土で造られた仏像

日本の古代彫刻の多くは、銅で鋳造されるか、木から彫り出された。奈良・當麻寺の金堂を占める大きな坐像は、そのいずれでもない。木の心木に粘土を盛りつけて形をつくり、その表面に布を貼り、漆をかけ、最後に金箔を押した塑像である。像高は219.7センチメートル。現存する塑像としては国内最古であり、七世紀にさかのぼる大型の土の像が、ほぼ完存して今日まで残った稀な作例でもある。

この像は弥勒として知られる。弥勒は未来に現れる仏で、釈迦の入滅から五十六億七千万年の後に悟りを開くと説かれる。そのため通常は、いまだ修行のなかにある菩薩の姿、宝冠や装身具をまとった形で表されることが多い。ところがこの像は逆に、悟りを開いたあとの如来の姿をとる。装飾のない衲衣をまとい、結跏趺坐して、右手を掌を前に向けて挙げ、左手の掌を上に向けて膝に置く。施無畏与願印と呼ばれる、安心と願いの成就を示す印相である。

ただし尊名については慎重を要する。この像を弥勒と記す最も古い文献は、造像から数百年を経た鎌倉時代の巡礼記『建久御巡礼記』であり、当初から弥勒として造られたという確証はない。確かなのは、當麻寺がこの像を創建期の本尊、すなわち寺が形を成したとき最初に据えられた中心仏として位置づけてきたことである。

創建の本尊から国宝へ

寺伝は、當麻寺の起こりを推古天皇20年(612年)に聖徳太子の弟・麻呂古王が建てた一宇に求め、のちに二上山の東麓へ移されたと記す。現在の所在地、葛城市當麻である。金堂はその初期伽藍の中心であり、東塔・西塔の間を抜けた正面、薬師寺に近い配置の中軸に据えられていた。のちに平安末の争乱で平氏の兵火が一帯を焼き、堂は大きく損なわれた。現在の建物は鎌倉時代の再建で、金堂そのものも重要文化財に指定されている。

塑造の弥勒仏は、その火災と再建をくぐり抜けて残った。制作は七世紀末、寺の創建期と推定される。国指定の区分では飛鳥時代とされ、一般には七世紀末の白鳳期の作と説明される。両膝・胴・頭部の三つの塊を積み上げたような造形は、中国・隋代の彫刻や、その影響を受けた朝鮮半島・新羅の像、なかでも新羅の軍威石窟三尊仏の中尊との様式的近さが指摘されている。球形に近い頭部は、天武天皇14年(685年)に山田寺講堂の本尊として完成し、現在は興福寺にある仏頭との類似も論じられてきた。

本像は明治42年(1909年)に保護対象として指定され、昭和27年(1952年)、戦後の文化財保護法のもとで国宝となった。像のまわりには四天王が立つ。うち持国天・増長天・広目天の三体は国内最古の乾漆像であり、法隆寺金堂像に次いで二番目に古い四天王の作例にあたる。残る多聞天は鎌倉時代に補われた木像である。寺伝によれば、四天王は百済の地から飛来したとされ、弥勒像の胎内には孔雀明王の金銅小像が籠められていると伝わる。

金堂で目を留めたいところ

像の正面に立ち、頭から視線を下ろしてみたい。顔は広く穏やかで、頭頂の丸みはことのほか大きい。肩へ向かって幅を増した体は、結跏趺坐の大きな広がりに落ち着き、裳裾は箱形の裳懸座(宣字座)の前面へ流れ落ちる。台座と光背は像と同時のものではなく、いずれも後の平安時代に補われた。古い本体を縁取るその構えに、もう一度目を向ける価値がある。

手元をよく見たい。右の前腕の半ばから先と、左の手首から先は、像が損傷したのちに加えられた木製の後補である。そのため、いまの印相が造立当初のものと一致するかどうかは断定できない。この不確かさこそ、像を見る面白さの一部でもある。千年を超える年月のなかで繕われ、装い直されてきた手当ての継ぎ目が、知って眺めれば見えてくる。

