竹中工務店設計部を支えた早良俊夫(さがら としお)でした。

文化財としての価値 ― なぜ登録有形文化財に

平成15年(2003)1月31日、雲仙観光ホテルは「貴重な国民的財産である」と評価され、文化庁の登録有形文化財(建造物)に登録されました。これに先立つ昭和54年(1979)には、日本建築学会から「建てられた時代を象徴する総合芸術であると共に歴史を伝えるモニュメントである」として「近代日本の名建築」にも選定されています。

その文化財としての価値は、大きく三つの側面に集約されます。第一に、戦前の国策ホテル群のなかで現存し、かつ現役で営業を続けている数少ない遺構であること。第二に、スイス・シャレー様式と日本在来の意匠を融合させた独自の建築デザインを示していること。第三に、度重なる改修を経ながらも、創業時の意匠・素材・空間の質を慎重に守り続けてきたことです。

平成19年(2007)にはさらに、長崎県の「まちづくり景観資産」に登録され、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されました。地域の景観を支える存在として、また日本の近代観光産業の歩みを物語る建築として、複数の角度からその価値が認められています。

建築の見どころ ― 石・丸太・ハーフティンバーの三層

木立に囲まれた石畳の小径を抜けると、正面約65メートルにわたる長大なファサードが姿を現します。地下1階・地上3階建、瓦葺の本館は、地下と1階を鉄筋コンクリート造、2階と3階を木造とした構造で、建築面積は約1,772平方メートルにおよびます。

最大の魅力は、フロアごとに異なる素材と意匠を用いた「三層三様」の外観構成です。1階は雲仙の自然そのものを写し取るかのような地元産の溶岩石張り。2階の外壁とバルコニーの手摺りには校倉風に半丸太を張り、丸太小屋(ログハウス)の素朴な趣を生み出しています。そして3階の中央付近と端部には、スイス・アルプス地方の伝統意匠であるハーフティンバーが施され、急勾配の赤い瓦屋根とともに、山小屋風の軽やかさを演出しています。

内部に足を踏み入れると、外観と同じデザイン言語が随所に繰り返されていることに気づきます。半丸太張りやハーフティンバー風の造形が壁や天井に施され、重厚な木質感と温かみのある色調が、館内に格調高い静けさをもたらしています。建物全体が客船をイメージして設計されており、廊下、ラウンジ、メインダイニングが船内のように連なる構成は、当時の旅の高揚感を今に伝えています。200畳を越える規模を誇るメインダイニング、バー、図書室、ビリヤード場 ― いずれも創業当時の面影を残し、宿泊者だけでなく建築を訪ねる旅人にも深い感銘を与える空間です。

歴史の舞台として ― 賓客たちの記憶

九州のクラシックホテルとして、これまで数多くの賓客を迎えてきました。昭和13年(1938)にはハンガリー文化使節のメゼイ博士が宿泊し、「雲仙の自然は素晴らしい。南欧チロルの山の美にリビアの海の美を加えたようなものだ」「東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」と讃えたと記録されています。

戦後の昭和21年(1946)から25年(1950)にかけては、米軍に接収され「休暇ホテル」として利用された時期もありましたが、接収解除後すぐに営業を再開し、国際観光ホテル整備法に基づく政府登録ホテル第29号となりました。昭和29年(1954)には映画「君の名は」のロケ地として全国にその姿が知られ、昭和36年(1961)には昭和天皇皇后両陛下がご宿泊。昭和59年(1984)には雲仙ゴルフ場で開催されたジャズイベント「セレクトライブ・アンダー・ザ・スカイ」のためにハービー・ハンコックやギル・エヴァンスといった音楽家たちもこの地を訪れています。

周辺の見どころ

ホテルから歩いてすぐの場所には、雲仙温泉を代表する観光名所「雲仙地獄」が広がっています。硫黄の香りに包まれ、大叫喚地獄やお糸地獄、清七地獄など30あまりの噴気孔から白い湯けむりが立ち昇る光景は圧巻です。約60分の遊歩道コースには「足蒸し」の休憩所や、地獄の蒸気で蒸し上げた名物の温泉たまごを販売する「雲仙地獄工房」もあり、五感で温泉地の力を感じられます。江戸時代初期にはキリシタン殉教の舞台ともなった場所で、殉教碑も建てられています。

