馬の尻に潜む二つの漢字
疾走する馬の尻の部分に、ごく小さく「山」「吉」という二つの漢字が織り込まれている。獅子や騎手、連珠の輪に紛れて見落としやすいが、この二文字が一つの問いに決着をつける。図柄は西方ペルシアの趣を強くたたえているのに、織られた場所はどこなのか、という問いである。答えは中国だった。
四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)は、縦250.3センチ、横134.5センチに及ぶ一面の文様錦である。所有するのは、七世紀初めに聖徳太子が創建した奈良県斑鳩町の法隆寺。錦そのものはやや時代の下る中国・唐代の製作と考えられ、およそ千三百年を経て今日まで残ってきた。
文様の構成は一つの主題の反復による。径45センチほどの連珠円文、すなわちササン朝ペルシアの装飾を特徴づける珠を連ねた輪のなかに、中心の花樹を据える。その上下左右に、翼をもつ馬にまたがる四人の人物が左右相称に配される。いずれも鞍の上で身をねじり、背後の獅子へ矢を放つ姿勢をとる。馬上で振り返り射る構えは古来「パルティアン・ショット」と呼ばれる狩猟・戦闘の型だが、ここではその一瞬が静止し、四倍に増やされて完璧な均衡へと収められている。主文の輪と輪のあいだには、中心に花文を置いた小さな連珠円文が並び、その周囲を忍冬風の唐草がめぐる。
国宝に指定された理由
この錦が保護の対象として初めて指定されたのは明治42年(1909年)、明治期の古社寺保存法のもとでのことであった。戦後に文化財保護の制度が改められると、昭和26年(1951年)6月9日に国宝へと指定し直されている。指定番号は00033で、現行制度の早い段階で認められた一群に属する。
評価の理由は大きく三つに分けられる。第一は、残ったこと自体の希少さである。古代の布は退色し、朽ち、断片化していくのが常であり、唐代の大きな文様錦がここまで判読可能なかたちで現存する例は世界的にも数少ない。第二は織りの技術である。地は綾組織の緯錦、すなわち横糸によって文様を出す構造で、この技法は西アジアから東アジアへ伝わった。これほど複雑な意匠を、文様を崩すことも形式に流れさせることもなく織り上げるには、相当に高度な技を要した。第三は、この一面が記録しているものである。ササン朝ペルシアでは王者の威を示す主題として騎馬による獅子狩りが好まれ、連珠円文や生命の樹の意匠が愛された。それらの観念が陸の交易路を渡って唐の工房に取り込まれ、絹に織り出され、やがて海を越えて日本へもたらされた。一目でその長い伝播の経路を見て取れる遺品は、そう多くない。
法隆寺にこの錦が伝わった経緯は、伝承の領域に属する。遣隋使が将来し、聖徳太子の御旗に用いられたとする言い伝えが残るが、これは記録に裏づけられた事実ではなく、あくまで語り継がれてきた話として扱うのが適切である。近代に入ってからは、美術史家フェノロサと岡倉覚三(天心)が東院の夢殿を調査した際に見いだされたと伝わる。秘仏・救世観音の開封で知られる二人の調査と結びつけて語られることが多い。
見どころ
まず注目したいのは、騎手の肩と手綱の向きである。全速で駆けながら追ってくる獣へ振り向いて矢を番える、その背後への身のねじりこそ、この錦の劇的な核である。馬に翼が生えている点にも目を留めたい。唐代の厩にいた現実の馬よりも、西方の想像上の天馬に近い姿である。
次に、色、というよりも色の名残を見てほしい。いまは茶や褐色の落ち着いた調子に見えるが、もとは紅花の赤や藍の青を用いた鮮やかな織物であった。近年、大型の空引機を用いて数年がかりで原寸の復元が織り上げられ、現在は東京国立博物館が所蔵している。この復元品を見ると、失われた当初の彩りの濃さがよく分かる。
そして、馬の尻の二文字を探してみてほしい。「山」と「吉」を自分の目で見つけ出すのは、この錦が用意したささやかな謎解きの楽しみである。文様のなかから二字が浮かび上がった瞬間、この一面は装飾であることをやめ、製作地を示す物証へと姿を変える。