仏壇上に残る痕跡は、この仏がつねに単独で座していたわけではないことを示す。両脇にかつて脇侍像が侍り、三尊の形をとっていたと推定されている。脇侍はとうに失われたが、左右にあいた空間は中尊の印象を変える。孤高の像というより、より大きな一群から残った一体として見えてくるのである。

須弥壇の四隅に立つ四天王にも、しばらく目をとめたい。その顔立ちは開放的で、どこか親しみさえ感じさせ、後世の四天王が見せる威嚇の表情とは隔たりがある。袂の長い衣と、やや異国めいた面差しは大陸の気配を帯び、大和の工人がなお隋の中国や朝鮮の諸国に学んでいた時代の空気をしのばせる。

當麻寺の周辺

金堂は、古い遺品の多いこの寺の一角にすぎない。現在の本堂である曼荼羅堂は国宝で、名高い当麻曼荼羅を安置し、一夜で曼荼羅を織り上げたと伝わる中将姫の伝説と結びついている。當麻寺はまた、東塔と西塔の三重塔が両方とも古代以来そろって残る、ほかにほとんど例のない古刹でもある。

境内は牡丹の名所として知られ、晩春には多くの参拝者を集める。毎年営まれる練供養会式では、菩薩に扮した人々が高く渡した来迎橋を進む。寺は二上山の東麓に位置し、この山は古く大和と河内の境にあって聖なる目印とされ、近くを古代の主要道・竹内街道が通っていた。

當麻寺へは交通の便がやや限られるため、祭礼の日を除けば人出は落ち着いている。塑造の弥勒仏は金堂内で常時公開されており、特別な開帳を待つ必要はない。本堂・金堂・講堂の拝観受付は曼荼羅堂(本堂)で行われる。

Q&A

Qこの像はいつでも拝観できますか。特定の日だけ公開される秘仏ですか。
A常時公開されています。塑造の弥勒仏は、通常の拝観時間内であれば金堂内でいつでも拝することができ、特別な開帳を待つ必要はありません。
Q弥勒が菩薩ではなく仏の姿で表されているのはなぜですか。
A弥勒は未来に現れる仏で、その役割をまだ待つ菩薩の姿で表されることが多い像です。本像は逆に、悟りを開いた如来の形で、宝冠をつけず質素な衣をまといます。ただし弥勒という尊名は鎌倉時代の文献に初めて現れるため、当初の意図は定かではありません。
Q塑像であることには、どのような意味がありますか。
A土でつくられた像はもろく、古い作例はわずかしか残りません。本像は像高219.7センチメートルで、現存する国内最古の塑像です。木心に粘土を盛り、布・漆・金箔で仕上げられています。
Q拝観の方法と費用を教えてください。
A境内は開かれていますが、金堂を含む三堂の拝観には料金がかかります。受付は本堂(曼荼羅堂)です。拝観時間はおおむね9時から17時までです。
Qあわせて見ておきたいものはありますか。
A当麻曼荼羅を安置する曼荼羅堂、両方そろって残る東塔・西塔、そして弥勒仏を囲んで立つ四天王は、いずれも時間をかけて見る価値があります。晩春には牡丹園が見頃を迎えます。

基本情報

名称塑造弥勒仏坐像(金堂安置)/當麻寺
所在地奈良県葛城市當麻1263
所有当麻寺
区分彫刻・国宝
時代飛鳥時代(国指定の区分)。一般には七世紀末・白鳳期の作とされる
指定年月日重要文化財 明治42年(1909年)9月21日/国宝 昭和27年(1952年)3月29日
員数・寸法1躯/像高219.7センチメートル
材質・技法木心に粘土を盛り、布・漆・金箔で仕上げる塑造
公開状況金堂内で常時公開(拝観時間はおおむね9時~17時)。受付は本堂(曼荼羅堂)

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/205
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/177832
當麻寺 中之坊と伽藍堂塔(公式):寺宝・文化財
https://www.taimadera.org/other/p2.html
當麻寺 護念院:當麻寺について
https://taimadera-gonenin.or.jp/introduction/about-taimadera/
當麻寺(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/當麻寺

最終更新日: 2026.06.13