少し車を走らせれば、妙見岳・普賢岳への玄関口である仁田峠へ。妙見岳ロープウェイで山頂展望台に上れば、島原半島から天草の島々までの大パノラマが広がります。5月中旬から下旬にはミヤマキリシマの群落がピンクと紫に染まり、秋には紅葉、冬には霧氷「花ぼうろ」が訪れる人を楽しませてくれます。

島原半島全域は平成21年(2009)に日本初の世界ジオパークに認定されており、雲仙普賢岳の噴火によって生まれた溶岩ドーム「平成新山」をはじめ、火山と人の暮らしが織り成す独特の景観文化を体感できます。

Q&A

Q宿泊しなくても館内を見学できますか?
A日中はロビーやラウンジ、バーが宿泊以外の方にも開かれており、コーヒーやカクテルを楽しみながら歴史的な内装を鑑賞することができます。客室階やダイニングは宿泊者専用ですが、建築を見るために訪れる方も歓迎されています。
Qどのような建築様式のホテルですか?
Aスイスのアルプス地方に見られるシャレー様式を基調とし、ハーフティンバーや校倉風の半丸太張りなど、日本在来建築の要素も取り入れた折衷様式です。1階は溶岩石、2階は半丸太、3階はハーフティンバーと、フロアごとに異なる素材を用いた三層構成が大きな特徴となっています。
Q設計と施工はどなたが担当したのですか?
A竹中工務店が昭和9年(1934)から10年(1935)にかけて設計・施工を担当しました。設計者は同社設計部の早良俊夫氏で、竹中工務店にとって設計・施工第一号のホテルとされています。
Q「日本初の国立公園」とはどのような意味ですか?
A昭和9年(1934)3月、雲仙は瀬戸内海・霧島とともに日本で最初の国立公園のひとつに指定され、なかでも筆頭に挙げられる存在となりました。雲仙観光ホテルはその翌年、新たに国立公園となったこの地を訪れる外国人旅行者のために建てられた、いわばこの公園の「迎賓館」のような存在として誕生しています。現在は雲仙天草国立公園の一部となっています。
Q主要な交通拠点からのアクセス方法を教えてください。
A長崎空港またはJR諫早駅からホテルの無料シャトルサービスを利用して約1時間で到着します。公共交通機関の場合は、諫早駅から雲仙行の路線バスで約1時間20分ほどで雲仙温泉エリアに着きます。

基本情報

名称 雲仙観光ホテル(うんぜんかんこうほてる)
所在地 〒854-0621 長崎県雲仙市小浜町雲仙湯ノ里320
指定区分 登録有形文化財(建造物)/登録年月日:平成15年(2003)1月31日
その他の認定 日本建築学会「近代日本の名建築」選定(1979年)/経済産業省「近代化産業遺産」認定(2007年)/長崎県「まちづくり景観資産」登録(2007年)
竣工 昭和10年(1935)10月10日
設計/施工 早良俊夫(設計)/竹中工務店(設計・施工)
構造 木造一部鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階建、瓦葺
建築面積 約1,772平方メートル/正面約65メートル
所有者 株式会社雲仙観光ホテル
電話番号 0957-73-3263
公式サイト https://www.unzenkankohotel.com/

参考文献

雲仙観光ホテル|文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140441
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003171
ホテルの歴史|雲仙観光ホテル【公式】
https://www.unzenkankohotel.com/history/
雲仙観光ホテル|日本クラシックホテルの会
https://jcha.jp/unzenkankohotel.php
長崎県の文化財データベース
https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/279
雲仙地獄|ながさき旅ネット
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/62911
仁田峠|ながさき旅ネット
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/528
第1章|雲仙観光ホテル|堂島ビルヂング
https://www.dojima-building.com/history1-21

最終更新日: 2026.04.19