訪問にあたっては一点、心得ておきたいことがある。布製品は損傷を受けやすいため、この錦は日本の国宝のなかでも公開が格段に限られる。常設展示されることはなく、折々の特別公開でのみ姿を見せる。
法隆寺とその周辺
この錦を守る法隆寺そのものが、際立った存在である。境内には現存最古とされる木造建築群が残り、平成5年(1993年)には日本で最初のユネスコ世界文化遺産として登録された。五重塔と金堂は、七世紀後半の再建にさかのぼる。
仮に錦が公開されていなくとも、参拝の価値は十分にある。境内の大宝蔵院では、年間を通して国宝の優品が並ぶ。細身で微笑をたたえる百済観音、玉虫の羽を装飾に用いた飛鳥時代の玉虫厨子、夢違観音などである。鮮やかな逸品が春と秋に交替で公開される大宝蔵殿の特別展は、この錦のように普段は目にできない品が出陳される機会となる。
法隆寺は、奈良市街の西、のどかな斑鳩の地にある。最も分かりやすい経路はJR法隆寺駅からで、徒歩でおよそ20分、あるいは短いバス移動で門前に着く。奈良市中心部からのバス便もある。西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍(夢殿)を巡る共通拝観券はおよそ1,500円で、ゆっくり歩いても半日ほどで全体を見て回れる。
Q&A
- 法隆寺を訪ねれば原品を見られますか。
- 見られるのは稀です。古い染織品は非常に傷みやすいため、原品は収蔵され、限られた特別公開の折にのみ出陳されます。これを目当てに訪ねる場合は、事前に法隆寺の展示予定を確認することをおすすめします。
- 作られたのはペルシアですか、それとも中国ですか。
- 中国の唐代です。図柄はササン朝ペルシア風ですが、馬に織り込まれた「山」「吉」の二字が、中国の工房がシルクロードの国際的な様式にならって製織したことを示しています。
- 聖徳太子とはどのような関わりがありますか。
- 法隆寺を創建した聖徳太子と結びつける言い伝えが古くからあり、遣隋使が将来した太子の御旗とする話も残ります。ただしこれは検証された史実ではなく伝説であり、信頼できる資料もその点に注意して紹介しています。
- なぜ騎手と獅子が四つずつなのですか。
- 振り返って獅子を射る騎手という一つの主題を、一つの大きな連珠円文のなかで左右相称に四度繰り返しています。上下に二騎ずつ配したこの四騎構成が、紋章のような均整のとれた秩序を生んでいます。
- 原品が出ていないとき、雰囲気を知る方法はありますか。
- 東京国立博物館が当初の色で織り直した原寸の復元品を所蔵しており、失われた鮮やかさをうかがえます。同館の法隆寺宝物館では、十九世紀に寺を出た多くの宝物もあわせて見ることができます。
基本情報
| 名称 | 四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん) |
|---|---|
| 種別 | 工芸品(染織) 員数1面 |
| 製作国・時代 | 中国・唐時代 |
| 指定区分 | 国宝(昭和26年〔1951年〕6月9日指定、明治42年〔1909年〕に保護指定) |
| 寸法 | 縦250.3センチ × 横134.5センチ |
| 技法 | 綾組織の緯錦 |
| 所有者 | 法隆寺 |
| 所在地 | 奈良県生駒郡斑鳩町 |
| 公開状況 | 常設展示なし。折々の特別公開時のみ出陳 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/320
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/188856
- 聖徳宗総本山 法隆寺(公式サイト)
- https://www.horyuji.or.jp/
- 東京国立博物館
- https://www.tnm.jp/
最終更新日: 2026.06.13